すき、きらい、すき、 | ナノ





切れる息。吹き出る汗。逸る気持ち。
悪い方向にしか向かわない予想に、早く早くと苦しいほどに焦れる思い。しかしそれとは裏腹に、一向に探し求めている人物を見つけられることはなく。

蹴り開けた十五個目の扉の先にも人影はなくて、絶望したくなるような自分の無力さに泣きたくなった。






らいならいっそ






目の眩むような怒りと焦燥。血の上りきった頭でも、しかし衝動に任せて携帯を切って無闇に探すことはせず、少しでも情報を聞くくらいの冷静さは持ち合わせていた。
走りながら、場所は!と怒鳴るように声を荒げる俺に廊下にいた生徒たちの目が集まっていたのはわかっていたが、そんなこと気にしてられる余裕はなかった。



『桐生会長が無理矢理連れてかれていたのは、特別棟の三階の廊下でした…!』



告発してくれた声の示す情報を頼りに大体の目星をつけ、そこからはもう手当たり次第に扉を蹴り開けていた。
部下にも連絡はしたから、今頃総出で特別棟を中心に走り回っているだろう。早く見つかってほしい。早く見つけたい。早く連絡がほしい。
そして同時に、見つからないでほしいと。このままなにもなく、見間違いで終わってほしいとも願う。
これが、取り越し苦労だったら、どれだけいいか。





「委員長!」
「見つかったか!?」
「いえ、この階のこちら側には誰もいませんでした…!」



向かいから走ってきた部下。報告を促せば、顔を歪めて否を告げる。

ならば、この階に―――特別棟三階に残っているのは、今俺が目の前に立っている教室だけで。
そう思った瞬間、情けないことに僅かに震えた自分の手を握りこむ。ひゅっと息を詰めてドアノブへと無理矢理震えを抑えこんだ手をかけた。



「―――…!」



開いた瞬間、嗅覚を刺激する臭い。
頭を過った最悪の予想にぎりっと歯を食い縛り、怯みそうになる自分を叱咤して中へと踏み込んだ。一見人影はなく、しかし部屋に鎮座するベッドに横たわっていたのは―――紛れもなく、探し求めていた人物で。



「き、りゅう…っ」



土気色の顔色をして、死んでいるかのように静かに横たわるその姿に、声が、掠れる。
他の人間を探すためか部下が中へと入ってくるのを背中で感じながら、俺はそっと桐生の傍まで寄っていった。お情けのように掛けられたタオルケットくらいでは隠しきれない、その上からでもわかってしまう、濃い情事の痕跡。
きっと今は、まだこの体を覆うものを剥がすべきじゃない。携帯以外なにも持っていない俺は救護班が来るまでなにもできないし、まさかこの状態のこいつを運ぶわけにもいかない。それに、今ここで桐生の体の現状を見てしまったら、自分がなにをするか、わかったもんじゃないから。


千切れるくらいに唇を噛み締め、そっと桐生の唇に手を当てて呼吸を確かめる。まさか、本当に死んでいるわけがないとは頭ではわかっていつつも、微かに掌に触れる空気の動きに心底ほっとした。
ああ、俺は、いったいなにをそんなに怯えてるんだ。



「…委員長?」
「………なんだ」
「他の委員に連絡を入れました。救護班がすぐに来ます。それと、まだ怪しい輩は目撃されてないそうです」
「…そうか」



上の空で答えつつ、さらりと桐生の前髪を撫でる。露になった端整な顔は、疲弊し、憔悴しきったもので。


違わなかった予想。
どうして少しでも早く見つけられなかったのか、助けられなかったのか、防げなかったのか。一方的に想い、焦がれ、自己満足な行動しかとれず―――好きなやつ一人、守れない。
本気で好きなんだったら、まず自分のことばかりではなく、こいつのことを、ずっとずっと気にかけるべきではなかったのか。



(今さら気づいたところで遅ぇんだよくそっ…!)



悔しさと怒りに震える拳を、ぎゅうっと握りこむ。なにもせず待つだけの状態が続くのに耐えられそうもなく、立ち上がろうとした、その時だった。
ふるふると僅かに痙攣した目蓋が、酷く重たそうに、しかし確かにゆっくりと持ち上がっていく。ドクリと大きく跳ね上がる心臓。俺は思わず、大きな声で名前を呼んでいた。



「桐生!」



ぱっと身を乗り出し、手を頬に添えながら名前を呼んで覚醒を促す。ぼうと焦点の合わない視線はふらふらと宙をさ迷ったあと、そのままゆっくりと俺を捕らえた。まだ焦点の合っていないような弱々しい瞳は、しかし突然、すべてを拒絶するかのように硬いものとなって。



「っ、俺に触んじゃねぇ!!」
「ちょっ、おい!?」
「俺はてめぇらの玩具じゃねぇんだよ!!」



突然暴れだした桐生。そのせいで辛うじて隠れていた上半身が露になる。
擦られて赤くなった肌。至るところに散っている、キスマークと呼ぶには忍びない噛み痕。そして―――体中に飛び散り乾いている、白濁。


吐き気を催すような怒りと憎悪に駆られながら、しかしぐっと堪えて暴れる桐生を抱き締めた。殴られながらも、それでも宥めるように頭を撫でる。抱き抱えるように押さえながら、俺はある言葉を紡いだ。



「やめろ!触んな!近寄るな…!」
「大丈夫…桐生、もう大丈夫だから」
「や、離れろ!もう、もう嫌だ…!」
「落ち着け、大丈夫だから…」



叩かれども突っぱねられども罵られども言い続けたその言葉は、俺がこいつに初めて会ったときにかけたものと同じで。
抱き込んで頭を撫でながら、落ち着かせようと大丈夫を繰り返していると、次第に弱くなっていく抵抗。やがて動きの止まる体。もう大丈夫かと上体を少し持ち上げると、呆然と、いや愕然とした表情で俺を見上げる桐生とやっと目が合って。確かに俺の姿を写すその瞳に酷く安堵した俺は、口元を緩めてみせた。



「…戻って、きたな」
「あ……え…?」
「ほら、もう大丈夫だ」
「え……なんで、くた、に…?」



驚いて開いた目。
一瞬前まで怒りと拒絶しか示さなかった桐生は―――しかし俺を認めた途端、その瞳に怯えを走らせた。



「あ……や、いやだ…っ」
「おい、桐生?」
「や、見るな、いやだ、俺に近寄るんじゃねぇ…!」



まさか、正気に戻ってまで、こんなに拒絶されるなんて思っていなくて。確かに俺をその瞳に写しながらはっきりと拒絶する姿に、俺は思わず固まってしまう。



「近寄るな…痛っ!」
「っおい、大丈夫か!?」



酷く辛いであろうに、ずりずりと重たい体を引き摺ってまで俺から離れようとする桐生。不特定多数の男、ではなく、明確に俺に対して示された拒絶。
しかし衝撃で固まっていた俺の体は、無理矢理体を動かした故の痛みに顔を歪めた桐生へと、咄嗟に手を伸ばしていた。



「っ、触るな…!」



伸ばした手。
しかしそれは、パシンという鋭い音ともに跳ね上げられる。



「―――仁科を、仁科を呼んでくれ…!」



ついでその口が紡いだ名前は、俺のものではなく。
しかし知っているその名前に、俺の目の前は真っ暗になった。






*end*




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