そして、セカイは廻る | ナノ





「ふ、ぅ、ッ…」
「どうしたユウヤ、欲しくないのか?」
「ッは、ァ…」
「ほら、おいで」



差し出される手。霞む視界をチラつく銀色の髪。
嗅覚を刺激する知った匂いに。聴覚を刺激する甘い声音に。
そしてなにより、恋い焦がれていたその姿に―――…



「…そう、良い子だ」



理性など持ち合わせていない獣は、本能に従うのみだった。













「―――っ!」



目が覚めて、ガバッと飛び起きる。
荒い息。上気している体。下半身に嫌な感触。
一応パッと布団を捲って確認し、案の定なその惨劇にばたっと後ろに倒れ込む。低反発の枕にぐりぐりと頭を擦り付けた。



「あー…サイアク…」



しかしそうしていたって一瞬にして綺麗にしてくれる人物はいない。いや寧ろあいつの場合は、こんなことになっていたらあの涼やかな瞳に欲望をたぎらせて乗っかってくるか、そこまで思って、考えることをやめた。寮の自分の部屋でたった一人、そんなことを考えるなんて馬鹿みたいじゃないか。
それに今はこんなに悠長に過ごしている時間はない。仕事を始める前にやることがある。



「…仕方ねぇ、行くか」



とりあえずシャワーを浴びて汚れたものの処理をするために、俺は怠い体でのろのろと起き上がった。






向こうの世界から帰ってきてから数日。
俺はそれなりに上手くやっていると思う。消えていた一週間、あの間に俺は三年間異世界にトリップしていたんだ、なんて、言ったら即刻病院に連れていかれるようなことは誰にも話していない。あいつらからしたら、俺は急に消えて、急に現れたのだと。一週間いったいどこにいたのだと詰め寄られ、親にも無事で良かったと散々泣かれたが、本当のことなど言えるわけがなかった。
だからとりあえず、あの一週間の記憶はまるっきりないということにした。現にこちらでの一週間の記憶はないのだから真実ではないが嘘でもないし、ついでに言うと一週間で何が起こったのか本気でわからないから周りの丁寧な説明がありがたかった。といっても一週間で変わったことなんてほとんどなかったんだが。それこそ俺が消えたことくらいで、なにも変わってやいなかった。

そう、そして、一週間消えていたといえば、例の神子様―――白崎薫(シロサキ カオル)も俺と同時に消えたらしい。それはそうだろう、なにしろ元々あちらの世界に喚ばれたのは他でもないあの転入生だったんだから。寧ろ俺は、あの時たまたまあいつの傍にいたがために一緒にくっついて行ってしまったおまけ。まあ厳密に言えばただのおまけではなくて、一応行くべくして行ったわけではあるが。白崎は白崎でなくてはならなかったが、俺は別に俺でなくても、こちらの世界の人間なら誰でもよかったのだ。



『俺、薫ってゆーんだ!よろしくな!!』



あの天使のような、神に愛されたような完璧な容姿をした白崎は、まさに神子のイメージそのもので。俺とは違って最初から向こうの言葉を喋れたのも、白崎こそが神子である証だった。
そう、だから、あちらに行って初めて俺は、なるほど、あの神子様は愛されるべくして生まれた存在だったのかと気づいた。こちらでの生徒会の陥落事件がなぜ起きたのか酷く不可解だったけれど、あそこまで王族やら権力者やらに愛されるところを見させられたら、もう仕方のないことなのだと納得するしかない。俺にはその神に愛されるほどの魅力がわからなかっただけで。もしかしたら、だからこそ一緒にトリップしてしまったのかもしれない。となると、俺もおまけじゃなくて俺だからこそ喚ばれたのだとも考えられる、なんて。







「っ!はっ!うらぁっ!」



静かな空間に、ヒュッと空気を切り裂く音が響く。まだ誰も起き出していない早朝、寮の裏にある森の中の開けた空間で朝稽古をするのが帰ってきてからの日課だ。向こうでも必ず朝は剣を振っていたから、やらないと落ち着かない。もちろん今は剣も模造刀も持ってはいないからただの棒切れを振っているだけなんだけど。

白崎とは違ってただのおまけだった俺は、もちろん実は膨大な魔力を内に秘めてましたなんてこともなく。最初のうちはただの異端分子として忌み嫌われていた俺を拾ってくれた騎士団に見捨てられないように、ただただ剣の稽古に打ち込んだ。だから、今でも稽古をしていないと不安になる。これが俺が生きていく唯一の術だったから。



(…いや、違うか)



俺はただ、いつまた帰ってもやっていけるように。あちらに戻ったときにまた必要とされる存在でいられるように。そう願うがために、体が鈍るのが怖いんだ。
そもそもが魔法というものが現実には存在しない世界。あちらと違って、帰る方法を図書館で調べたり、それこそ魔導師に聞くなんてことはできない。向こうでさえ見つからなかったトリップの方法をこちらで探すなんて至難の技なのはわかってる。

この世界を離れる前と、なんら変わらず流れる日々。
みんな、俺の帰還を泣いて喜んでくれている。剣など使えなくても、無条件で存在を必要としてくれている。あちらに帰る方法がわかる目処など絶望的。



(だけど、それでも俺は―――…)



向こうに行って最初の一年も、俺はこちらに帰ってくる方法をずっと探していた。戻ることを望んでいた。字面だけ見れば、今もあの時も変わらない。同じ“帰りたい”という気持ち。
でも、今がただあの時と同じ気持ちなんだとは決して思わない。あいつと出会ってしまったから。共に生きると誓える相手を見つけてしまったから。こちらに留まりたいわけでも、あちらに帰りたいわけでも、どこかに戻りたいわけでもない。

ただ俺は、行かなきゃならないんだ。
あいつが存在する世界へ。

たまたまそれが、あいつがいるのがあちらの世界だった、それだけのこと。





「っふー…」



ドサッと木の根もとへと座り込む。タオルを首にかけて太く立派な幹に寄りかかりながら、ペットボトルの水を喉へと流し込む。ペットボトルなんてもの、懐かしすぎて初日は無駄に感動したっけ。時間にすればたった三年だったけれど、毎日が濃すぎて、覚えることも感動することも多すぎて、こちらの記憶など遥か彼方だったから。
そういえば、白崎はどこに行ったんだろう。俺と共に飛ばされたあいつは、まだこちらに現れていないらしい。誰もその姿を見ていないと言う。俺だけが戻された、ということなのだろうか?



「………」



俺にとっては、こっちでもあっちでも災厄でしかなかったあの男。
裾から覗く、足首に刻まれた魔方陣の枷をするりと撫でる。あの神子様が使ってくれた魔術の副作用を抑える、あいつが施してくれた軛。あの時のことは、思い出したくもない悪夢だったけれど。
―――でも今となっては、あちらとの確かな繋がりだと思える唯一のもの。



「…皮肉なもんだな」



白崎がやらかしてくれたおかげで、戻された今でも、あいつとの繋がりが確かにあったことを証明する痕がある。
俺ばかりに絡むあいつにいつも癇癪を起こしていた白崎。懐かしい、あんな鬱陶しい思い出でさえも、今となっては戻ってきてほしい日常。なんて、寂しく思う自分の思考が女々しくて、馬鹿らしくて、乾いた笑いを溢す。
パン、と自分の両手で頬を叩いた。



「っし、行くか!」



朝の日課は終了。これから俺を待っているのは騎士団の訓練ではなくデスクワーク。それも白崎がガタガタにしてくれた学園を立て直し、遅れている大量の書類をすべて終わらせるという耐久レースだ。
あいつは本当に、とことん俺に火の粉を振りかけてくれる。その事実に改めて苦笑しながら立ち上がる。ぱんぱんと汚れた服をはたき、まずは制服に着替えるべく、俺は寮への道を歩き出した。






*end*
続きからおまけのR18



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