short | ナノ
「あれ会長、それ確か去年も来てませんでしたか?」
「…ああ、毎年来てる。本家からの招待状だ」
手に持った無駄に装飾の凝った封筒を見つめつつ、今年もこの時期がきたかとため息を吐いた。
【濁り、歪みゆく】
生徒会室で副会長とあの会話をしたのは三日前。もちろんあの招待状への拒否権なんざ俺にはなくて、今俺は豪華に飾り付けられた本家の大広間にいた。生演奏により流れるBGM、次々と運ばれてくる豪勢な食事、集まる著名人。日本でここまで派手なクリスマスパーティーもなかなかないだろう。
毎年恒例の、黒瀬(クロセ)家のクリスマスパーティー。親戚が一同に介する新年と違い、黒瀬の本家と付き合いのある様々な人々が招待されるパーティーだが、親戚という括りであっても当主の弟一家という最も親い関係であるうちにも毎年招待状がきていた。長男である俺も招待され、幼い頃から毎年欠かさず出席している。
「あら和仁(カズヒト)さん、いらしてたの」
「ご無沙汰しています」
「ふふ、私はご無沙汰な気がしないわね。貴方のお噂はかねがね。生徒会長として、素晴らしい働きをしてくださってるらしいじゃない」
「できうる限りのことをさせて頂いただけです、学園のためですから」
別にここに来るのが嫌なわけではない。ただ、ホストなのか、招待客なのか、はたまたただの黒瀬家の装飾品なのか。非常に微妙な立ち位置になってしまうのが何年こようと慣れなくて面倒なだけで。
まあ、このお屋敷自体に良い思い出がないというのも大きな心的要因なのだけれど。しかしそれももう過去の話だ。そろそろトラウマから抜け出すべきだとも思う。
「ふふ、さすが和仁さんね」
「いえ、理事長のお力添えがなければ私などなにも、」
「あらあら、可愛い甥っ子に理事長なんて呼ばれたらあの人悲しむわよ?」
「ああ…そうですね。すみません、つい癖で」
ホストである美しい女性との談笑。分家であるうちへの侮りの目も、なんとかもっと繋がりを持とうと俺にまで向けられる媚を売る目も、この年にもなれば慣れきってしまってもうなにも感じなくなってしまった。だけどそんな打算ばかりの会話と付き合いのなかで、この人との会話はまだ楽しいと感じられる。思わずくすりと微笑むと、美女はふふっと綺麗に笑った。
「やっぱり素敵ねぇ、私があと10歳若かったら…」
「え?あはは、光栄です」
「うちの子とは大違いだわ…まったくあの子ったら、挨拶にも出てこないでなにしてるのかしら」
「えっ、」
「あら、言ってなかったかしら?あの子、今帰ってきてるのよ。和仁さんとは六年ぶりくらいかしらね」
にこにこと笑いながら続けられる言葉は、もう頭に入ってこなかった。
―――あの子、今帰ってきてるのよ。
その言葉に、ぞわりと背中に悪寒が走る。血の気が引き、全身に鳥肌が立つのがわかった。
そんな、そんな馬鹿な。まさか、あの人がいるなんて。嘘だ、そんなこと聞いてない。
ちょうどその時、入り口の方がざわっと色めきだつ。それに反応して、叔母は俺の様子に気づかずに俺に決定打を与えてくれた。
「噂をすればだわ。ほら和仁さん、あそこに…」
「…っ」
「えっちょっと、顔が真っ青だわ和仁さん。大丈夫なのっ」
心配そうな顔で聞かれても、答える余裕なんて俺にはなくて。
「っ、すみません、少し失礼します…っ」
そう一言だけ絞りだし、震える脚を叱咤して注目の集まる扉とは反対の扉へと走り去った。
だから、その場から一刻も早く消えることしか眼中になかった俺は気づかなかったんだ。広間から全力で逃げ去る俺の後ろ姿を見つめる、一対の目があったことに。
***
ザーと水の流れる音をバックに、バシャバシャと顔に水を思いきりかける。冷たい水に冷やされて、さっきよりはまだましになった気分に、シンクの端に手をかけてふーと細く息を吐いた。俯いた輪郭からぽたぽたとシンクに落ちる水滴。
ついさっき胃液の遡った食道がヒリヒリと痛みを訴えていた。胃の中になにもなかったのが、まだ救いか。
「…っち、くそったれが」
ガバッと勢いよく顔を上げ、鏡に写る青白く情けない自分に舌打ちをした。
なにが、トラウマから抜け出すべきだ、だ。こんなにも一瞬で引き戻されるというのに。なにもわかっちゃいなかった。何年経とうと、あの記憶は消えてなんかいなかった。
その記憶にいつまでも囚われている―――俺は、なんて、弱い。
「…やべ」
今何時かと時計を見ると、広間を抜け出してから優に三十分は過ぎていて。さすがにこれ以上外すのはやばい。不自然だろうと慌ててまだ濡れていた顔を拭いた。
そうして最後にパンッと両頬を叩いて気合いを入れ、洗面室の扉を開ける、と―――…
「随分長かったな、カズ」
「な―――…」
「そんな顔してどうしたの、俺の顔忘れちゃった?」
扉を開けた外で、ベッドに腰掛けて待っていたのは―――紛れもなく、俺のトラウマそのもので。
ふわりと綺麗に笑うその人の前で、俺はそこに根っこが生えたかのように動けなかった。目を見開いたまま固まってしまった俺に苦笑して、組んでいた長い脚を解いたその人は、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「久しぶりだね、何年ぶりかな」
「―――貴仁(タカヒト)、さん…」
「ああよかった…せっかく愛しい従弟に会いに遙々日本に帰ってきたのに、忘れられてたらどうしようかと思ったよ」
目の前まで迫ったその人。最後に会ったその時よりも、遥かに俺の身長は伸びていて、重なってしまいそうな視線に堪えられずに俯いて視線を落とした。しかしすぐに前と変わらない長い指が俺の顎を捕らえ、ぐいと無理矢理上向かせる。
「もう十八か…成長したね、色気が出たな」
じろじろと無遠慮に観察される。観察されるというよりも、纏わりつくような粘着質なその視線を受け止めるのは、寧ろ視姦されているかのようで。これじゃあダメだと、このままだと六年前と同じだと、頭のなかで警鐘が鳴り響く。
顎を捕らえていた指がいとおしそうに頬をなぞる。その触れ方にぞっとして、咄嗟に目の前の体を押し退けていた。無理だ、こんなの、堪えられるわけがない。
「…おや、拒絶するなんて酷いなカズ」
「うるせぇっ…」
「そういう悪い子にはお仕置き、かな?」
「―――っ」
酷く楽しそうにくつくつと喉を鳴らす音。フラッシュバックするものを必死に払い除けどもチラつく忌まわしい記憶。いやだ、違う、もう俺は、あの時の俺じゃない。
押し退けどもそれ以上逃げることも動くこともできない俺に、ふわりと笑って背を向ける。そうして再びベッドに腰掛けると、その人は無情にも俺へと手を差しだした。
「…っ」
「―――おいで、和仁」
震える体。行きたくない。行ってはいけない。行けるわけがない。
けれど―――行かないとどうなるのか、自分に、家族に、なにをされるのかを苦しいほどに教え込まれた記憶は、六年経とうと色褪せはしなくて。
「…そう、いい子だ」
「っ、うわ!」
差し出された手に乗せた自分のそれ。
瞬間、がっと一気に引っ張られる。寸前まで迫った端正な顔が、恐ろしいくらい綺麗に笑った。
「ふふ、 かわいいね…俺から逃げられるとでも、思ってたの?」
嗚呼―――…引き込まれ、る。
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