想像妊娠後のお話
「――――ごめん、騒がせて」
ぽつり、呟く。
ベランダを吹き抜ける生暖かな風。
妊娠なんてしない。そんなこと、自分が生まれる前から、性別がわかった瞬間からわかってたことなのに。そんなことも頭からすっぽり抜け去り、あんなに騒いで、巻き込んで、恥ずかしい。
「なに言ってんの、俺は嬉しかったよ」
お前が、俺の子供を欲しいと思ってくれて。
耳に心地よい声。ぎゅっと手摺を掴んで睨むように闇を見つめる。どうしても見つからない光。淳(ジュン)さんは、手摺に寄りかかりながら、そんな俺だけを見つめている。
「ねぇ、淳さん、」
「ん?」
「真っ暗だね」
真っ暗、だなんて。そもそもそれが売りのマンションなんだから、当たり前なのに。
「…光が、見つからない?」
視線はそのままにこくりと頷くと、淳さんはそっかと言ったきり黙ってしまった。訪れる無言―――けれど、決してストレスにはならない静寂。風呂上がりで濡れたままの髪を、重たげに揺らす風が心地良い。
「おっ、あれは?あの飛行機」
唐突に指を指されて視線を向ければ、闇の中にぽつりと浮かぶ光る物体。そういう意味じゃない。まったくこの人は、わかってんだかわかってないんだか。思わず呆れてふっと笑った。すると、淳さんがこっちを見てにこりと笑って。
「良かった、やっと笑った」
なんて言うから、瞬間、泣きそうになる。
バレないように虚空へと向き直り、くしゃっと顔を歪めて耐えた。手摺を握り直して、深呼吸。
泣きそうになったこと、多分バレてる。だって、目を反らす直前、淳さんの顔も俺と同じように歪んだの、見ちゃったから。でも、泣きそうになったのわかってるのに、俺が隠そうとしたのもわかってるから、何も言ってこない淳さんの優しさが、痛い。
優しくて、でも、優しすぎる。
――――その優しさが、俺を弱くする。
「ねぇ淳さん、なんで、アダムとイヴは知恵の樹の実、食べちゃったんだろう」
それさえ食べなければ、周りを気にするなんてこと、なかったのに。堂々と淳さんと一緒にいられたのに。
淳さんと一緒にいられるなら、俺は知恵なんていらなかった。二人の関係が許されるのなら、ずっとずっと、無知のままでいたかったよ。
「なんで…どうして、男と女だったんだろう」
泣きそうな俺の声は、風に浚われていった。
二人でただ愛し合っているだけなのに、どうしてそれが罪なのか。どうして蔑まれ、嫌悪の目で見られなくちゃならないのか。
「俺、女の子に生まれたかったな」
柔らかくて、温かくて、淳さんに家族を作ってあげられる、女の子に。きっと淳さんを幸せにしてくれる女性は大勢いる。だから俺に縛りつけといちゃいけないって、何度も、何度も思った。でないと淳さんが幸せを取り逃がしてしまう。
でも、貴方に幸せになってほしいから別れよう、なんて、本やらドラマやらでよくある台詞を言えるほど、俺は強くはなくて。
淳さんなしで生きていくことなんか、できない。
淳さんを手放したらきっと、俺は立っていられない。愛する人の幸せよりも自分の幸せを優先してしまう俺は、一人きりでは立っていられないほど、弱い人間なんだ。
「…ごめん、なさい」
呟いた言葉は、何に対してなのかは、自分でもわからない。
男に生まれてしまって。出会ってしまって。縛り付けてしまって。愛してしまって。
「ばーか、なに謝ってんだ」
呆れたような声。
隣を見ると、煙草を吹かしながらこちらを見る大切な人。
「勝手に自己完結されちゃ困る。
勘違いするな、俺はお前に出会って後悔なんてしたことねぇよ」
ぐっと胸に引き寄せられる頭。
視界が真っ白なガウンで一杯になる。
「子供は欲しいと言ったし喜びもした。だけどそれは、その前提に“お前の子供”ってことがあったからだ。他の人間の子供はいらねぇよ」
ぽつり、ぽつり、目の前のガウンに灰色の染みができていく。
違う、泣きたいわけじゃない。ぐ、とガウンを握りしめた。
「…淳さんは、優しすぎるね」
俯いて呟くと、淳さんは笑って俺の頭を撫でた。大きくて温かい手が、愛おしい。
きっと俺はこのあとも、この人の手を離すことはないだろう。きっと離せはしないんだろう。
弱い俺を支えてくれる、優しすぎる最愛の人。
「お前限定でな」
そう言って淳さんは、もう一度深く煙草を吸う。
ふぅ、と白い煙を吐き出した唇が近づいてきて、俺の唇と重なった。
*end*
最後投げた。オチとか知らん\(^q^)/
―――――
TwitLongerより
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