すき、きらい、すき、 | ナノ





「…わかった、仁科親衛隊長だな」



無感情な小さな声でそれだけ告げて、ゆっくりと離れていく体。
そのまま一度も振り返らずに部屋を出ていく背中が傷ついていたように見えたのも、それを拒絶したにも関わらず引き留めそうになったのも―――きっと、気のせいだ。






であることさえ






すぐにやってきた仁科と、風紀の救護班。救護班なんて大層な名前がついてる彼らは、しかし実際はただの生徒相手の後処理係りだ。
入ってきて俺と目があった仁科はすぐ状況を理解し、処理道具だけ受け取って他の奴らは外に出してしまった。必要な物を持っているだけで特になにか特別な技術なんかを持っているわけではないただの生徒よりも、アフターケアは仁科の方がありがたかったから、戸惑う彼らに仁科に任せて大丈夫だと告げる。そのあとは、仁科が掻き出したり拭いたりするのに身を任せた。

なにもする気にはなれなかった。
今はなにも、考えたくなかった。



「はい。とりあえず、今できることは終わりました」
「………」
「桐生様…立てますか?」
「…ああ、ありがとう」



酷い抱かれ方をした体はギシギシと軋み、悲鳴をあげているようで。しかし差し出された手は取る気にはなれず、自力でベッドから立ち上がった。
綺麗になった体で、いつのまにか用意されていた新しい下着と制服を身につける。そう言えば制服どうされたんだっけ、と思い出そうとして、すぐにやめた。あんな忌々しい記憶を呼び起こす必要なんてない。今腕を通せる新しい制服が手に入ったんだから、それでいいんだ。


姿見に写る自分は、思っていたよりもずっと、いつも通りの自分だった。
きっともう、今の俺を見て強姦されたと直後だと思うやつはいないだろう。いつもの、不遜で傲慢な俺様会長。まあ、爛れた空気を醸していたとしても、いつものことだと思われるだけなのかもしれないが。
最後にきちっと上まで締めていたネクタイを、いつものように僅かに弛め―――そうして俺は、再びベッドへと沈んだ。



「―――仁科」



目の前の男へと、縋るように伸ばした腕。
それに応えるようにゆっくりと近づいてきた仁科の手が俺の頬に触れる。大切そうに頬を撫でる手に擦りよると、僅かに悲しげに、しかしいとおしそうに細められる瞳。しかしすぐにするりとその手は離れ、名残惜しげな表情のまま、仁科の唇が動いた。



「…久谷委員長は、どうされたのですか」
「っ、仁科」
「どうして…なぜ私を、呼んだのです…」



まるで、俺の行動を責めるような問いかけ。
真剣な表情の仁科と視線が絡み、俺はぐっと眉を寄せた。まさか、こんなことを聞かれるなんて思ってなかった。仁科はいつだって、俺にはどこまでも甘かったから。今までのように甘やかしてくれるんだと、ぬるま湯のような温さで包み込んでくれるんだと、そう思っていたから。
どうして、は俺の台詞だ。なんでそんなことを聞くんだ。お前はいつものように、なにも聞かず、ただただ癒してくれるんじゃないのか。



「お前が…仁科がいいと思ったからに決まってんだろ…?」
「………」
「久谷じゃなくて…俺は、お前が…っ!」



どうして、わかってるくせに気づいてないようなふりをするんだ。なんでよりによって今、俺を突き放すような、離れようとしているようなことを言うんだ。どうして―――…っ

伝わらないもどかしさに感極まって、身を乗り出して立ち上がる。
しかし仁科へと腕を伸ばそうとしたのと、仁科自身の腕が動いたのは、同時だった。



「―――いい加減になさい…っ!」



パシン…ッ!
乾いた音が、部屋に響く。ついですぐにジンと熱くなった右頬に、俺は僅かに目を見開いた。



「どうしてそう、あなた方は…!」
「に、しな…?」



え、一体、なにが起こって…?
動揺してなにも言えずに立ち尽くす。呆然と仁科を見つめると、綺麗な顔は切なそうに歪んで。再び近づいてきた華奢な手が、痛わしそうに、気遣わしそうに、俺の頬を撫でた。



「なぜそうやって自分を苦しめるのですか…我を通せば、いくらでも貴方は幸せになれるのに…」
「ちが、違う…!俺は、久谷じゃダメなんだって、どんな姿でも見せられるのはお前なんだって、だから…っ」
「…それこそが、久谷委員長が貴方の特別だという証明でしょう?」



そう言ってふわりと微笑む仁科に、違うと必死に首をふる。

違う、違う、違うんだ。
お前だから、俺のすべてを見せられて、俺のすべてを委ねられると思ったんだ。確かに久谷は特別かもしれない。だけど仁科だって特別で。
だから―――…



「俺に、お前を選ばせてくれ…!」



やっと、これで決心がついたというのに。迷って悩んで葛藤して、やっと、ようやく決めたんだ。俺は久谷じゃなくて、お前の隣にいたいんだと。隠す必要のない、ありのままの自分でいられるお前の隣がいい、と。
本気でお前を愛したいと、そう思ったのに。

それなのに―――どうしてお前は、そんなにも悲しそうな、苦しそうな、諦めたような顔で、笑うんだよ。







back