Gatto nero | ナノ

008


昔、慣れ合いは嫌いだと言った私に、「お前はただの臆病者だ」とその人は笑った。















「黒猫…わがファミリーのために死んでもらおうか」
「はぁ?」


ずらりとベッドの周りを取り囲んで、リーダー格らしき中年太りの男が私の額に銃を突きつけた。
私が何をしたというんだろうか。迷惑をかけた覚えはあるかもしれないが殺される覚えまではない。
なんとも理不尽で筋の通っていない理由に思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
そもそも私を勝手に拾ってここに連れて来たのはそっちの方じゃないか。


「っ…月華ちゃん!?」


突然、このマフィアたちに知られている筈のない名前を呼ばれて顔を上げると、男の背後に見知った顔を見つけた。
声を掛けてきたのはジェンの店のカウンターでいつも飲んでいる常連客の男だった。
1人でしんみり飲みに来たり、はたまた大勢連れて来て大騒ぎしたりしてる人物。
以前お小遣いと称してチップをくれたり、お酒を奢ってくれたりしたことがあってよく覚えている。
誠実そうでありながら決して真面目とは言えない、けれどそこが好感を持てる。
いつも来ている黒スーツはマフィアと言われてやっと納得するような不似合いさだ。
…名前は確か、


「   ボノ?」
「待ってくださいモレノさん!何かの間違いじゃ…この子がそんな"黒猫"なわけが…」


男からかばうように私を背に立つボノにありがたくも申し訳ない気持ちになった。
私はきっと今からこの誠実な彼を裏切ることになる。


「あのリボーンさんが言っていたんだ。間違えるはずがない」
「そんな…」


モレノと呼ばれた男の余裕の笑みに、ボノは呆然とした声音でつぶやいた。

最初から分かっていたはずだ。
いつかこの日が来ること。
私の正体が暴かれて、軽蔑される、あるいは怖れられる、そんな日が。
そして私は作り上げてきた関係すら壊すそれを知っていて、それでも希望に縋ったんじゃないか。
あの店で作り上げた私自身を本物だと思い込んで、あるいはその一部だと思い込んで。
結局は私は自分の幸福を選んで周りを傷つけてばかりいる。


「………ごめんね」


それはボノにとって決定的な言葉になっただろう。

私は今、何に対して謝ったんだろうか。
それこそあの店に来てからずっと、何も話さず黙っていることがどれだけ自分を信じてくれる人を騙しているのか、裏切っているのか分かっていたはずだ。
どれだけ周りの人間を傷つけるということを。傷つけているかということを。

軽蔑されるだろうか、罵られるだろうか。
そんなことを考えている自分が腹立たしくて、自嘲の笑みが零れた。
うなだれていたボノの背が、ふいに顔を上げた。


「…ですが、もし本当に彼女が黒猫であっても、俺は彼女を信じます」
「ふん、」
「彼女はキャバッローネに危害は加えるような人間ではありません」
「この期に及んで騙されていたことに気付かないのか!」
「彼女はただのバーの店員です」
「どうせそのバーにも横領のために入り込んだに決まってる」
「彼女はそういう人間ではありません」


仮にもマフィアの人間が言う言葉じゃない。私が本当にただのどうしようもない、周りを騙して裏切っても平気な悪人だったらどうするんだ。
彼が上司に反論するほどのものが、私にあるとはどうしても思えなかった。
私を信頼しきっている言葉に思わず笑ってしまう。彼の言葉に、胸が痛んだ。あたたかさが胸に染みた。

ちらりとこちらに微笑んでから、ボノはぴしりと背筋を伸ばした。


「俺はあなたの命令には従いません」
「お前、この私の言うことがきけないのか!」


人を見下すような視線が、さっと怒りの表情に変わった。
それに比べてボノの態度はあくまでも冷静だ。
周りの男達もよく見るとあまり乗り気じゃないのか、銃を構える手に力が篭っていない。
確かに、私という敵を目の前にしてのこの問答はあきれるばかりだ。


「元々、ボスが命じたのは黒猫の殺害ではなく保護です」
「私の行動はファミリーの、ボスの安全を第一に考えてこそだ!何人のファミリーがこの女に潰されてきたと思ってる」


はじまった押し問答に、周りを取り囲んだ男達が戸惑いの色を見せる。
確かにボノの言うことの方が正論に聞こえた。
私が今ここで治療を受けているという時点で、彼らのボスは私を殺そうとなどはしていない。
そしてその意に反して、どうやらモレノが勝手に命令を下してこの人数を率いてきたようだ。
"黒猫は危険で信用ならない得たいの知れない人物だ"というのを理由に。
男達がどちらに従えばいいのか、どうすればいいのか、迷っているのは一目瞭然だった。
敵や部下を放置して討論している上司に呆れと侮蔑の視線をよこすものもいる。


「今ここで危険因子を潰しておくことで、後の平和につながるんだ!ボスは私に感謝するだろう!」


お前達も私に従っていた方が良いと意気揚々と言い放つ姿が醜かった。
それで取り入って褒美でももらうつもりなのだろうか。
きっと私は殺された後でキャバッローネの転覆を企む凶悪犯にでっち上げられるに違いない。
欲目当ての人間の行動というのはどうしてこんなにも醜いのか。
振り回される部下がかわいそうだ。
そしてこの男の出世のだしになんて使われるなんて私にとっても大迷惑だ。


「ええい!あくまで黒猫の方へつくというのならお前も反逆者だ!!この女と共に死ぬがいい!」


逆上したモレノが、ついに引き金に手を掛けた。
人が変わったようなの態度は、モレノの性格の異常さを物語っている。

避けようともしないで私の前に立ちはだかるボノを慌てて引き倒すと同時に、耳朶に不快な銃声が響いた。
上がる硝煙と私の大嫌いな火薬の匂い。そして銃声に混じって血肉を弾が裂く音。


「ぐあっ…!!」


   しまった。
最初に頭に浮かんだのがそれだった。
振り返ると、私の後ろに立っていた男に弾が当たったらしい。
腹部を押さえて膝を付いた部下に、モレノはどこか焦燥の入り混じった声で嘲笑った。


「馬鹿か!敵の真後ろにいたら弾が当たるに決まってるだろう!」
「……それが部下に対する上司の言葉?」


そもそも私を逃がさない為にこの陣を取らせたのはモレノだろう。
人間失格なら上司としても失格だ。人を率いる器じゃない。
部下を見下ろして笑う男を足払いで転ばせ、男が倒れた拍子に手を捻り上げる。
そしてその脂ぎった丸顔に裾から滑り出したナイフを突きつけた。
少し身じろきしただけで右ひざに激痛が走ったが、どうこう言っていられる状況でもなかった。


「ひっ…」
「こんな司令官を持った部下がかわいそう」


怯んでいるのか、その気がないのか、誰もモレノを助けようととっさに動かなかった。
圧倒的な戦闘能力の差に、私が翳したナイフに硬直した男を見て、滑稽だと笑ってやる。
性別的に有利な腕力で男は振り解こうとするが、特殊な組み方をした男の腕は逆に締まって逆効果だ。
仮にもキャバッローネという馴染みのファミリーなので殺すことはしない。というか面倒臭い。
そして彼らのボスに敬意を示す意味合いもあった。
手近にあった枕を引き寄せてカバーを剥がすと、男の手を後ろ手に縛り付けた。


「なっ何をする!!」
「これ以上暴れられても迷惑」
「お前達!!早く助けないか!!」


視線を上げれば、逆に部下達は私に怯んだようで一歩下がった。
何事かを喚き散らす声が煩くて、男の鼻先ぎりぎりにナイフを落として床に突き立てると、一瞬黙ったが逆効果だった。
相手にするのも煩わしくて男に目もくれずに被弾した男の方を見ると、腹部を押さえて床に転がっていた。
何人かの男達は突然の出来事にその男に駆け寄ったものの手を出せないでいる。
躊躇って動こうとしない男達に焦れて、ベッドのシーツを拝借すると彼らを掻き分けて男のもとへ急いだ。
弾は脇腹を抉ったらしく、おびただしい血が床を濡らしている。
横倒しになった男を仰向けにすると、弾は幸いにも貫通していたが、その分出血量は増していた。
すぐさま腹と背中の傷口を覆うように幾重にも折ったシーツを被せて、床と手で挟むように強く押さえ込んだ。


「いてぇええっ!!」
「大の男がギャーギャー騒ぐな。…それだけ元気なら大丈夫みたいだね」


泣き言を言う男を思わず叱り付けると、心配げにこちら覗き込んでいたボノが笑った。
それにつられて青い顔をしていた男達の顔も和らいでいく。
出血が思っていたよりも多く、すぐさまシーツは血色に染まって手にまで侵食してきた。
それでも今手を放すと傷は更に酷くなってしまう。


「何をしている!はやくその女を殺さないか!!」


ふと床に無様にうつ伏せに転がったモレノが叫んだが、もう銃を構える人間はどこにもいなかった。
全身に溜まりに溜まった贅肉と縛られた手が邪魔をしているらしく、モレノは起き上がることもできずにただ喚いている。


「自分達が今何をするのが先決か考えて」


モレノの叫び声に困惑している男達にそう言ってみるが、男達はまだ戸惑っているようだった。ただ誰一人として、モレノの言うとおり私をどうにかしようとしている者はいないらしい。
こちらはもう時間の問題だろうと思い(というか面倒臭くて)、手近にいた男に話しかけた。


「さっきの医者は?」
「た、多分俺らの仲間に連れられて…」
「呼び戻してきて」


躊躇いがちに何人かが動き出した。「早く」と急かすと転がり出るように廊下を走っていく。
手元に視線を移すと既に手首まで血に染まっている状態だった。
シーツは限界まで血を吸って早くもその役目を終えようとしていた。
繊維の隙間から、私の手の間から、溢れ出した血の匂いが辺りに充満する。


「もっと止血するものない?」


何かないかと辺りを見回していると、脱いだスーツのジャケットを差し出すボノの手があった。
ありがたく受け取ると続いて他の何人かが自分のジャケットを脱ぎ出す。
その数枚をシーツの上に重ねて、さらに圧迫した。


「他に何か手伝うことはありますか?」
「俺にも何かさせてください!」


すぐに行動に移すことができないのは状況に慣れていないだけで、その実仲間想いのいい人間ばかりだ。
見ればここに居る男達の顔ぶれは若い人間が多い。
それはモレノが若輩者にしか指示を出すことが許されない人間なのだという意味合いもあった。


「お前ら何やってんだ!」


騒ぎを聞きつけたのか、何人かの足音がバタバタと入ってきた。
先頭に立った青年を見るなりボノが突然びしりと姿勢を正した。他の男達も同様で彼が相当地位の高いものだと思わせたが、その服装はその場にあまりにそぐわなかった。
ジーパンにTシャツというラフな格好をした青年は、血腥い現場と化した部屋を信じられないとばかりに呆然と見回した。


「…何があったんだ?」
「はい、ボス」


呆然とするのは、今度は私の番だった。ファミリー内でボスと呼ばれるのはもちろんたった一人しか居ない。
ボノはその青年に敬礼をすると、ことの一部始終を語り始める。
ボスと呼ばれた彼はこちらに駆け寄ってきて、怪我人を見、そしてその出血の多さに青褪めた。
金色の髪と琥珀色の瞳を持つ青年に、九代目の面影が確かにあった。


「あーあー派手にやったな」
「シャマル、怪我人」
「俺は男は診ねえんだよ。つーかお前も怪我人だろうが」


いつの間にやら私の手元を覗き込んでいたシャマルに恨めしそうにそう言うが効果はなかった。
怪我人が怪我人の面倒見てるんじゃねぇと言う彼に誰のせいだと睨み付けるが、シャマルは何処吹く風だ。
そもそもなんでこの男はすぐ戻ってこなかったんだ。
裏社会で知らないもののいない有名人である彼が拘束の一つや二つ簡単に解けない筈がない。
どうせ廊下を歩いてたメイドだかの女の子を口説いてたと答えるに決まっているので何も聞きはしなかったけれど。


「まだ寝てろと言った筈だぞ」


シャマルの肩にちょこんと乗っているリボーンの小さな手が、座り込んだ私の額に触れた。
飛び跳ねるほどの冷たい手が、自分の体温の異常を知らせていた。


「この状況じゃ寝てらんないなぁ」


へらりと笑って見せると、リボーンは赤ん坊らしからぬ物憂げな表情で溜め息をついた。
そうこうしている内にファミリーの専属医らしき数人が駆け付けた。
怪我人を担架に乗せて連れていく。
やれやれと首を捻ったとき、部下の1人が濡れたタオルを差し出してきた。
それをありがたく受け取って、手にこびり付いた血を拭うが匂いは落ちなかった。
否、きっと匂いが取れなかったのは手の方ではなくて鼻や脳の方だ。
慣れている筈の血の匂いに酔いそうなのはきっと自分の体調があまりよろしくないからに違いない。


「死ねぇ黒猫っ!!」


ふいに突然聞こえた怒鳴り声に振り返ると、床に刺したままだった私のナイフで拘束を解き、それを片手にこちらに走り出すモレノの姿があった。


「!!!」


銃を構えたりボーンが引き金を引くよりも、周りの人間がモレノを捕まえるほうが早かった。
否、リボーンは飛び出してきた部下達に必要ないと手を下げたのだろうけれど。
部下である何人もの男達に圧し掛かるように取り押さえられ、呻くそれはひたすらに情けないとしか言いようがない。


「もうやめましょうやモレノさん」
「あんたは間違ってるんだよ」
「…おい、モレノ」
「っはい!ボス!!」
「俺は黒猫を丁重に扱えと言ってある筈だ。なんだこの様は。これ以上続けようってんなら、俺への逆心と見なすぜ」


ボス直々にこう言われては、もうなす術もないだろう。
がっくりと頭を垂れた男に、既に殺気も抵抗する力もなかった。

ふと立ち上がろうとたけれど、右ひざは痛みに悲鳴を上げるばかりでまったく動いてはくれない。
何とか左足を軸に立って右ひざを無理矢理伸ばした。
モレノが部下達にどこかへ連れて行かれて、ようやく静けさを取り戻した部屋を見渡していると、するりと目前に手が差し出された。


「まずは部下の非礼を詫びさせてくれ。あと礼もだな。えーと…」


照れたようにもう片方の手で頭を掻く動作が、マフィアのボスと呼ばれるには相応しくない雰囲気を持っていた。
だからこそ、キャバッローネのボスには彼のような人物が一番似合う。


「黒猫、もとい、月華」


もう一度タオルで強く手を拭ってから、その手を握り返した。


「俺がキャバッローネファミリー十代目ボス、ディーノだ」


微笑んだときの口元が九代目と重なって見えて、なんだか酷く懐かしい気持ちになった。


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