「あっ、エスパーダさん!」

 見慣れた青年をネモの街の雑踏の中に見付け、ソネットは小さな体をうんと伸ばしながら手を振った。

「……――ソネット!」

 向こうもこちらの存在に気付いたようで、繁華街の人混みをかき分け歩み寄ってきた。

「こっちに来てたのか」

「はい、昨日から。お久しぶりです」

 にこりと微笑むと、彼も僅かに口許を緩め笑顔を返してくれる。
 よくその表情を観察しなければ気付かないほどの変化だったが、そんな些細なものでもソネットの胸は高鳴り、彼の笑顔に気付けた自分を褒めた。

 「あの……少し、時間空いてますか?」






pomp yor en yor. Was






 繁華街では雑踏や人混みでろくに話も出来やしないので、ソネットはエスパーダを喫茶店へと誘った。
 広いテラスが設けられたこの店は、日当たりが良く紅茶もとても美味しくて、ソネットのお気に入りだ。

 2人はテラスの日の当たる席に座り、ほうと息を吐いた。
 太陽が近いプラティナとは違う、薄くて柔らかな日差しがとても心地良い。

「プラティナはどうだ?」

 ブラック珈琲の入ったカップを見つめつつ、エスパーダが問い掛けた。
 エスパーダは、こういう改まった雰囲気は苦手なのか、あまり視線を合わせようとしない。
 髪と同じ色をした空のように真っ青な瞳は、カップの中の揺らめく水面を見つめていた。

「平和ですよ。シュレリア様とエレミアの騎士達を讃える彫像や詩を創ろう、なんて動きもあるくらいです」

 ソネットは自分と同じくらいの年頃に見える管理者と、彼女を支えたエレミアの騎士とその仲間達の姿を、自分のカップに満ちた琥珀色の液体の向こうに思い返した。

 プラティナ生まれのソネットは、シュレリアと親交がある縁でエレミアの騎士達とも言葉を交わしたことがある。

 見た目は皆、どこにでもいそうな人物だった。しかし、その内面に秘められた圧倒的な存在感を、ソネットは忘れることが出来ない。

 ソネットの言葉に、エスパーダは「そうか」と短く返答するだけだった。

「エスパーダさんの方は? お仕事は忙しいんですか?」
 
 相変わらず、カップの中身を見つめ続けるエスパーダの表情を、ソネットはじっと見つめた。
 精悍な顔だ。表れる感情は乏しいが、その瞳は表情の変化を補って余りあるほど雄弁なことを、ソネットは知っている。

  彼の瞳は、優しい光を湛えている。
 初めて出会った時から、何故かその光はソネットに元気をくれた。

「いや……むしろ暇なくらいだ。以前は用心棒の仕事も多かったが、ウイルスがいなくなった今じゃ、相手にするのは野盗くらいだからな」

「そうなんですか」

 壊れた物を修理しろだの、荷物を運べだの、そんな依頼ばっかりだとぼやくエスパーダに、思わずソネットは笑ってしまう。

 そんなソネットに、エスパーダはまた笑い返してくれた。

「……こっちには、どれくらい居るんだ?」

「多分、一週間くらいは。」

 ソネットの家はプラティナにある。
 ウイルスの攻撃に巻き込まれ、家族を失い、そのショックで記憶まで失ってしまったソネットを哀れんで、シュレリアが用意してくれた家だ。ソネットは普段、そこで暮らしている。

「こっちには、どのくらいの頻度で?」

「月に1、2回くらいですね」

 そう答えると、エスパーダは少しだけソネットと視線を合わせ、

「……大変だな」

 またすぐに視線を伏せてしまった。

「いえ。私、謳うことは大好きですから」

 ソネットがわざわざホルンの翼まで降りて来るのは、詩をホルンの翼の人たちにも聴いてもらう為だ。
 詩が好きで好きでたまらなくて、ただ謳うだけでは物足りなくなり、人前で謳うことを初めた。

 幸運なことにソネットの歌はプラティナの人々の間で評判となり、そんなソネットを見たシュレリアがホルンの翼への遠征を薦めてくれたのだ。
 シュレリアは姉のように、本当によく面倒を見てくれた。『プラティナから天の謳声』という、身に余りすぎるキャッチコピーまで付けてきた時は、些か口論になったものだが。

「楽しみにしてくれる人たちも居ますから」

 ホルンの翼の人々にもソネットの詩は好意的に受け入れられ、こうして定期的に来るようになった。
 詩を聴きに集まってくれる人々の顔を思い出しすと、自然とソネットの顔は綻ぶ。

「……お前らしい台詞だ」

 そう呟くと、エスパーダはぐいと珈琲を飲み干してしまった。
 もう店を出るつもりかと、ソネットは焦った。

 ――まだ、一緒に居たいのに……。
 
「あの、エスパーダさん……」
 考えるより先に口が動いた。目が合うが、話題を見付けていない負い目から視線が泳いでしまう。

「あの、ええと、その……いえ、何でもないです」

 結局、良い話題が思い付かず、しゅんと話を終わらせる。
 無理に引き止めて、彼に不快な思いをさせるわけにもいかない。

 エスパーダは頷いた後、「用事があるから先に失礼する」と口にした。
 終わってしまう穏やかな一時に、ソネットは肩を落とした。

「ソネット」

「はい」

「……俺も、楽しみにしていた」

「え……?」

 不意に掛けられた言葉に、思考が止まった。
 今、彼は何と言った?
 楽しみにしていた? 何を?
 話の流れから、察するに……。

 ――私の詩を?

「本当ですか?」

 実を言えばエスパーダのそれは、過去に何度も聞いたことのある台詞だった。しかし、その言葉はソネットにとって大切すぎて、どうしても毎回こう確認せずには居られなくなる。
 容易く社交辞令を言うような人ではないと、分かっているけれど。

「冗談にしては面白くないんじゃないか?」

 幾度も繰り返してきたやり取りに、エスパーダの顔にも苦笑が浮かぶ。しかしそれは不快感から生じたものではなく、どうしたら信じてもらえるか思案しているようだった。

 湧き出ずる泉のように、温かな気持ちがソネットの胸から溢れ出す。

「ありがとうございます。すごく、嬉しいです」

 好きな人に、自分の詩を楽しみにしてもらえる――。その喜びは他にないくらい大きいもので、まさに謳い手名利に尽きるというものだ。

「俺もしばらくはネモにいるからな。時間を見付けて聴きに行く」

「はい! お待ちしてます!」

 席を立ったエスパーダの後に、ソネットも続く。
 紅茶の残り香が、ふわりと空気を揺らした。


 ――Was yea ra Was yea ra
   (嬉しい 嬉しい)


 シュレリアがよく謳っていた詩のフレーズと共に、記憶の淵から、エスパーダと出会った時のことが鮮やかに蘇ってきた。

 初めてホルンの翼に降り立った時。上手く謳えるか、心の底では震えるほど不安だった。
 聴いてくれた人達は拍手をしてくれたが、それが心からのものであるという保証はどこにもない。
 
 自分の謳声は、皆の心に響いたのだろうか――。

 笑顔の裏でそんなことを思っていた自分に、エスパーダはアンコールをお願いしてくれた。
 その、彼にとっては何気ないだろう言葉が、どれだけ自分に勇気を与えてくれたことか。
 ソネットはもう一度、エスパーダを見つめその姿を瞳に焼き付けた。


 ――Wee yea ra ene foul enrer
   (詩は不思議だといつも思う)

 Wee yea ra ene hymme syec mea
 (詩は何よりも心の奥底を振るわせるものだと)

 Was yea ra hymme mea ks maya gyen yeal
 (幸せの魔法紡ぐように私の琴線かき鳴らす)

 innna ar hopb syec mea ya.ya――!
 (深い深い心の淵で)


「エスパーダさんの言葉って……」

「何だ?」

「……詩魔法みたいですね?」

 まるで、彼がシュレリアの詩で紡がれた詩魔法かのように、ソネットにとってエスパーダの存在はそのヒュムノスと一致していた。

 エスパーダは、意味が分からないといった風に顔をしかめた。

「いきなりどうした。妙なことを……」

「いえ、ちょっと思っただけです」

 ――詩が、私と貴方を繋いでくれている。 だから、今は、ここでお別れ。
 また、すぐに会えるから……――。


 ――Wee yea ra ene foul enrer
   (詩は不思議だといつも思う)

 pomp yor en yor. Was
 (詩はなによりも記憶の宝石箱を作るもの)


「またな」

「はい。また後で」


 harmon en mea
 (それこそが詩)

 Was yea ra chs hymnos mea――
 (私は謳になる)












*


 
 アルペジオ最終話ラストの、2人のやり取りが好き過ぎて遂に手を出してしまいました。エスパーダ×ソネット。

 謳う丘エオリアverのヒュムノス歌詞が、数あるヒュムノスの中でも一番好きなので、大好きな2人のお話で使えて本望だったり。
 謳ってるのは志方さんだけど、エオリアverなんでソル・シエールではシュレリア様ってことで……。

 この2人の間にある愛は、なんかもう恋愛とか超越しちゃうくらいあったかほのぼのな気がする。
 手を繋いで歩く熟年夫婦的な。





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