竹と七夕
タルガーナは訳あってクローシェと一緒に、竹という堅くて細い緑色の、何だかよく分からない木を取りに山へと向かっていた。
ここはジャクリのコスモスフィア。今日はタルガーナも知らない何かのイベントがある日らしく、予定を空けておくようにと事前に言われ、何の為か知らないが、レグリスやアマリエ、フレリアとシュンとまでも一緒にジャクリのコスモスフィアにやって来ていたのだった。
そして来るなり『竹』が必要だから山に行って取って来いとジャクリに言われ、くじ引きで誰が行くか決めたところ――自分とクローシェが当たりを引き、見たことも聞いたこともない物をこうやって探しに来ているのだった。
ジャクリ達が待っている河辺の丘から、歩いて2時間弱。ようやく目指していた山が目前に迫ってきて、タルガーナはもう仕事をひとつ終えたような気分になった。
日は傾き、引き返している途中で日没を迎えるだろう。なるべく早く皆がいる所に戻りたいが、行きの段階でクローシェが「疲れた」「足が痛い」などとしきりに訴えてくるので、どうにもスムーズにはいかなそうだ。
「ようやくジャクリが言ってた山が見えてきたわね……。竹ってどんな木なのかしら。幹が緑色の木なんて、ちょっと想像出来ないわよね」
タルガーナの気苦労とは反対に、今のクローシェは元気そうだ。
《理想郷》にもそんな木はありませんからね、と適当に返事をつつも、内心彼女の疲労状態が心配で仕方がなかった。
政治家の体は自分1人だけのものではないし、2人きりの時に何かあれば、ルカやクロアにレグリス、果てはフレリアにまで責められてしまうだろう。
純粋に心配でもあるのだが、そんな様々な不安要素が絡み合って、タルガーナの心を揺さぶっている。
「タルガーナ殿下は知っていらっしゃる? 熊には竹の葉っぱを食べる子もいるのよ」
「熊が葉を食べるのですか?」
肉食獣のクマが、木の葉をもさもさ食べている姿――想像し難くて、タルガーナは眉をひそめた。
「見てみたいわ……。可愛いわよ、絶対!」
タルガーナには理解出来ない世界だった。
熊というものは基本肉食で獰猛だ。それを可愛いなんて言えるのは熊が草食だという意外性が成せる業なのだろうか。
いや、草食でも人間に恐怖を感じれば襲ってくるだろうし、大きな動物は怖い――。
――きっと、クローシェ様は疲れてるんだ。
ぐるぐると余計な思考を巡らせた挙げ句、乙女心の分からないタルガーナはクローシェの言葉をそう解釈する。
「あの、クローシェ様……」
「なに?」
意を決してクローシェに声を掛ける。
「ご無礼を申し上げるかもしれませんが……少々お疲れのように見受けられます。少し休憩致しませんか?」
「えっ……」
何か不味いことでも言ったのだろうか。クローシェは大きな目を更に見開いて固まった。
「あ、いや、その……」
タルガーナの背筋に冷たいものが走る。
ここで機嫌を損ねられては、残った時間を2人きりでいるのが気まずくなる。
「すみません、余計なことを……」
「い、いいえ! 疲れたわ! 休みましょう!」
突然クローシェが声を荒げて、タルガーナは驚いた。
「で、では……少し休んでいきましょう」
タルガーナはポケットからハンカチを取り出して、道端の草むらに敷いた。無論、クローシェが地面に腰を降ろしても服を汚さない為の配慮だ。
ありがとう、と一言告げて、クローシェはハンカチの上に腰を降ろしてた。タルガーナもその横に、そのまま腰掛ける。
成長してからはそれなりに気を遣っていたものの、市井で育ったタルガーナには、地べたに座るのにあまり抵抗はない。
道場の帰りにクロアと遊んだ日には、よく服が泥だらけになって乳母に叱られたものだった。
そんなことを不意に思い出して、タルガーナの口許に笑みが浮かんでくる。
「どうしたの? 何だか嬉しそうよ」
「いえ……子供の頃のことを思い出しまして」
目を合わせると、クローシェもどこか嬉しそうに微笑んでいた。
和やかな雰囲気が2人を包む。
「ねぇ、今日って何の日か、殿下はご存知?」
「いえ……何も聞かされておりませんが」
当日になったら教えてやる、とジャクリは言っていたのだが、来た途端にくじ引きを始めた為、結局何も知らずじまいだった。
「クローシェ様はご存知なのですか?」
「ええ、知ってるわよ」
クローシェの瞳が得意げに輝いた。
物知りだな、と感心するが、すぐさま「ジャクリに教えてもらっただけなんだけれどね」と種明かしされた。
「今日は七夕っていう日なのよ」
「たなばた?」
耳慣れない言葉に、思わずオウム返ししてしまった。
「天の川によって引き裂かれた織姫と彦星が、1年に一度再会出来る日よ」
「は、はぁ……」
あまりにファンタジックな話に拍子抜けするが、クローシェは可愛いもの好きという話を聞くし、恐らく御伽噺の類も好きなんだろう。
しかし、ジャクリがそんな話を知っているなんて、タルガーナには意外だった。
「ジャクリは読書家だから、色々なことを知ってるのよ。七夕は、塔の下に大地があった頃のお話なんですって」
その話には、タルガーナも素直に感心した。塔の下に大地があった時代など、半ば伝説になりかけている。文献も何らかの事件やら災害やらで失われてしまっていることが多いので、タルガーナもあまり詳しくは知らなかった。
クローシェの口振りからするとジャクリの持つ知識は相当なものなのだろう。普段の破天荒な言動からは想像出来ない知的さだ。
「……で、その日と竹は、何の関係があるのですか?」
ふと思った疑問をぶつけてみると、クローシェはうーんと唸った。
「確か……竹に願い事を書いた短冊を結び付ける風習があるのよ。再会した織姫と彦星が、お祝いとして何か施しをしてくれる……とか」
なるほど。それがメインな訳か。
タルガーナは妙に納得した。
「縁担ぎみたいなものだから、息抜きついでにやってみたらって……。まさか、竹を取りに行くところから始まるなんて思わなかったけどね」
言葉とは反対に、ふふっと楽しそうにクローシェは笑った。
その表情を見て、このイベントが十分な息抜きになっているようで、タルガーナは安心した。
空を見上げる。随分と太陽が傾いてしまった。
「クローシェ様、そろそろ参りましょうか」
「え、もう……?」
クローシェの口から僅かに漏れた言葉は、風にさらわれてタルガーナには届かなかった。
「……どうしました? まさか、足を挫いて……」
「い、いえ。なんでもありません」
クローシェがぶんぶんと首を振る。
いつものクローシェらしかぬ落ち着きの無さにタルガーナは首を傾げるが、ふと天に目をやったクローシェの声に思考を奪われた。
「あ、天の川よ!」
タルガーナも空を仰ぐと、濃紺に染まりつつある東の空に鮮やかな星々の群れが輝いていた。
「本当だ。綺麗ですね……。この分なら、素晴らしい星空が見れそうですね」
2人で天の川を眺めつつ、歩みを進める。しばらくしたところで、ふとタルガーナは、クローシェが一体どんな願いを抱いてこの日を迎えたのかが気になった。
しかし、さすがにそんなことを聞く訳もいかず、芽生えた好奇心を胸の奥に追いやった。
自分は、何を願おうか。
恐らく織姫と彦星に想いを巡らせているのだろう、夢見るように瞳を輝かせるクローシェを見て、タルガーナもまた夢を膨らませた。
*
1ヶ月遅れの七夕SSです。
夕凪様が読みたいとお声を掛けてくださりました!ありがとうございます!
ホントは竹を持って帰って短冊書くところまで書くつもりだったんですが……字数の関係でそこまで出来ず……。
クローシェ様が疲れただの何だの言いまくっていたのは、タルガーナと一緒の時間を少しでも増やす為だったんですが、書き表せませんでしたね。反省。
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