Gatto nero | ナノ

025



ボンゴレ。ボンゴレファミリー。どこに行っても、何をしても私についてくる肩書き。8代目の血。9代目の子供。10代目候補。周囲の捻じ曲がった先入観、期待と羨望の目。
その名は私を守ってくれたけれど、同時に私を縛り付けた。それこそがんじがらめにして身動きなんてできないほど。
聞く度にイライラした。誰も本当の私なんて見ようとも知ろうともしない。それは身内であっても同じこと。
たった一人だけ、私をただの子供として見てくれた。









折角私が一大決心で告げたのに悠々と煙草の煙を吐き続けるジェンに、彼は私をどこまで知ってるのだろうと怖くなった。どこまでを知っていて、私を受け入れてくれていたのだろうと。あるいはそれすらも演技で、私の何かを探っているのかもしれない。そこまで勝手な推測をして、私はいつだってこうやって人を疑っては、己の内の醜さに嘆いていくのだろうと思った。


「私が差し出すものをまず聞くというのは私の覚悟を試しているんでしょう?」
「人聞きわりぃ言い方すんな。その覚悟とやらの重さをはかってんだよ」


無知は罪だと言ったのは誰だっただろうか。けれどそれ以上に知るという事はそれだけで大きな罪だと思う。アダムとイブの食べた知恵の実のように。
汚してしまいたくないものまで、その穢れの中に浸してしまったようだった。今更になって、侵してしまいたくない領域を踏み切ってまで、私はジェンに何を求めているのだろう。私自身がなぜここまでキャバッローネにこだわっているのか、もう分からなかった。


「で?どうなの?それだけでは足りない?」
「その情報が事実である証拠は」


証拠といっても口で言える証拠なんてものがない。いつも腰のベルトの内側に入れてある一本のナイフを抜いて、くるりと回して柄の部分をジェンに見えるように差し出した。黒猫が殺しをする際に必ず残す痕跡にこの黒猫のマークがある。


「これ以上の証拠を持ってない。キャバッローネの幹部の誰かに適当に聞けば証人にはなるとは思う」
「何故俺を通してキャバッローネの情報を知りたがる」
「…   分からない」


私程度の人間がキャバッローネの事を知ったとして何ができるというのだろう。分かっているけれど、知りたいと思わずに居られなかった。恩人の最期を知らないなんて、それこそ恥だと思ったのだ。そしてそれは今のキャバッローネには関係ない。それだけ私にとってキャバッローネの九代目の存在は大きかった。きっと彼の人が生きていたならば私の生き方も変わっていたかもしれない、と思うぐらいには。


「あのディーノが九代目が死んだのは自分のせいだと言った。部下達は腫れ物みたいに彼を扱う。そのせいで距離ができてる。キャバッローネは私の昔からの知り合いだから、今の現状が気になる。当事者たちよりも、第三者の方がよく見えてるでしょう?ジェン」


ファミリーが余所余所しいと思っていた違和感がこれだった。私をキャバッローネの暗殺者として雇っていたのにも関わらず、肝心のボスであるディーノが知らなかった。いびつなその関係を作ったのは九代目の死なのだろう。キャバッローネの皆はディーノがかわいくて仕方ないのだ。大切に育てたいが為に、防衛的になっている。”あの”キャバッローネがそうまでなった理由が知りたい。


「お前、バカだろ」
「    は?」
「んな簡単に自分の大事な情報ぽんぽん売ってどうすんだよ」
「はぁああ?」


いやいや差し出せ言ったのはジェンでしょうが。素直に答えたのになんで笑うのさ!?もしかして私またジェンに騙されてはいないだろうか。じと目で彼を警戒する私に対して、そう言うとジェンはおもむろにポケットから鍵束を取り出した。


「   まぁ合格だけどな。」


ちょいちょいと指で手招きしつつ店の奥へと行くジェンに慌ててスツールを下りてその背中を追った。ただでさえ大柄のジェンは歩幅も大きい。怪我をしている私の足では追いつくので精一杯だ。ジェンが向かったのは2階へと続く階段の下、物置部屋の前で止まるとジェンはそこの鍵穴に持っていた鍵を差し込んだ。


「本当は口伝しなきゃいけねぇんだが開店まで時間がねぇ。記録を直接見せてやる」
「いいの!?」
「お前も”一応”ここの従業員だろうが」
「…一応は余計だと思わない?」


扉を開けると真っ暗な空間が広がっている。壁にかかっていた照明器具にジェンが手を翳すと、綺麗な藍色の炎が灯った。その暗い炎に薄く照らされた空間は異様な雰囲気を醸し出している。今まで見ていた、私の知ってる物置部屋の景色とは全く違う空間だった。右奥の扉を開けると下へ続く階段があって、息をのむ私とは比例してジェンは慣れた調子で下りて行ってしまう。今までこの扉や階段に気付いた事は一度もなかった。あの照明器具に仕掛けがあるのだろうけれど、考える暇もなくジェンはどんどん先へ下りて行ってしまう。ジェンの咥えた煙草の煙が誘うように暗闇へと続いていた。いつものあの馴染んだ店の筈なのに、まったく知らない空間へ気づいたら迷い込んでしまったようだった。


「おい早くしろ」
「ちょっとぐらい怪我人を労わってよね」


竦みそうになる足を臆している素振りも見せまいと気丈に振舞いながら、一歩階段へと足を乗せた。壁に沿って点々とある照明にジェンが火を付けていくので、思ったよりは足元が明るくて歩きやすかった。けれどその炎の色は少しばかり不気味だ。

階段を下りきった先には古びた木の扉があって、今にも壊れそうな程錆びたその鉄の握りにジェンが手をかけた。開けた瞬間地下のあの独特な湿った匂いがする。そこは開けた空間になっていた。ドア以外壁一面天井に届く高さまですべて本棚になった書庫で、同じ背表紙をした本がぎっしりと詰まっている。おもむろにジェンがその本棚に近付いていき、1冊を抜き取った。


「ほらよ」
「……?」


そういって差し出された数冊の本には5年前の年月が書いてある。8月。日付は5年前なのに、ずいぶん古ぼけて見えるのはこの暗くかび臭い部屋の所為だろうか。


「俺が口で言うより早いだろ読め。ここでな。この部屋からは持ち出すな。俺が出した以外のもんはどうせ読めねぇから触るな。死ぬぞ」
「……はい」


この部屋の雰囲気とジェンの気迫に圧倒されてとりあえず素直に返事をした。黒いその表紙をまじまじと見ると何か重い歳月を感じた。術というよりは呪いみたいなものが、この部屋中を覆っていうようなそんな感じ。多分ジェンのいう事を聞かないとこの呪いに殺されるのではないかと不気味な事を思った。ジェンがそのまま踵を返すので、取り残されそうになって慌てて彼の後を付いていこうとすると私の頭を抑え付けてジェンが押し止めた。


「持って、出るな。つったよな?読み終わったら上がってこい」
「………分かった」


この目の前にいる人は誰だ。私の知ってるジェンじゃない。この場所は私の知ってる店じゃない。これも与えられる情報の一部なんだろう。ジェンはいつだって本気で挑めば相応に答える人だから。こんな不気味なところに置いて行かれるのは若干気が引けたけれど、そのジェンが言うならば仕方ない。私は霊感はないけれど、この部屋には何か怨念みたいなものが渦巻いてる気がする。


「あっジェン!」
「あ?」


ドアを閉めてとっとと出て行こうとする彼に慌てて声をかけた。(開店時間で急いでるのかもしれないが慌てて出て行かれると怖い)ついでにもうひとつ聞きたいことがあったのだ。


「六道骸って知ってる?」
「応否を答えてやってもいいがお前対価は差し出せるのか?」
「…そうでした」
「まぁ特別に教えてやってもいい」


そう言って不気味な笑みで振り返ったジェンに何かとてつもなく恐ろしいものを感じた。けれどその表情は私の知ってるジェンそのもので、内心酷く安心する。私が答えるよりも早く、ジェンは本棚からまた一冊取り出して私の手に押しつけていった。嫌な予感しかしない。ただほど怖いものはない、というのはきっとこういう時に使うのだろう。まぁ知りたい情報が一気に手に入ったのだからよしとしよう。怖いので考えないようにしよう。何か見返りを求められたらばっくれよう。


「5年前…」


ジェンが階段を上っていくのを見送りながら、大人しく端の本棚にもたれて座り込んで、一番古い記録から読んでいくことにした。5年。その年月を思うと、どうしても頭の奥で何かの芯が凍っているようだった。丁度ボンゴレもこの頃、内部が荒れていた時期だからだろう。どうしてもあの頃を思うと霧がかかったみたいに、感覚が薄れていってしまう。多分防衛反応なんだろう。思い出すなと身体が拒否するので、自分の事は振り払って目の前の本に向き直った。
一冊一冊が重たいこの本は何を語ってくれるのか。死ぬぞと言ったジェンの言葉を反芻しながら、期待と不安でうるさい心臓を抑えつけて表紙をめくった。きっとこの本が全て古く見えるのはきっとジェンのあの煙に燻されて色が変色してるからなのだろうと思った。


【8月7日
最近、街に柄の悪い連中がうろついているのは知っていたが、夕方頃ジェンがそいつらにやられて帰ってきた。こいつが傷を作って帰ってくるというのは非常に珍しい。喧嘩なんてしてもいつも一方的に相手を殺してくるぐらいの勢いなのだが、あのジェンがおとなしくやられるというのは以外だ。ジェンはいつも多くを語らないが、そのプライドを折ってボコボコに殴られてまで事を荒立てなかったのは誉めてやりたい。以前のこいつならば平気で何人でも殺して事態を更に悪化させていただろう。自分も街の人間なのだという自覚をやっと持ってくれたらしい。見ていた人に話によれば子供を庇ったともいう。寄ってくるものをところ構わず傷付けていたヤマアラシみたいな奴がよくもまぁここまで更生したものだと感心する。
イレゴラーレファミリーと名乗るそいつらは派手な虎縞のスーツのいかにもな新参マフィアだ。この町でそう名乗るということは、奴らはキャバッローネに喧嘩を売りたいらしい。このシマが欲しいのだろう。最近は特に町の皆への被害が目に見えて酷くなっている。売り物や店をめちゃくちゃにされた話や発砲されたという話まで聞く。今日のジェンのように、怪我人も少なからず出ているようだ。マフィアの問題はマフィアにお願いしたい所だが、最近のキャバッローネはボスが床に伏せって対応が後手後手に回っている。私もできる限りキャバッローネへの協力は惜しまない構えだ。】


ページをめくると微かに煙草のにおいが染み着いているのが分かった。ジェンは記録といったけれど、それはおそらく日記だった。字体が違うので、そして何よりジェンの様子が書かれているので、彼が書いたものじゃないのは確かだ。


【8月15日
キャバッローネ九代目の容態は芳しくない。日に日にやせ細っていく九代目のその姿は、以前の彼を知っている人間ならばどれだけ衰えているのかがすぐに分かるだろう。あまりにも痛ましい。昼頃見舞いに行ったが昏睡と言っていいほど深く眠り込んでいた。医者に聞けばもうあまり時間がないらしい。まだ早すぎる。こんな時に限って、否、こんな時だからこそああいう輩が出てきたのだろう。イレゴラーレはキャバッローネの今の状態を表していると言ってもいい。今のキャバッローネは均衡というものが崩れ去っている。先日、イレゴラーレの元へ何人か人を送り込んだそうだが帰ってきた者はいないらしい。あの家庭教師は十代目の育成に間に合うのだろうか。ディーノはまだあまりにも幼く、この世界で生きるには優しすぎる。せめてうちの馬鹿息子ぐらいの年齢であったならばと悔やまれる。いや、ジェンにも少しぐらいはディーノを見習ってほしいものだが。】


きっとこれを書いたのはジェンの保護者だ。リボーンが言っていた九代目とジェンの親が友人だったというのを思い出した。そして九代目はこの店の”客”だったと。現にこの日記を書いた人はジェンを息子と呼んでいる。


【8月22日
ディーノが遠くの学校から一時帰ってきたらしい。町中大騒ぎになって宴会状態になっている。しかしその側に家庭教師の姿は確認できなかった。ディーノにきいてもしどろもどろだ。何かがおかしい。騒ぎを聞きつけたのか、イレゴラーレの連中まで食堂へ押し掛けてきた。次代のボスをあざ笑う彼らにディーノは足をがくがく震わせながら、大の大人相手に啖呵を切ってみせた。虚言だというのも全て町の皆が分かっているだろう。けれどそれは以前の彼には無い気迫だった。わずかながらも、彼は少しずつ成長している。だが彼はまだ14だ。まだあまりにも早すぎる。若すぎるだろう。そんな脆い双肩にファミリーを任せるのはあまりにも心苦しいだろうと九代目の心痛がありありと伝わってくる。私にも血が繋がっていないが息子が居る。ジェンはまだいい。幼い頃からこの世界の荒波に揉まれてこの世界というものをよく分かっている。それでもこの店を任せる事を思うと非常に辛い。イレゴラーレはロマーリオが上手く立ち回って追い返したが、奴らが今後どう出るのかが心配だ。】


その日記からは彼もこの町の一員だということがひしひしと伝わってきた。町の人達キャバッローネ、ジェンの事。特にその人の視点から見るジェンは若くてあまりにも新鮮だった。きっとずっとこの店でジェンと一緒に暮らしていたのだろう。


【8月27日
ジェンにディーノを頼むと言ったら怒られてしまった。「俺とあいつの勝手だ」そうだ。嘘でもいいから老いぼれ共を安心させてやろうという気持ちはあいつにはないのか。何かを頼むと言うことは、託すということはかくも切ないことなのか。できるならば永遠に己が居てやりたいとも。だが人の死というものはいつか必ず誰にでも平等にやってくる。その確率が若い者より年寄りの方が圧倒的に高いだけだ。ならば少しでも可能性の残る者に託したいと思うのは親のエゴだろうか。それともこれこそがこの世界の業というものだろうか。】


私の知らない人なのに、何故かとても懐かしいように思えた。キャバッローネの九代目や父に似ているのだ。だからこそ、親は皆こういう考えなのかと納得する。託されるのも期待されるのも辛いけれど、きっと頼む方も同じぐらいに心苦しいのだ。家にいた頃は父を憎んでばかりだったけれど、離れた今だからこそやっと私もそう思えるようになった。否、たった今まで憎んでいたかもしれない。今も憎んでいるのかもしれない。けれどきっと誰も悪い訳じゃなくて、それなのにいつだって全てが上手く行かない。


【8月29日
ディーノがキャバッローネの代表として、イレゴラーレに呼び出されて奴らの所持する客船に向かったが、敵前逃亡したらしい。奴らの目の前で海に飛び込んで逃げたとか。私はその報を聞いたときやはり、と思った。無理もない。まだたった14の優しい少年に私達が寄ってたかって色々なものを無理矢理に押し付けすぎたのだ。優しい彼に付け入って大の大人がこぞって自分の代わりにその少年を選んだ。十代目と、ボスと、祭り上げて、まるで生け贄のようにたった一人で敵前に突き出したのだ。ディーノはよくやった。だからこそその報いを受けるのは彼ではなく私達大人でなければならないのだ。イレゴラーレはもう既に九代目の元へ向かっているらしい。きっと私達が現実から目をそらし、逃げ続けたツケが回ってきたに違いない。責任は私達がとるべきだ。私も友人に手を貸したい。ジェンには申し訳ないが、これから九代目の元へ行こうと思う。この老いた手でも少しは彼の役に立てるだろう。私のもてるもの全てはもうジェンに受け継がれている。私ももう思い残すことはなにもないのだ。】


感じたのは悲しさと、怒りだった。こうして自分達だけ満足して逝くのか。勝手に、もう思い残すことはないと押し付けて自分は楽になろうと言うのか。それこそ責任逃れだ。だからジェンも頼むと言われたとき、応とは答えなかったのだ。


【この記録を持って、私の持つ全記録とこの店を我が息子、ジェンに継承する。】


あまりにも、悔しかった。これがもう終わったことなのだということが。これはもう5年も前の出来事で、私はずっと知らずに生きてきたという事が。その場に私がいなかったことが。あまりにもどかしくて、哀しかった。私はきっと知らない自分を許せなかったのだと、これを読んでやっと気が付いた。そして過ぎてしまったことはもう取り返しのつかない事で、私がどう動こうと、知ろうともう何も変わりはしない。けれどそれは哀しい。皆過去に思いを馳せては、何もできない自分を、何もできなかった自分を責めるしかないのだ。


【口も悪い愛想もないかわいくないくそったれだが、血よりも深く繋がった我が息子へ。私はお前のようなクソガキがいてくれてとても幸せだった。やっとこの重荷を任せられるお前に出会えた。一人生きる孤独をお前が癒してくれた。やっと解放された。快晴のこの空よりも澄み渡った気分だ。勝手に遺して行く私をお前は許さなくていい。】


これでは遺書ではないか。あまりにも勝手すぎる。自分は勝手にすっきりした表情で死んでいって、託された方がどれだけ辛いのか。そしてそれを分かっていながらこの人は残していったのだ。お前もこの業苦を背負えと言っているようだった。筆者を何も知らない私がそう思うのに、当の本人のジェンはこれを見るのがどれだけ辛かっただろうか。

次のページにも、記録は続いていた。そのページからはジェンの字になっていた。会談を放棄したキャバッローネに口実を得たイレゴラーレは、屋敷を襲い九代目を殺した。そうしてその左腕のボスの証が十代目に移ったと。キャバッローネのボスの証であるあのタトゥーは彫るものではなく、ボスになる人に自然と浮かび上がってくるらしい。嗚呼だからキャバッローネには大きな後継者争いがないのかと納得した。その後、船に戻った十代目の活躍でイレゴラーレのボス、ティグレも死に、組織は壊滅。無事十代目が先代の仇を取り、町に平和が戻った、と。
決して無事なんかじゃないのはジェンが一番よく分かっているだろうに、彼がそう綴ったのはもしかしたらディーノへの気遣いなのかもしれないと思った。同じように譲られた席に座った彼への。
けれど殴り書きのようなそれにジェンの苛立ちと悔しさを見た。

くそったれはどっちだと、ジェンの声無き声が聞こえた気がした。


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