すき、きらい、すき、 | ナノ





目眩がする。耳鳴りがする。足元が覚束ない。
部下から呼び出しを受けた次の瞬間現れた親衛隊長と、そして救護班と入れ替わりに部屋を出る。なにも考えられず、外で待機していた部下に促されるまま、俺の足は風紀室へと向かった。






らいになんて






俺は元々、普通に考えれば風紀委員長に選ばれるようなお綺麗な人間じゃない。歴代稀に見る、怠惰で俺様で、どうしようもなく爛れた生活を送る委員長。
元々こんなだったから、人から批判されたり拒絶されることには慣れていた。この学園は少々、いやかなり特殊で。神かなにかのように崇められる一方で、他の生徒達の過剰な期待や勝手な想像にそぐわなければ、理不尽に失望されて手のひらを返したように批判されるのだ。
中にはそれに苦しむやつもいるようだが、残念ながら俺はそんな柄じゃない。だからそれをどうにかしようとは思わなかった。郷に入りては郷に従え。それがこの学園の伝統だというのならそれで構わない。その中で生きていけばいいだけの話だ。こんな生温い環境で、たったそれだけのことで生き残れなければそれまでだったということ。もちろんいつかはこれに抗い、声を上げるやつが出てくるかもしれない。その行為や可能性を否定するつもりはないが―――でもそれは、少なくとも俺じゃない。

そう、だから本当に、批判されたって中傷されたって拒絶されたって、なんでもないはずだった。誰になんと言われようと、聞き流して俺は俺であれる人間の、はずだったんだ。



(それなのに―――…)



相手が桐生だというだけで、こんなにも、痛い。
たった一言嫌だと言われ、俺から逃げるように、助けを求めるように他の人間の名を呼ばれた。たったそれだけのこと。それだけなのに、どうしようもなく、痛くて。
拒絶されることがこんなにも辛くて、怖いことだなんて、知らなかったんだ。






「あ、委員長」
「おかえりなさい」



いつの間にか着いていた風紀室。無意識に扉を開けていたらしく、掛けられた声にはっと我に返った。せめてもの反応として辛うじて微かに頷きながら視線を巡らせば、この部屋ではイレギュラーな顔を見つけて瞬く。
ああ、そうか、事情聴取か。被害者は見つかったものの、加害者の足取りは全く掴めていない。そしたら今のところ唯一の目撃者に話を聞くのは当然の流れか。

あまりのショックのせいか、今の今までそのことしか考えていなかった自分がアホらしくて笑える。まだこの件は欠片も終わってない。そんなことさえ忘れ去って自分の色恋沙汰の方ばかり気にしてるなんて、脳みそ腐ってんじゃねぇのか、俺は。



「…俺がする」
「はい?」
「こいつの話は俺が聞く。隣行くぞ、お前らはついてくんな」
「え、でも」
「お前はこっちだ」



困惑する部下を余所に、目撃者であり通報者であるチワワを立ち上がらせた。隣の仮眠室へと向かわせながら、手伝うと言う部下にいらないとだけ言って断ってやる。



「なにかわかったら連絡する。それまでお前らは他に目撃者がいないか、怪しい奴はいなかったか探しててくれ」
「委員長、」
「…頼んだぞ」
「あ、ちょっと!」



唯一俺の気持ちを知っている部下がまだなにか言いたそうなのを無視して、躊躇している背中共々仮眠室の中へと押し入ってしまう。がちゃりと扉を閉めれば、高性能の防音機能のせいでシンとした静寂が部屋に広がった。

なんだか、酷く疲れていた。
こちらを物言いたそうに見ているのを気にせず進み、ベッドの脇においてあるソファへとドサッと沈み込む。



「…久谷様?」
「………」
「なんでここにいらっしゃるのですか、久谷様」



静かな問い。
こいつからしてみれば尤もな、そして核心をつくそれに、俺は思わず苦い笑みを浮かべた。聞くなと言う方が、無理な話か。



「…んなの、拒否られたからに決まってんだろ」
「え、」
「っくそ、いいんだよ俺のことは。それよりお前が見たことが聞きたい」
「でも久谷様、」
「いいから。……早くしてくれ」



自分がどんな表情をしているのか。正直、見られたものじゃない顔である自信はある。ソファの背に頭ごと預け、隠すように腕を乗せた。こいつ相手にこんなんじゃ誤魔化しきれないことなんてわかっているが。



「…会長を連れ去ったのは、二人の生徒でした。二人とも会長より少し背が低かったから、170後半くらいだったと思います。片方は茶髪でもう片方は黒髪。彼らはこちらを向かなかったので、顔はよく見えませんでした」
「…あいつは?」
「会長は…会長はなぜか、廊下に座り込んでいたんです。そこに声をかけられて、なにか話してるみたいでした。それで会長が立ち上がったところを二人で羽交い締めにして…」



ああ、聞かなければよかったか?
あれだけ拒絶されたというのに、やっぱり俺は、桐生のことがまだ好きで。ふつふつと沸き上がる怒り。腸が煮えくり返るような殺意を覚えながら、しかしそのお陰でかえって動揺が落ち着いた俺はゆっくりと顔を上げた。
いつの間にか俺の前に来ていたそいつの淡い瞳と絡む視線。ぎゅっと拳を握り締め、酷く緊張し固い表情のまま、しかしそれが外されることはない。一瞬だけ沈黙したそいつは、意を決したように口を開いた。



「僕が…僕がそれを見たのは、五時頃でした」
「………そうか」
「…っ」



五時といえば、ちょうど俺が最後のセフレと話をし始めた頃だったはず。あれからもう、優に三時間は経っている。確かにあいつと話し込んで気づけば二時間以上経っていて、もう戻らねばと部屋を出てきたところで電話がかかってきたのだから、辻褄は合う。
しかしもうそれから三時間も経っていて、通報は一件だけ。もうとっくに授業は終わっていたから、いなかった生徒の確認なんてできないし、きっと加害者達はとっくに戻ってしまっている。



(…犯人探しは、困難か)



桐生が喋らなければの話だが。
桐生さえ詳細を話してくれれば、きっとすぐに解決するだろう。しかし逆に、それがなければ足取りはまったく掴めないまま。
そしてあいつは―――話してはくれない、そんな気がする。


ふっとフラッシュバックする、さっきの怯えたような強張った表情。犯人への怒りの方が勝っていた感情が、再び引き戻されるような感覚がして。振り払うようにパシッと膝に手をついて立ち上がる。それにびくっとした小さな体に向かって、俺はガバッと頭を下げた。



「…ありがとう」
「……え?」
「話してくれて助かった。本当に感謝してる」
「―――…っ」



情報は、確かに少ない。けれど情報がないのとあるのとでは、まったく違うから。
感謝の言葉を口にして、行きとは逆にゆっくりと顔を上げる。そうして視界に入ったそいつは、しかし泣きそうに顔を歪めていて。



「…んで、なんで責めないんですか…!!」
「………」
「どうして…っ!僕が電話したのが何時だったか、忘れたわけじゃないでしょう!?」



苦しそうに、絞り出すように訴えかけられる言葉。
忘れたわけじゃない。忘れられるわけがない。だけど、それでお前を責めるつもりはないから。

泣きそうな辛そうな顔に僅かに口許だけ緩めると、そいつの瞳から、今度こそぼろぼろと涙が零れ落ちた。



「僕はずっと知っていたのに…!ずっと、ずっと知っていて、それでも黙ってたんです!だって、邪魔はしないと言ったけど、会長が舞台から降りてくれれば僕にとっては好都合だったから、良い気味だと思ったから…!」



懺悔のように畳み掛けながら、かくんと折れた膝。ぐっと握り締められた拳が床を打つ。



「そうまでしたのに僕は、結局は怖くなって電話して…なら、だったらどうしてもっと早く……!」
「―――それでも」



ゆっくりと近づきながら口を開く。顔を隠すように俯いたまま、ぎゅうっとさらにキツく握り締められる拳。そのすぐ傍らまで歩みを進め、立ち止まる。



「それでもお前は、電話をくれた」
「…っ」
「それで十分なんだよ」



それは俺も同じだから。
私情で動いているのは、俺も同じだ。俺だってきっと、これが桐生以外だったらここまで必死になることはない。ここまで殺意を覚えることも、ショックを受けることもない。
こいつももしかしたら、桐生じゃない奴だったら気にも留めてなかったかもしれないから。桐生だったからこそ注目し、気にかけ、悩み、最後には思い直した。
そんなこいつを、俺には責められない。



俺はもう一度、桐生と向き合わなければならないんだろう。
今度は拒絶されてもなにされても、知ってしまった以上引き下がるわけにはいかない。想い人に危害を加えられて、のうのうと見ているわけにはいかないから。
私情で動き出した以上、最後まで私情で突き進んでやろうじゃねぇか。



「協力感謝する」



俯いたままの頭をぽんと撫で、俺は扉へと向かったのだった。






*end*




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