すき、きらい、すき、 | ナノ


(最終話直前辺り)





そうして二人は、幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。





【Happily ever after...?】





いくつもの障壁を乗り越えて、愛し合う二人はついに結ばれる。困難を共に乗り越え苦楽を共にした二人の絆はなにより強く、その後どんなことがあろうとその愛が揺らぐことはない。そうして二人は共に、永遠に幸せに暮らす。
物語とは、斯くあるべきだ。
誰もが望む大団円。お話の終わりの、もっと先。幸せな結末のあと、そこにはなにも書かれていなくとも、読者はみな永遠に続く愛と幸せを、信じて疑わない。



(そりゃあそうだ、誰だって物語は美しくあってほしいと思う)



望まれるは美しく揺らぎのない愛、そして未来。
しかし、永遠であれと古くから望まれるということは──つまりそれは、現実においては叶わぬことの方が多い願いであるからで。



(だからこその夢物語、ってか)



思った傍から、苦笑いが零れ落ちる。
まるで物語の主人公のように数々の苦楽を乗り越えたのちに久谷とめでたく結ばれたはずの桐生。現在幸せ絶頂であるはずの彼は、今まさに、その現実に立ち向かわなければならない状況に立たされていた。






「で、なんでまた私の元へ……」



嘘のように綺麗な顔立ちの和風美人が、ため息を吐きながら眉を下げた。隠そうともせずに向けられる呆れた眼差しは、今や遠慮もへったくれもない。こいつも取繕うことなくなったな、と容赦のないそれを受け止めながら、しかし桐生も桐生でむっと口をへの字にした。



「だってあいつとのことを相談なんて、お前か雨宮くらいにしかできねえし」
「だからといって、そんなケンカ状態で私に頼るなんて、火に油を注いでいるようにしか見えませんが?」
「……それは別に、俺が一方的に怒ってるだけだから」



あいつは、なんも気にしてねえよ。
らしくもなく消えるような語尾。拗ねたようにそう言う生徒会長に、彼の親衛隊長である仁科は眉を下げて苦笑した。あの久谷委員長に限って、溺愛最愛の恋人の動向を気にしないなど、そんなわけがないのに。そうは言ったところで、今の彼は聞き入れなどしないだろうけれど。
当の桐生は仁科にそんなことを思われているとは露知らず、出されたマグカップを握り締めながら深々とため息を吐いた。



『今さら怖気づくんなら、最初から手なんて出すんじゃねえよ……!』



思わず怒鳴ってしまった言葉。それに、久谷は酷く困惑したような顔をしていた。それに憤っていいのか、落ち込んでいいのか、桐生にはわからなくて。
きっと、傍から見ればそんなに大事ではないのだ。犬も喰わぬような、些細な出来事。しかし桐生にとっては一大事で。

――なんたって、二人にとっては初めてのケンカだったから。

就任当初からその役職の関係上、犬猿の仲と言われてきた二人だったが、しかし実際にそう揶揄されるほどの付き合いさえなく。必要最低限しか話さず、関わらない。そんな二人だったから、こうして声を荒げてケンカをするなど、初めてで。正確には、ケンカと呼ぶにも忍びないような一方的な怒りではあるけれど。



「はー……」



こんなことで揺らぐような絆ではないと信じているし、壊れるわけがないという自信もある。けれど、自らが放った言葉が悪かった。
まるで、久谷の気持ちを疑うような、試すような。そしてその言葉に対して、久谷は怒るでも否定するでもなくて。そのことが、桐生の心をどうにも悶々とさせた。



「桐生様」
「んぁ?」
「……なにも聞いてませんから、話していてもいいですよ」



呼ばれて意識を戻せば、少しだけ目を細めて、ふわりと綺麗に笑う仁科。どれだけ呆れようと、下らないと思っていようと、結局はこうして話を聞いてくれる。相変わらずこいつは俺に甘いなと思いながら、桐生は情けなくへにゃりと眉を下げた。
そうしてその情けない顔のまま、一言。



「言わない」
「は?」
「言わないよ、これは。ちょっと頭冷やしたくてここ来ただけだから」



そう言って笑えば、呆気にとられたように長い睫に縁取られた瞼がぱちりと瞬いて。そうして一瞬だけ口を閉ざすと、すぐに呆れて嘆息した。



「なんですかそれ」
「精神安定剤、みたいな?」
「またそうやって調子のいいことを言って」



文句を紡ぐ唇は、しかし楽しそうに喉を鳴らす。そんな仁科に、桐生はゆるりと目を細めた。

頼っておきながら、肝心なことは話さない、なんて。
我儘だろうか。身勝手だろうか。
だけど、感情を持て余して戸惑い、とりあえず冷静になるべきだと思った頭にまず浮かんだのは仁科だったから。仁科の傍ならば、血の上った頭も冷静になれる。頭を冷やせる。そう確信があったから、一も二もなく真っ直ぐここにやってきた。
それに、仁科だって。この笑顔ならば、きっと。きっと彼だって、理解してくれているから。なんだそれと言いながら、しかし桐生が口に出すつもりがなかったことを、彼は当然のように気づいていたから。

真正面で笑う彼の顔を見ながら、桐生はゆるりと目を細める。頭に過るのは、ほんの一週間ほど前にも思っていたこと。



(――なにを言わずともすべてをわかってくれるのは、きっと、仁科だ)



思いながら、しかし頭に浮かぶのは恋人の顔。仁科の淹れてくれた温かいコーヒーに口を付けながら、桐生は小さく息を吐いたのだった。








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