すき、きらい、すき、 | ナノ





カチャカチャとキーボードを叩く音が響く生徒会室。
今までならこの時間も、きっともっと賑やかだっただろう。
けれど気づけば、他の役員が早々に帰ってしまうのには、もう慣れてしまった自分がいた。






がすべて






「っし終わった。帰るか…」




今日のノルマを終え、のんびりと立ち上がる。他の役員はもう先に終わらせて、先に帰っていったから今は俺一人。
最近はもう、誰一人待っていてはくれなくなった。今までは噂だけだったのに急にあからさまにセフレと連絡を取り始めた俺に、他の役員、特に副会長は酷くお冠だから。会計だけは嫌悪感を抱いたりはしてないようだが、会長がいいなら俺もいいじゃんと調子にのって、俺の好感度をさらに下げるのに一役買ってくれている。まったくありがたい。




(ま、当然なんだがな)




そりゃあ今までは、本当に噂だけで実際にセフレなどいなかったのだから、連絡とっているところを見られなくて当然なのだ。だけとそれが今は、俺の着信履歴は遠慮せずに電話を掛けてくる男の名前でいっぱい。毎日のように仕事中も掛けてくるもんだから、あいつらからの印象は最悪。その場で律儀に毎回電話をとって、見せつけるように駆け引きし、最終的に承諾する俺も悪いんだが。
副会長たちは、今までは親衛隊だったから俺から持ち掛けていたのに、今は久谷になったせいであっちから掛かるようになったらしい、と都合よく解釈してくれているみたいだった。ま、天下の会長様に自分から持ち掛けられるのなんて、久谷ぐらいしかいないのは確かだけどな。


カバンに荷物をしまいつつ、着信を確認する。
今日は履歴はなし。珍しくヤらないのか、そう思いながら、ぐっと背伸びをする。確かどっかの親衛隊がやらかしたとか言ってたな。今日はその後処理に追われてるわけだ。いっつも散々ヤりまくって偉そうに上から見下ろしてくるあいつの忙しそうな姿を想像して少し笑う。ザマーミロ、せいぜい苦労しやがれってんだ。




最近はもう、セフレだということを不満に思うのはやめた。

この間、久谷のファンクラブとたまたま会ったときに思い知ったのだ―――俺はこいつとなにも変わらないのだと。セフレでいいと思っておきながら、その先を期待してしまう。久谷が自分だけのものにならないかと願ってしまう。
きっと、あいつも勘違いをしていたのだ。ファンクラブの中で、自分が一番久谷の側にいた時間が長いのだと。少しだけ、周りよりも優遇されていたのだと。だけどそれは、あくまで“セフレ”の中だけの話で。自分がその域から出ていないのに気づけなかった、いや、気付こうとしなかった。
きっと俺も、彼と一緒だ。他の奴らを切って、俺だけに絞ってくれている。それは自分から持ち掛けた話なのに、うっかりそれを忘れて勘違いしてしまいそうになる。自分だけを選んでくれたのだと、自分に都合のいいように考えてしまいそうになる。だから今、諦めておかないと。捨てられたときあいつのようにストーカー紛いのことを自分がしないとは言い切れない。
だってそうだろう?あいつは、俺の未来の姿かもしれない。セフレだと割り切っていたつもりで、いざ切られたらなにをするかわからないなんて、そんなみっともない姿を晒すことは俺にはできない。俺はやってはならないんだ。

なんて、そんなことを真面目に考えて思い込もうとしてる時点で手遅れかもな、とくつくつと喉の奥で笑いながら扉を開ける。今日は久々にゆっくり眠れる、そんなことを考えつつ、足取り軽く部屋の外へと踏み出そうとした。
しかし―――そこで待ち伏せていた二人の人物に、ぴたっと足が止まる。



「お、まえら…」
「おや、今日はお一人ですか?」
「お久しぶりです、桐生様」



俺の前に立つのは、たった今考えていた人物である久谷のファン。
そして、他でもない俺の、親衛隊隊長殿だった。







***






「それで?俺になんの用だよ」



断れる雰囲気じゃないまま、連れてこられた空き教室。空き教室とは名ばかりで、教室だったくせに机も椅子もなく、なぜかベッドが置いてあるここは通称ヤり部屋だ。こんなもんがなんであるのか甚だ疑問だがな。まあ正直、ここはあまりにも生徒会室に近いから使われることは滅多にないらしいが。


久谷のファンに二人で遭遇してしまってから数日、すぐに向こうから俺に接触があるだろうと思っていた俺にしてみれば正直不気味なほどなにもなかった。どう考えてもあいつにとって憎いのは俺だから、たとえなにかあったとしても俺だけだろうと思って久谷には大丈夫だと言ったが、ここまでなにもないなら案外ビビって俺の方も大丈夫か。そう思っていたのだが、そうは簡単にいってくれないらしい。
むしろあいつはビビっていたわけじゃなく、冷静に作戦を練っていた、と。よりによって俺の親衛隊長とつるむなんて、さすがに予想外だ。なんとも厄介な奴を連れてきてくれたもんだ。



「私たちがお会いしにきた意味などおわかりでしょう?」
「…わかんねぇって、言ったら?」
「わかっていただくまで、ですよ」



そう言ってふわりと笑う隊長に、ひくりと頬が引き攣る。さすが、学園最大の親衛隊を率いる隊長だ。そこのファンクラブのトップとは役者が違う。

わかっている。我が隊長殿は怒っているのだ。なぜならこいつは、誰よりも一番良く知っているから―――俺に、セフレなんかいなかったことを。
ヤリチンだビッチだと散々な噂を立てられていたのを止めずに、否定しないでくれと頼んだのは他でもない俺だ。俺の勝手な我儘で、セフレ集団だと見られ蔑まれるのを否定もできずに耐えているしかなかった彼ら。ただ、俺のことを好きでいてくれているというだけで、俺からの見返りはなにもなく、けれど俺の誠実さを信じ、理不尽な蔑みに耐え続けていてくれた。
その報酬が、これだ。気づけば俺は久谷というヤリチンのセフレに成り下がっていて。さらにそれが学園に広まれば、彼らは俺に切られた捨てられたと嗤われることになる。

正直、彼らには申し訳ないことをしたと思う。
いつかは謝らなけばと思っていた。
だけどまさか、こんな最悪な形でバレることになろうとは。



「あなたが、久谷様のパートナーになったって話をしてみたんですよ。そしたら、面白いことを聞いてしまって。あなたは…」
「桐生様、私は貴方の口から直接聞きたい。貴方は、本当に久谷風紀委員長のセフレになられたのですか?」



意気揚々と語ろうとする久谷のファンを押し退けて、隊長が俺を見る。
黒い瞳に真っ直ぐに見つめられて、俺は俯くしかなかった。



「…悪い」



ぽつり、呟いた声が部屋に吸い込まれていった。
続けてだけど、とみっともなく弁解しようとして上げた視界に、切なげに目を細める顔が映って言葉が詰まる。



「そう、ですか。本当なのですね…」
「…」
「…申し訳ありません桐生様、私、この方に話を持ちかけられた時、そんなわけがないと否定しようとして、話してしまったのです。我々と貴方が、どういう関係なのかということを」



悲しげに俺を見つめる美人が、諦めたように笑った。
近づいてきた彼の手が俺の頬を滑る。けれど、その手から逃げることはできなかった。



「そして―――貴方が、あの方のことをどう思っていらっしゃるのかを」
「えっ…」
「なにを驚いてらっしゃるんです。貴方をお慕いし、ずっと見守ってきたのですよ。貴方の気持ちが誰へと向かっているのか、私にわからないわけがないでしょう?」



なぜセフレがいるという噂を否定しないのか、理由を話したことはなかった。まして、誰にもこの想いを話したことはない。
それなのに、まさか、ばれていたなんて。もしかしてこいつは、俺が遊んでると見えるように装う理由をわかりながら、協力してくれていたというのか?

ここでやっと、全貌が見えてきた気がする。
どうして、どこか悔しそうな隊長の隣で、あいつがこんなにも勝ち誇った顔をしているのか。



「ねえ会長様、僕は知っちゃったんですよ、そのことを」
「…っ」
「もちろんご存知ですよね?久谷様のポリシー。そのために自分の親衛隊を利用してたくらいだから、そりゃあ知ってるか」



ニヤニヤと笑うそいつを睨みつける。わかってる。俺が悪いのはわかってるが、こいつに責められる覚えはない。結局九谷に執着するお前も、俺と同じじゃねえか、なにが違う。



(…―――いや、違うか)



すっと冷める思考。
もう一回捨てられているこいつと俺では、違う。
こいつはもうなんだってできる。もう失うものはないのだから。
だけど、俺は―――…



「このことを僕がうっかり久谷様に話しちゃわないためにも、大人しくしててくださいね、会長様」
「…申し訳ありません桐生様。だけど、我々のような者に付けいられる隙など、貴方は決して見せてはならないんですよ。こんなにも、狂おしく貴方を欲しているような人間は、その隙を見逃しなど、しませんからね」



こう言われてしまうと、俺にはもうどうしようもない。体だけの関係だがそれでも。それでも俺は、久谷に捨てられるのが―――どうしようもなく、怖いから。
逃げ場も反論の余地もない状況に、俺はぐっと唇を噛み締めた。




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