「―――智哉様」
呼ばれて、眠っていたのだと気がついた。
サイドガラスに映るのは真っ暗な夜道に照らされる、エントランスの淡い光。見慣れた風景に、ああ着いたのかと軽く頭を振った。
「お迎えはどうなされますか?」
「……朝、いつもの時間に到着したら連絡をしてくれ」
「かしこまりました」
長い付き合いの運転手は、この場所が俺の自宅でないと知っていても口を挟まない。それどころか最近では、帰宅場所に自宅を告げればガッカリされる。
俺の姿が消えない限り発車しないのは分かっているので、開いた扉から身を出し目的のマンションへ足を向けた。
正面に置かれた機械に手を添えれば指紋が確認されて、重い扉が横へと開く。「お帰りなさいませ」と頭を下げるコンシェルジュに軽く手を上げて専用のエレベーターに乗った。
最上階までのぼる箱の中で、マンションを買ったと笑った時の男の照れた顔を思い出す。
『お前を迎える家だ、最高の物件でないとな』
軌道に乗ったとはいえ、彼方にはきつい出費なハズだった。
俺はどんな場所だって構わないと眉を寄せたら、返ってきた返事がそれで。嬉しくない訳ではなく、ただ、負担になりたくないと思った。せめて半分出そうと切りだすも、結局は笑って拒否されたのだ。
ふたりが帰る家。
多忙を極める日々の中で、会える時間は少ない。
日本にいない事だってあるし、眠った顔だけを互いが眺めて終わる日でも貴重だといえる。
―――それでも、俺達の帰る場所が、ここにあった。
「………え」
ロックを解除して入れば、なぜか室内に電気が点いていた。
「お帰り、今日は早かったな」
「え、どうして…?」
「ん?」
今日、ここにいる筈のない男がリビングで寛いでいた。
「彼方…」
「ん?」
「今日……結婚記念日、だろ」
今日は、俺達が10年ぶりに再会して――――はじめて、気持ちを確かめあえた日だ。
けれどそれ以上に大切な日でもある。
彼方が、政略結婚とはいえ、幼馴染と結ばれた日。
どう足掻いても俺だけのモノにはなれないと、思い知らされる日の、ハズだった。
いくら政略結婚で互いに納得した偽装だとしても、憎み合っている訳じゃない夫婦の記念日だ。その日に2人が祝う事に、俺が異議を唱える資格は無いと思っていた。
だからこそ、今日この日に、彼方がこの家にいる意味がわからない。
「……奥さんはどうした」
「家にいるんじゃないか?」
「ならどうして…お前が此処にいるんだ?」
「は?」
心底意味がわからないといった表情の彼方の後ろには、綺麗にセッティングされた夕食が並んでいた。
いつもより豪華なそれらは、まさに記念日に相応しいディナーで。
俺は無意識に震えだす腕を止めようと、肩腕だけを強く握る。
その腕を、掴まれた。
「智哉……」
「………」
「智哉」
今度は包み込むように、抱き締められた。
互いの心音が重なるように繋がる。
大切な者に言い聞かせるような優しい声が、耳元で響いた。
「あの日――――俺達はふたりとも、互いにずっと大切にしてた相手に想いを打ち明けた」
俺はお前に、アイツは親友に。
呟く言葉は真摯だった。
肩の乗せられた顎の感触に体の芯が震えて、彼方の広い背の後ろで指を絡めようとしたけれど…最後の最後で、やはり躊躇ってしまう。
「智哉」
何度も俺の名を呼びながら、彼方は回していた腕を外して俺を離す。
両肩を持たれながら見つめられれば、真っ直ぐな瞳を逸らす事は出来なかった。
「智哉」
何度も、何度も。
それは情事を連想させて、不謹慎だと思いながらも熱くなる。
壊れモノのように左手を持ち上げられ―――視線を重ねたまま、彼方の唇が俺の薬指に口づける。
何も嵌めていない、左手の薬指。
儀式のような行為のその意味を。
ああ、そうか。
俺はあの日、この指に、見えない指輪を嵌めたのか。
「確かな形が欲しいなら―――二度と外せない指輪を贈ろうか?」
甘く低いその声に、必要ない、と小さく呟く。
あの日、想いが通じたあの瞬間に
俺達は深く結ばれていたんだ。
*end*
え、あ、うわ、うわあ、あああ…なんですか、本当に、こんな、素敵な…!!!
ほんと言葉が出ない。大好きなんです、そもそもともさんのお話が大好きなのに、まさかうちの子を…!!私が書くのより遥かにかっこよくて涙が出てきます…よかったね、智哉、本当によかったね…!!
ともさん、素敵な小説を、本当にありがとうございました…!!
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