不浄の舞姫は月に哭く | ナノ

03;この気持ちを一目惚れだなんて陳腐な一言で片付けたくなかった





マフィアは相変わらず嫌いだし好きになることはないだろうけど、ディーノさんだけは別だ。

































「……だる…」


 店までの道のりを歩きながら、私はどうもすっきりしない気分を持て余していた。最近どうも仕事に身が入らない。もやもやしたそれをどうにかすることもできず、ただ過ぎていく時間を過ごす日々。
 原因は分かり切っている。ディーノさんだ。あのカッコ良すぎるマフィアのボス。彼と会ってからというものここ2週間、誰とナニしててもふとした瞬間に彼がちらついてしまうのだ。
 正直に言おう、誰としても物足りない。満足できないのだ。
 身体の相性のいい常連さんも何人かいるし、今までだったら初めての人だろうがそれなりに楽しめていたのだ。それをディーノさんが現れてからはあのたった一晩で、彼が全部私の中の常識というもの全てを塗り替えてしまった。今まで脳内でこっそり作られてきたランキングを全部ぶっ壊して、彼だけがたったひとり私の中に居座っている。


「はぁ…」


 昨晩もわりと相性のいい常連さんの相手だったのに全然ダメだった。気持ちいいことには気持ちいのだけれど、全然ダメ。あの日みたいに訳分からなくなるぐらいにはなれない。どんなセックスでも楽しんでやるのが私のいい所だった筈なのに。だから私みたいな上手いことリップサービスだとか奉仕できないような小娘でも常連さんが何人もいたのだ。
 人と比べてこの人とはダメだなんて思ってる時点で、私ってば最低すぎる。そしてそういうのって慣れた常連さんはすぐ見抜いてしまう。今までと違う私の様子に、終わった後にその人に「今日は全然気持ちよさそうじゃなかったね」だなんて言われる始末。相手に申し訳ない以上に私のプライドがズタズタだ。今日は体調が悪くて、とかひたすら自分が悪い事を主張して謝って意地でお金はもらわずに帰ってきたけれど。


「はあああぁ…」


 溜息しか出ない。もやもやしているのはもう多分ディーノさんと会う事はないだろうなと分かり切っているからだ。あの人はわざわざ女の子買ってまでするような人じゃない。むしろこんな女の子なんて必要ない所か、これでもかっていろんな女の子達に言い寄られそうなタイプだ。
 そっちで困る事はないから私みたいなのを呼ぶ必要だってない。多分あれは仕事の忙しいディーノさんに部下の人が気を利かせたとか何かなんだろう。重い足取りでやっと辿り着いた店のドアに手をかけると、ひとりでに扉が開いた。顔を上げてみれば満面の笑みのベディが仁王立ちしている。なんだか嫌な予感。


「この前のマフィアのボスはどうだったの?」


 店に入って早々、久しぶりに会ったベディにスタッフルームに引っ張り込まれた。第一声がそれってどうなのよベディさん。本当に彼女は人の噂話やらが大好きなミーハーちゃんなので困る。しかしながら満面の笑みで問われたので、私もにっこり笑みで返してあげた。


「ご想像にお任せします」


 ここで素直にすごい羽振りが良くてソッチも今までにないくらい最高で申し分なかった、なんて言った日には彼女にありとあらゆる手を使って横取りされるのが分かり切っている。伊達に私も彼女と付き合ってきてはいない。そして私と彼女の好みは非常によく似ているから手におえない。


「えー教えてよ親友でしょ!」
「えー聞かないでよ友達でしょ!」


 もうディーノさんとは次はないと思うけれど。だが万が一次の相手がベディになったら彼女と私が似ている分複雑なのだ。私の腕やお腹に抱き着いてくるベディを引きずりながら自分のロッカー目指して歩いていたら、ふと扉をノックする音が響いた。返事も聞かずにガチャリと開いたドアの向こうには、気持ち悪い笑みを浮かべたマネージャー。これまた仁王立ちである。両脇にまたごつい店の男を従えていて嫌な予感第二弾。


「ナナちゃーん!ちょっといいお話があるんだけど!!」


 くっついたままのベディを引き剥がし踵を返した私と、その巨体に似合わず超人的速さで部屋に入り込んできた男たちは同時だったに違いない。決着は一瞬でついてしまった。両脇を抱えられてずるずると廊下に引っ張り出される。か弱い乙女に大男2人も使うマネージャーは本当に性格悪いと思うんだけど!このキツネめ!


「どうせ捕まるんだから無駄な抵抗しなきゃいいのに」
「見てないで助けてよ親友でしょ!」
「さっき私の事”友達”って言い直したくせにー」
「さーてナナちゃんまた事務所でお話ししよっか!」
「いやだ離せ商売道具気安く触るな!!」


 そのまま引きずられていく私の後ろを、またスキップでもしそうな勢いでベディがついてくる。こいつら実はグルなんじゃないかと思えてきた。抵抗しても無駄に終わるので諦めてぐったりしていたらふとマネージャーがぼそりと囁いた。


「キャバッローネのボスがまた来てほしいって」
「キャバ…なに?」
「ほらあのマフィアのイケメンボス」
「ホントに!?」


 まさかまた連絡があるとは思わなくて思わずそのしまりのないのマネージャーの顔をまじまじ見てしまった。確かにやることやっちゃったけどディーノさん最初からその気ではなかったみたいだし、まぁ成り行き上ってだけでもう会う事もないかなーと思っていた。次の日は身体中痛くて仕方なかったけれども、そんなになるぐらいの最高な思い出ができてラッキー程度だ。メッセージカードにメアド書いてダメ元で置いてきたけど勿論連絡なかったし。言われてみればたしかそんな名前のマフィアだった気がする。腕のタトゥーにそんな事描いてあった気がする。


「ナナちゃん指名だよ。」
「やっぱりそうなの。よかったね」


 ベディはそれを聞いて満足したとばかりに「じゃあ私も仕事行くね」と去っていった。まったく毒気のない彼女の表情に、あっさりと引き下がった彼女に、疑心暗鬼だった私の心がちくりと痛んだ。























「………っな、…!!」
「…あー…部下が呼びました第二弾?」


 指定されたホテルに行くと、また待ち構えてたマフィアに身体検査されてから部屋に放り込まれた。机に向かってノートパソコンを開いていたディーノさんは慌ててそれをパタリと閉じた。夜遅い時間なのに仕事をしていたらしい。私を見て酷く狼狽している彼はまぁ予想通りなので何とも思わないけれど。黒縁眼鏡が似合っていて流石顔が整ってる人がかけると違うなぁと思った。


「ディーノさん」


 太陽に透かしたはちみつみたいな髪が好きだ。私の色を失った髪とは違う、神々しいまでの輝き。ディーノさんが椅子に座ったままなのをいいことに、そのふわふわの髪をくしゃりと撫でた。ふんわりと漂う香水はどこの銘柄なんだろう。とても好きだと思うのは多分私がこの人に好印象しかもっていないからだ。


「会いたかった」


 自然と、ぽつりと口からその台詞が飛び出していた。理由だとか目的だとか、計算とか演技とかそういうもの全部どうでもよくて、考えてる余裕も暇もなくて、本当に素直にそういう風に浮かんできたから口にしただけ。髪から頬を辿って、かけられた眼鏡を外してしまう。目の下にできた疲労の痕を指でなぞると、弾かれた様にディーノさんが身じろいだ。身構えているわけではないのは、目を見れば分かっていた。


「また会えて嬉しい」


 そっと両手で頬を包み込んで、気付けば何か見えない力に引かれる様にして、唇に触れていた。客として会った人に自分の方から口付けたのははじめてだと、下唇を食んでから思った。ただなんとなく、考える前に身体が勝手にそうしてしまったのだ。まるでそうするのが当たり前であるように。私にとって男はビジネス相手なのだから、いつもはこんな事絶対にしない筈なのに。キスはしない、というのがこの世界の暗黙の了解だったのだ。きっと女の子達の公私の境界線だったのかもしれない。


「…!」


 一瞬だけのつもりで離れたのに、ふいに零れた吐息を塞がれた。まさか答えてくるとは思わなくて、驚きに目を見開く。どくんっと心臓が大きく跳ね上がるのが分かった。ディーノさんの手が私のうなじに触れて、身体ごと引き寄せられる。首筋をなでるように包む大きな手にぞくぞくと背筋に何かが走った。それが何かだなんて考えなくても分かってしまうけれど。


「っん、」


 触れたのは自分からだった筈なのに、あっという間に反撃されてしまった。啄むキスが深くなって、身体中に走るぞくぞくが強くなる。肌の表面をざわざわと、見えない何かが駆け回る。流石、上手いなあと感心してしまう反面、予想なんかしてなかった展開に混乱していた。段々腰に力が入らなくなってきて、膝が崩れてしまった。引き寄せられる力に抵抗できずに、大人しくされるがままに彼の膝になだれ込むように座った。ぎゅうっと強く抱き締められて支えられて、何故か切なくなる。その手は女の子の扱いを熟知している。それこそ、私がキスに慣れてない事がもうバレてしまってるかもしれない。必死に応えようとディーノさんの脇腹から身体に腕を回すけれど、相手の方が一枚も二枚も上手だった。優しく丁寧なのに、息継ぎすら許してくれない攻め手に酷く眩暈がした。


「はぁっ…」
「俺も、って言って信じるか?」


 最初に私がしたように、下唇を食んでからディーノさんはやっと離れた。酷く熱っぽく、けれど真剣な面持ちの眼差しに、どうしようもなく震えた。キスにどんな意味があるかなんて、考えている余裕もなかった。それでもそんな事はきっと私にとってどうでもいい。ただただ、ディーノさんの鼈甲みたいな綺麗な瞳に私が映っている事が信じられない。そんな目で見つめられているのが自分なのだと思うとおかしくなってしまいそうだった。


「あの時、はじめて会った気がしなかった…て、クサいなこの台詞」


 照れたように視線をそらすディーノさんに、これは夢だろうか、とどうしようもない事を考えてしまった。今起こったことが信じられなくて、夢心地だった。いつまで経っても心臓のドキドキが治まらなくて困る。ディーノさんにすっかり私のニオイが移ってしまっていた。ほんのりと、彼から私のつけているグロスの香りがする。透明で色のない、けれど滴るような白桃の香り。


「どう言えばいいんだ?」
「ううん、ちゃんと分かった。嬉しい」


 ここ数日のもやもやの正体が今なんとなく分かった気がした。きっと、こんなに離れがたく思う人ははじめてだったのだ。たった一度だけ会って身体を合わせただけなのに、これほどまでに惹かれたのも、こんなにも強烈に欲しいと思った男の人もこの人がはじめただったのだ。美しい男に抱かれた事がないわけではないのに、そんなのとはまったく違う。違うとはっきり分かる人。その姿を見るだけで打ち震える程の喜びが身体中を走って、離れればまるで自分の何かをどこかに置き去りにしてきたように酷く私のどこかが寂しがる。
 それは恋慕と似て非なる、そんな単純な言葉では足りないほどの、あまりにも強烈な衝動だった。












(13,02,06)




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