大鍾堂のバルコニーからは、パスタリアの街が一望出来る。
 現在、メタ・ファルスで最大の栄華を誇る街も、今は混乱と戸惑いが渦巻いているように見えた。
 吹き荒ぶ風に乗って、人々の喧騒が聞こえるような気がした。





砂の城





 ――本当は貴方のこと、好きでもなんでもない……。

 クロアの胸に刺さった残酷な言葉の棘は、未だにしくしくと痛んでいる。

 ――俺の後任に任せようという考えも、無くはない。
 ……クローシェ様を守りきれ。

 クロアは今、これからの人生を左右する決断を迫られていた。
 レグリスには、クロアの懲戒処分を無くす代わりに、大鍾堂の秘密を封印しクローシェを守れと。
 心の支えであったルカは、シュンと共に神聖政府軍に行ってしまった。

 一度決めてしまえば、後戻りは出来ない。
 のしかかる重圧。
 未来への不安。
 それらとは反比例して、クロアに与えられた猶予はあと僅かしか残されていない。
 どちらの道にも、捨てられないものや譲れないものがある。
 大切なものに順序など付けられるはずもなく、ただ時間ばかりが急ぎ足で過ぎ去っていった。

 広大な雲海に浮かぶのは、柔らかいオレンジに光る太陽。
 下へ下へと沈み行く不変の存在に、クロアは切なさを覚えるだけだった。

「ねぇ、クロ……」

 隣で同じ様に夕陽を眺めていたココナが、歯切れの悪そうに呟いた。
 今にも消えてしまいそうな小さな声だったが、それは風に乗って確かにクロアの耳に届いた。

 自分に気を遣って、今まで黙って側にいてくれた妹分。
 まだ幼いココナにまで心配させてしまったことを申し訳無く思い、クロアはなるべく穏やかな表情でココナと視線を合わせる。

「ああ……ごめん、ココナ。もう随分と冷えて来たな。中に入ろうか」
 
 パスタリエは、高度のせいか風が強い。
 夕方ともなると冷気が吹き荒び、油断しているとあっという間に体温が奪われる。
 子供のココナにはツライはずだ。

 だが、その小さな背を押そうと伸ばした手は、空を切った。
 ココナが振り払ったのだ。

「ココナ……?」

「そうじゃなくて、クロ……!」

 また、ずきりと胸が痛む。
 すれ違う不安。 氷が砕けるような感覚が、胸から宙に浮いた手に広がっていく。

 ――ココナも、ココナも、俺を置いて何処かへ行ってしまうのか?

「ココナ……」

「クロはどうして騎士になったの? 何の為に大鍾堂に来たの?」

 その声色は、諭すようでもあり、叱りつけるようでもあった。

「それは……」

 年に似合わぬ物腰に一瞬たじろぐが、ココナの言葉の意図を探るため過去に思いを巡らせた。

 決定打となったのは、いつも思い詰めた表情で、寂しそうに彼方にある大鐘堂を眺めていた幼なじみの姿。

 ――俺が騎士になって、ルカを大鐘堂に連れて行くからな!

 何故そんな顔をするのかは知らなかったが、彼女を励ましたくて、笑っていて欲しくて言い続けていた言葉が――いつしか彼の目標になっていた。
 メタファリカ実現の夢は、騎士隊入隊という目標が出来てから抱いたものに過ぎない。

 しかし、物事は単純ではない。いくつもの糸が絡み合い、自分を現在へと引きつけ、また縛り付けているのだ。

 幼い頃通っていた剣術道場の先生の、強い薦めで開いた大鍾堂騎士隊への道。
 自立したいという思いと、家族同然に自分を育ててくれたレイシャに恩返しをしたいという想い。そして幼い頃に交わした、「共に世界を変えよう」というタルガーナとの約束もまた、クロアをここまで導いてきた。

 そこまで考えて、糸が――自分を今まで支えてくれていたものが、手にしたいと願っていたものさえも、するりとどこかに消え失せてしまっていることに気が付いて、愕然とした。

「俺、は……」

「……ねぇ、クロ。ココナは、クロがどんな道を選んでも付いて行くよ」

 ふわりと、小さな両手が行き場を無くしたクロアの手を包み込んだ。

「ココナ……」

 いつも温かいココナの手は、黄昏の冷え込みですっかり熱を無くしていたが、それでもクロアにとっては十分に温かった。

「ココナはクロの家族だもん! ……でも、後悔して悩むクロなんか、見たくないから。ごめんね。ココナが口に出すことじゃ、なかったかもしれないけど……」

 いつも通り笑ったつもりだったのだろうか。悪戯を誤魔化すような笑顔は、今にも泣きそうなくらい張りつめていた。

「いや……そんなことないよ。ありがとう、ココナ。」

 頭を、くしゃりと撫でてやる。いつもなら子供扱いするなと抵抗するココナも、今回ばかりは大人しかった。
 こんな小さな子供にこれほどまでに気を使わせるなんて、保護者失格だと内心苦笑した。

「さあ、もう中に入ろう。すっかり冷たくなっちゃったな」

 ココナの手を取って、大鍾堂の中へと入るよう促す。
 扉を閉める時、橙と紺の間に漂う、白い三日月が見えた。

「まったく……俺はこんな時間になるまで、一体何を考えていたんだろうな……」

 守りたいのは、決して世界ではない。
 世界を守ることが、大切なものを守ることに繋がっているだけで、大切なものがあるこの世界が愛おしいだけで、本当に、本当に守りたいのは――。





「クロア……どうして、ここに……」





 自分が抱えていた大切なもの、守りたいものは、風が吹けば崩れてしまう砂の城だった。
 空っぽの手で、また最初から城を築くのも良いだろう。

 クローシェは自分を信頼してくれている。弱さを自分にさらけ出してくれたのがその証拠だ。
 人付き合いに疎い自分でも、それは痛い程分かる。
 その想いに応えてやりたい気持ちはあった。

 だが、やはり自分は何も捨てられなかった。
 心の寄りどころを失ったからと言って、すぐにそれを切り替えられるほど、自分は強くない。

 失ったものを追い掛けるなんて、未練がましいかもしれない。
 でも、それでも、守りたいと思うものは、なにひとつ変わらなかったんだ――。










* H22.2.24改訂。


葛藤って難しい……(涙目
漫画版アルトネリコのキャッチフレーズがイメージにぴったりだったので使ってみました。
タルガーナのことも話に入れたかったけど、そんなことしたら字数が今の2倍は跳ね上がること確定なので以下略。
クロアの大切なものには、もちろんタルガーナとの約束も含まれています。
イベントの前後関係がヤバイくらい曖昧。





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