「今日からここが君の家だ。」
覚えているのは優しく頭に置かれた手の重さと、初めて見るお城のような大きな家。何もかもが私にとってはじめてで素敵なものばかりだった。
生まれた国も場所も両親の顔も覚えていない。知ってるのは、自分の名前だけ。物心ついた頃から既に身寄りはなく、親戚やその仲間知り合いと名乗る人達の家を転々と盥回しにされて生きてきた。
ある日、その冷たく無機質な人生に少しの転機がやってきた。
自分を迎えに来てくれた男の人は優しい手と優しい目を持っていて、今までの親戚とは違ってまったくこわくなかった。 微笑んだ時にできる笑い皺が「ボス」と呼ばれるのに似合わないその人の性格を物語る。
世界はこんなにもあたたかかったんだと初めて知った瞬間だった。
陽だまりのような世界はとても居心地がよく、只穏やかな時間だけが流れていると信じていた。けれど私は一番忘れてはいけないものを忘れてしまっていたのだ。
どれだけ優しくても、どれだけ暖かくても、その人達はマフィアという裏社会の汚れ役だった。生まれたときから私がいるのは冷たく暗い裏社会で、表の世界を保つ為に醜いものを一心に受けたのがこの世界だから。本当の日の当たる場所には、私は永遠にいけない。ファミリーの存在によってそれを否定されたのだと勘違いしていただけだ。裏社会という闇の中で、汚いものを目に映して。醜いものを身に受けて。手に入れたのは、人を殺すためのあらゆる知識と手段と、"黒猫"というもうひとつの名前ぐらい。失い奪ったものの方は数え切れない。
絶えず起こっては何かを壊していくマフィア、ファミリーの抗争に私はもううんざりだった。その呼吸さえ赦さないような重い世界から逃げたくて、ファミリーとの約束をいくつか守ることを条件に、気付けば家を飛び出していた。
たった一人で細々と生きて、たった一人で密かに死んでいく。
それが猫と呼ばれる私にはお似合いの人生なのだと、思っていた。思い込もうとしていた。人を信じるにはまだ私はあまりに幼く、そして色々な事を知りすぎていた。親友に、恋人に、時には家族に、裏切られて消えていった者が一体何人いただろうか。そんな辛い傷を負った人が溢れる世界で、自分だけはそんな無様な思いをしたくないと、辛い思いをしたくないと思っていた。
想いを踏み躙られるなら、きっと孤独の方が私は幸せだから。