季節小説 | ナノ
私の友人は、酷く臆病な恋をしている。
【四月馬鹿】
静かな生徒会室に、ペンを走らせる音だけが響く。
昼間だったらわいわいと騒がしい面子は、一人、また一人と仕事を終えて帰っていって、今やここにいるのは私と会長だけになっていた。これは毎日のこと。どうしても雑用やら何やらで他の役員より仕事の多い会長と副会長が最後まで残ることになるのは仕方がないことだった。
時計を見ると、もう九時になろうとしていた。もう帰るべき時間だ。だけどその前にとりあえず、甘い紅茶でも淹れて疲れを少しでも取ってもらおうか。会長の集中を切らないようにそっと立ち上がり、私は給湯室へと向かった。
「はい会長、休憩にしましょう?」
「…ん、あぁ、ありがとう。もうこんな時間か」
淹れてきた紅茶を会長の机に置く。顔を上げた会長が、目を瞬きながらカチャリと眼鏡を外した。一口だけ甘い紅茶を口に含んだ会長がほんの少し口許を緩めるのに満足し、自分の席へと戻る。
我が学園の現生徒会長、神埼司(カンザキ ツカサ)。
彼は優秀な人間ばかりが名を連ねる歴代の生徒会長の中でも稀に見る有能な会長として、幼中高大全校へとその名を轟かせていた。天は時に、人に一分も二分も与えると言われるが、まさに彼は何分も与えられた人間で。彼が周りから卓越しているのは能力だけではなかった。
さらさらの黒髪に切れ長で涼やかな瞳。そのストイックな美しさは、逆に匂い立つように色気を垂れ流していて。まるで神に愛されているかのようなルックスと優れた頭脳、天性のカリスマ性でもって、全生徒を魅了していた。
「九時過ぎましたけどもう上がりますか?」
「あー、そうだな…ったく、年度末は雑務が多すぎだ」
紅茶を飲みながら書類を捲る会長にそろそろ頃合いかと声をかけた。首を回しながらぶつぶつ文句を言うのに苦笑しつつ、紅茶を下げるために席を立つ。
タイミングを読み違えることはない。伊達に幼稚舎からの付き合いではないから。中学でもともに生徒会ツートップを務め、この学園で過ごす大半をともに過ごした。あまりのスペックの高さに崇め奉られ、彼と対等に話せる人間が少ない中で、彼の隣に立つことができるのは私だけだという自負がある。
彼と最も近い関係にあるのは私だ―――ただ一人、彼の大切な大切な幼なじみを除いて。
「あ、そうだ…お前これから俺の部屋来る?」
「え?これからですか?」
「あーうん、今日ケイが来るから。あいつ、お前の紅茶気に入ってて」
また飲みたいって言ってたんだ。
そう言って、ほんの僅かに微笑する。
なるほど―――今日は月に一度の“逢瀬”の日だったか。
「それは光栄ですね。では、ぜひ」
「さんきゅ。んじゃ帰るか」
心なし弾んだ声。部屋を出たあとも、普段より少しだけ饒舌な口。
なんだか微笑ましくてくすりと笑う。
彼が柄にもなく無意識に浮かれるほどに会うのが楽しみな相手、大切な幼なじみ、それは―――学園一のフェロモン男、葛西啓介(カサイ ケイスケ)、その人だ。
家柄もいい、頭もいい、そしてそこに美しさも兼ね備えている彼は、当然のように生徒会の候補だったにも関わらず、遊びたいからという理由で入るのを拒否した猛者。今私がこうして副会長をすることができているのは、葛西が断ったから、という面が大きい。
それはさておき、葛西という男は天性の美貌と話術で人を虜にするプロで。あの柔らかく癖のついた黒髪の間から見つめると、それだけで昇天させられるなどという下世話な噂が飛び交うほどのプレイボーイ。
話題性と知名度は同等な二人。
しかし決して学園の人間の前では二人が話している場面は見られない。いっそ潔いほどの赤の他人。
だけど―――実際の二人は正反対。寧ろ誰も二人の間に入る隙間などないほどに仲のいい幼なじみ。
(まあ私から言わせれば、ただの幼なじみってだけじゃないけれど)
彼の話をする時、彼といる時、会長は普段見せない表情を見せる。嬉しそうで、楽しそうで、大切そうで、愛おしそうで。普段だって別に無表情なわけじゃない。だけど、あれだけ素直に感情を表現する会長を、私は見たことがない。
「ケイ、お待たせ」
いつもの場所で本を読みながら何気なく待っていた人物にゆったりと近寄る会長。その表情は、とても柔らかい。
「ほら、来てもらったよ。お前また紅茶飲みたいって言ってただろ?」
「え、また飲ませてもらえるの?嬉しいな…よろしくね、副会長さん」
「いえこちらこそ」
こちらも普段とは違って酷く優しい表情で笑う葛西に微笑み返す。葛西のこんな表情だって、会長の前以外では決して見られるものじゃない。
彼らが人前で喋らないのは騒がれるのが面倒くさいからだと言っていたが、本当の理由がそんなんじゃないことはわかっている。お互いの立場を理解していて、だからこそお互いに迷惑をかけないため。相手のことを優先したからこそ開いた距離感。だからその分を埋め合わせる化のように、彼らはこうして、一ヶ月に一回だけ会長の部屋で会う時間を作っていた。
といってもなにをするわけでもなく、ただ喋っているだけ。だけどそれだけで、二人とも酷く幸せそうで。
「司昨日、昼に廊下歩いてて転けそうになったでしょ」
「え、なんで知ってんだよ」
「だって見てたから。俺の教室から見えるんだ、あの廊下。思わず笑いそうになったよ」
学園でトップを争う色男が二人。並んで、他愛もない話をして、笑いあって。それはもう迫力と色気がありすぎて見ていられないような画になるだろうと思うのに、そんなことはなく、その光景はただただ暖かくて。
お互いがお互いを、本当に大切に思っていることが伝わってくる。こんなにも愛しているということが伝わってくる、のに。
「そうだケイ、また風紀から注意されてただろ」
「あーうん、校内で誘われちゃってね。かわいい子の誘いは断れなくって困ってたら、見つかっちゃって」
「仕事増やすなよまったく…」
この二人は、決して想いを伝えあうことはない。
大切すぎて、想いすぎて、酷く臆病になっている二人。
―――早く、気づけばいいと思う。
自分が相手を大切に思っているのと同じように、相手だって自分のことを大切に思ってくれているのだということを。とても簡単なことだけれど、きっと二人にとってはとても難しいこと。
完璧だなんだと言われ、いつでもどこでも自信に満ちている学園の王様は、一番大切なものに関しては、酷く臆病な少年だった。
***
「…ふぅ、これで一段落か」
「そうですね、紅茶でも淹れてきましょうか」
「ありがとう。あー、もう日が変わるな…」
あの“逢瀬”から数週間。私たちは相変わらず仕事に追われていた。この間のような雑務ではなく、新入生へのレクリエーションの準備。だからこそ三月最終日の今日までにまとめなきゃならないことが山積みで、私の部屋に書類を持って帰ってきて最後の見直しを行っていたところだ。
けれどもうそろそろ日も変わって四月になる。最終学年として気合いをいれなければならないな。なんて、そんなことを考えながらキッチンで紅茶を淹れていると、リビングの方から話し声が聞こえてきて、動きを止めた。
「はい、神埼」
『――、―――』
「ケイ?どうしたんだ、こんな夜中に」
『――、――――』
電話の相手は、他でもない葛西。
少しぶっきらぼうに答える会長の言葉がどこか優しい。相手を心配しながら、それでも思いがけず聞くことのできた幼なじみの声に、嬉しさが滲んでいる、そんな声。
「はは、なんだ突然。…また一年が終わるな、お疲れさま」
『―――、―――』
「確かに。一日はまだ年度切り替わらないのか」
他愛もない会話。
会長の低く甘い声が、部屋に優しく響く。
『――、―――――』
「俺に?」
『――――』
「…なんだ、どうした?ケイ?」
『―――』
「え―――…」
瞬間、固くなったそれ。
しかしそのあとすぐに、会長は小さな笑いを漏らす。
「なんだそうか、まさかお前がな…奇跡が起こったわけだ」
『―――、――、―――――…』
「…そうか、本気なんだな」
『――、―――』
「おめでとう…俺もなんだか嬉しいよ」
葛西がなにを告げたのかはわからない。
だけど、それを聞いて会長はどこか嬉しそうで。だけど同時に、酷く切なそうで。
「…俺もお前に言うべきかな」
『――、―――』
「俺にも、好きな人がいるんだ」
『―――、―――』
「あぁ…すっげぇ大切な人。初めて、好きになった人」
『―――――…』
「その人なしに、今の俺はない…本当に、欠けがえのない人なんだ」
静かな声。
その声は切なげで。だけどどうしようもなく、愛おしそうで。大切な人なんだと、苦しいくらいに訴えていて。
それなのに、それを伝えるべき相手はここにはいない。
「……本当に、不器用ですね…」
二人がなにをしようとしているのかわかってしまって声が震える。
自分のことじゃないのに苦しくて、ぎゅっと胸の辺りを抑えた。
「てかお前、バレバレだ」
『――――』
「そりゃそうだ、俺を誰だと思ってる」
『―――』
「…うっせぇよ」
ずるずると、壁づたいにしゃがみこむ。
そうでもしなきゃ、今にも飛び出していってしまいそうで。
『「Happy April Fool」』
「―――俺は誰も、好きになんかならねぇよ」
*end*
はっぴーえいぷりるふーる。
あの日彼らは、ついてはいけない嘘をついた。
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