そして、セカイは廻る | ナノ





「ユウヤ、また明日」
「ああ、おやすみ」
「愛してる」
「…ばーか、さっさと寝ろ」



明日、また会えるのだと信じていた。
朝起きればいつものように、普通の一日が始まるのだと。
だから何気なく交わした言葉。
共にある未来を信じて疑わなかった約束。

けれど結局―――その約束が果たされることは、なかった。













朝、鳥のさえずりとパンが焼ける美味しそうな香りによって自然と眠りから覚める。寝相の悪いあいつに抱き込まれてるのはいつものことだから、気にせずに腕のなかからそっと抜け出して着替えを済ませる。この時、あいつを起こすと色々面倒だから、極力刺激しないようそっと細心の注意を払うのが重要。それから顔を洗って歯を磨いて、それらを終えて洗面所から戻ってくれば、大抵あいつも起きているからおはようを言って。もちろん起きてなかったら叩き起こして。あいつが自分の支度をしつつ一々ちょっかいかけてくるのを交わしながら支度が終わるのを待つ。そうして二人とも準備が整ったら、朝食をとりにようやく一緒に部屋を出る―――それが、一日の始まり。




だから、今日もそうなのだと思っていた。起きて、一番初めに見るのはいつも通りあいつの顔なんだと。幸せそうな顔をして眠っているあいつの寝顔を見て一日が始まるのだと。

しかし、期待は裏切られる。
意識の浮上をもたらしたのは、鳥のさえずりでも、芳ばしい香りでも、もちろんあいつの唇でもなくて。



(…―――ッ)



脳をなにかが突き刺すような鋭い痛み。
ついで耳をつんざくような騒がしい音。
無理矢理眠りから引きずり出される意識。



「―――!」
「――!!――!」



なんだ、いったい、何事だ。
頭から耳から降りかかってくる痛みに、顔をしかめて鉛のように重い瞼をなんとか薄ら持ち上げる。途端、いくらかすっとする思考。真っ暗だった視界を切り裂く眩しすぎる光。騒音だと思っていたけれど、はっきりと認識できるようになる人の声。
自分の声以外が発するのを聞くのはいつぶりか―――それは、懐かしい母国の言葉。



(俺、は―――…)



どこか無意識に拒絶していた頭が、はっきりと、覚醒する。
視界に広がるのは無機質で真っ白な天井。暖かな色をしているようで、しかし人工的な光を発する蛍光灯。そして、覗きこんでくる懐かしい顔。もう遠い昔、共に仕事をした生徒会役員の面々。



「会長…!」
「会長見える!?ねぇ俺がわかる!?」
「…親御さんに、連絡…」
「よかった、本当によかった…!」



騒ぐ声。バタバタと動く音。ぐっと握られる手に、撫で回される頭に、涙を流しながら笑う友人に、わけもわからず数回瞬いた。しかし瞬き程度でなにか整理がつくわけでもなく、痛む頭を押さえながらゆっくりと上半身を起こす。介助するように背中に添えられる手。心配そうに掛けられる言葉。

ああ、俺は…俺は―――戻って、きたのか。



「か、会長、起き上がって大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない………今は、いつだ」
「え?あ、今日は6月1日です」



起き上がってゆっくりと周りを見回しながら無意識に発した言葉。ガンガンと鈍痛を訴える頭でようやくここが生徒会室に併設されている仮眠室だと理解する。ついで新たに入ってきた情報に思考が停止した。
え、おい待て…ろくがつ、ついたち?目の前の昔の仲間たちは、見た目も俺に向ける親しみの感情も、最後の記憶から全く変わっていない。高校生、だった時のままの距離感。
ということは、あれから、俺が向こうに飛ばされてから―――こっちでは、一週間しか経っていないというのか?



「嘘、だろ…まじかよ」
「あの、会長?」



混乱して整理のつかない頭。額に当てた拳をぐっと握る。と、腕に刻まれた大きな傷跡が目に入った。僅かに目を見開きバッと布団を捲ると、身に付けていたのは確かに、あいつの家で最後に着て寝た覚えのある寝間着で。
それだけで、それだけなのに、どうしようもなくぎゅっと胸が痛くなって、こっちにはない生地で作られた、肌に慣れたそれを握り締める。

俺は、帰ってきた。
帰ってきて、しまった。



「悠哉(ユウヤ)が起きたって…!」
「神埼(カンザキ)会長!」



向こうとの繋がりに縋るように身を丸めると、新たな訪問者の声。そちらに目をやると、本当に久々に見る幼馴染みと目があって。一気に駆け込んできたと思ったら、ガバッと飛び込んできて抱き締められた。それを反射的に受け止めて、すぐに感じる違和感。
なんか、変だ。こいつ、こんなに細かったか?



「てめぇ!どんだけ心配したと思ってんだ…!」
「あぁ…悪い、心配かけた」
「本気で、本気でこのままお前がいなくなったらどうしようかと…!」



存在を確かめるように、もう放さないとでもいうように、ぎゅっと苦しいくらいに抱き締められて、震える背中をあやすように撫でる。悪い、ごめんなと声をかけながら、自分も震えそうになるのを必死に堪える。

違う、こいつが細くなったんじゃない。たったの一週間で、いや、向こうで過ごした三年間で、なにもかもが変わってしまった。俺はもう、あの頃の俺じゃない。
―――変わってしまったのは、俺だ。



「私たちも死ぬほど心配していたんです…ご無事で本当によかった」
「突然いなくなっちゃうからビックリしたんだよ…!」
「…戻ってくれて、嬉しい…」
「がいぢょおー!」
「心配かけたな…俺は大丈夫だ」



帰還を喜ぶ声、言葉、表情、涙。
示される歓迎の意。
しかしそれを向けられる度に―――冷えきっていく、心の奥。

信じられない。
信じたくない。
とうとう俺は、帰ってきてしまった。



『もう、帰るのを諦めていいのか?』
『諦めたんじゃない。俺は選んだんだよ、お前の隣を』
『…幸せにしてやる。絶対に後悔はさせない』
『なに言ってんだ、これは俺の決断だろ』



それでも、自分の責任にさせてほしい。責任をとらせてほしい。
そう言って微かに笑った、お前は。



『…馬鹿だな、お前は』
『あ?失礼なこと言うんじゃねぇよ』
『こんなチャンス、もう二度とないかもしれないのに』
『そうかもしれないな…でも今帰ったって後悔するだけだ』



そう言って続けた言葉に、切なげに目を細めた、お前は。



「ありがとう…帰ってこれて、俺も嬉しい」
『俺にとって、お前がいない世界は意味がないんだから』





――――お前は今、隣にいない。






*end*



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