空を見に行く





「何をしているの?」

 廊下でぼーっと窓の外を眺めていたら、偶然通りかかったらしいクローシェに声を掛けられた。
 怪訝そうに眉根を寄せ、まるで不審なものを見るような目つきだ。

 不意に目をやった空があまりにも綺麗だったので、思わず足を止めていただけなのだが、偶然にも意外な人の関心を呼んだようだ。

 クローシェとの距離感をいまいち掴めていないタルガーナは、どう返答をしたものか迷い、一瞬反応が遅れる。
 しかしそれに気付かせる間を与えぬ様に、咳払いをひとつし、何事も無かったように会釈をした。

「空の壮麗さに見惚れておりました」

「空?」

 会釈を返しつつ、クローシェの視線がタルガーナの後ろの窓に向けられる。
 その時には菫の瞳からはすっかり怪訝な色が消え失せ、純粋な好奇心に輝いていた。

 指導者として常に毅然と振る舞う少女の中に潜む、年相応の無邪気さ。
 そんな姿を時折垣間見せるクローシェに、タルガーナは最初こそ頼りなさを感じ憤ったりもしていたのだが、今では微笑ましく思えるようにまでなっていた。

「……凄い、綺麗。あなた、よく気付いたわね」

 硝子一枚隔てた向こうの景色に感動したように、クローシェはそう呟きながら、豪勢な装飾が施された両開きの窓に歩み寄った。

 きめ細やかな金糸の髪が、日の光に照らされて水面のように輝く。片手を胸に、もう片方の手を窓へとやる姿は、見るものに儚げな印象を与え、はさながら王子様を待つ御伽噺の捕らわれの姫君のようだ。

「空、好きなの?」
「好き……と言われれば、恐らくその通りかと思いますが」

 決して嫌いではないが、年中空を見上げる程好きでもない。
 いつからか空など見る余裕など無くなっていた男が、偶然この光景を見つけただけだった。

 曖昧に答えると、クローシェは不満そうに眉をしかめた。が、すぐ興味を無くしたたのか、また窓の外へと視線を戻してしまった。

「こんなに綺麗な空なのに……今まで気付かなかったなんて」

 悔しそうに、唇を尖らせるクローシェ。
 気付かれないように、タルガーナは口許をほころばせた。

「お忙しいのですから、仕方ありませんよ」

 納得がいかないのか、聞いていないのか、タルガーナの言葉にもクローシェは微動だにしない。

 やれやれと肩をすくめて、タルガーナも先程まで心を奪われていた雲海に目をやった。
 
「クローシェ様は、空がお好きなのですか?」

 返事は返ってこなかった。

 いわし雲の群れは太陽を覆い隠し、その偉大な姿を独占しようと広がっている。
 遮られた太陽の光は、雲の縁を金色に浮かび上がらせ、更に反射した光がカーテンのように青空や周囲の雲へと降り注いで、まるで天使とその翼のような、幻想的な風景を生み出していた。
 自然が生み出した、壮大で美しい、白と青と金色のコントラスト。

 風で崩れてゆく絶妙なバランスがどこか物悲しく、時が止まってしまえば良いのにと、タルガーナは思った。

「……ねぇ」

「何でしょうか?」

「私、空、好きなの。……だからいつか、一緒に空を見に行きましょうよ」

 ぽつりと漏らした言葉に仰天して、クローシェの方へ振り返った。
 彼女は俯きがちに空を見つめ、タルガーナと目を合わせようとしない。
 突然の提案に頭がついていかず、クローシェの言葉が頭をぐるぐる駆け巡る。ようやくその意味を理解出来た時には、クローシェはどこか寂しそうに笑っていた。

「嘘、冗談よ。大鍾堂……私達に、そんな余裕なんてある訳ないものね」

「あ、いや……」

 心臓の鼓動が早くなっていた。
 タルガーナにとって、女性というものは、理解に苦しむ存在だった。
 自分と同じ人間――目の前の彼女はレーヴァテイルだが――のはずなのに、ふとした仕草や言動に心乱される。

 現に今も、冗談だと言っているくせに、明るく笑い飛ばす風でもない。
 どう反応していいのか、まったく、分からない。
 ただ、クローシェの暗い顔を見るとどうしてか胸が痛んで、そのままにしておくには気が引けた。
 
「ぜ……是非とも行きましょう!」

「ええっ!?」

 クローシェが、何か信じられないものを見るかのような表情をした。
 いつだったか、ルカが普通の料理を作る夢を見た、とクロアに話していた時と同じような顔をしている。
 自分から話を振っておいて、酷い反応だ。

「何を言ってるのよ、そんな余裕は……」

 ――耳が痛い。
 片付けも片付けても出て来る仕事。クローシェは、ただでさえ忙しい政界のトップだ。それに、クローシェは今はメタファリカ実現の為、タルガーナの盟友クロアとその仲間達と共に、メタ・ファルス中を奔走している最中だ。
 今はただ偶然大鍾堂に帰って来ているだけで、また、タルガーナとて娯楽に使う時間などそうそうなかった。

 言葉に詰まる。出来ない約束をするのは褒められた行為ではない。しかし、ここで前言撤回、その場の勢いでしたなどと言うのは、アルトネリコのように高いタルガーナのプライドが許さない。

「確かに今は、我々に息を吐く暇はありません。ですが……《理想郷》が実現すれば、その限りではないでしょう」

 期待と諦めが入り混じった表情で、クローシェが真っ直ぐにタルガーナを見つめてくる。
 確かな手応えを感じ、心の中で拳を握った。

「そ……そうね……」

 もう一押しと、タルガーナは更に言葉を続ける。
 ここで引き下がっては、皇族の名折れだ!

「貴女は完成させるのでしょう、《創造詩》を」

 菫色の瞳が、タルガーナを捉えて離さない。
 その瞳に、見たことのない表情をした自分が映っていた。

「……そうね、じゃあ、楽しみにしてようかしら」

 ふわりとクローシェが微笑んだ。
 普段のような張り詰めた雰囲気はまったく無い、例えば気恥ずかしさを誤魔化しているような、穏やかで自然な表情だった。

 ――まるで、天使のような。

 心臓を直接握られたかのような、激しい鼓動を感じた。

「いえ、こちらこそ」

 やっとの思いでそれだけの言葉を絞り取ると、クローシェは上機嫌な様子で去っていった。

 残されたタルガーナは、病気ではないかと疑ってしまうほど激しく脈打つ胸を押さえ、立ち尽くした。
 どうしてか先程からまったく人通りがないのが、唯一の救いだった。こんな姿を、誰かに見られるなど屈辱意外の何ものでもない。

 しばらくして、落ち着いてきた鼓動にホッと胸をなで下ろした――途端。
 
「タルガーナ、何してるんだ?」

 今、最も会いたくない人物の声が、背中に振ってきた。
 振り返ると、特に何も考えていなそうな、愛想の無いクロアがこちらへ向かって歩いてくる。

「ぼーっとしてるなんて、お前らしくないな」

 クロアにとっては、何気ない一言だったのだろう。しかし今のタルガーナには、それは心境を見透かしたような不気味なものに思えてならない。

「うるさい!」

 思わず声を荒げてしまって、クロアが顔を歪める。怒りとも戸惑いともとれる微妙な感情がそこから読み取れた。

 自分でも理不尽だと思う――が、またふと窓の外に目をやって、あのクローシェの笑顔を思い出してしまい、理解出来ない胸の高鳴りに再び頭を抱えるのだった。









*



いつか見た空がとても綺麗だったから。
今回はウチのサイトでは珍しい、ゲームに近い純情タルガーナ……を書こうとして失敗した。
ギャグ樽はムズイんだぜ。

ちなみに書き始めてから半月以上かけて完成。じっくりコトコト寝かせた樽澪?
なんかタルガーナの口調がウロ覚えなんで……変だったら教えてください。





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