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迷霧

慣れたよどみが愛おしい

 ここを訪れるのは何度目になるだろうか。ちょっとした目的と都合のいい誘いを受けて『敵連合』なるものに加担したはいいが、正直言うと変わらない日々を過ごしていた。隣で変わった塗り絵に励む彼女をぼんやりと眺めながら、よこされた薄いブランデーを嗜む。まずい。無駄にグラスを揺すっていれば、また、来訪者が現れた。
「やぁ。ナマエ、お仕事だよ」
 義爛だ。
 右手をひらひらと振りながら、相変わらずニヤついた笑みを浮かべている。ナマエと呼ばれた、塗り絵に励んでいたその子は赤色の色鉛筆を放り投げてからパッと顔を上げた。投げられたそれは放物線を描いて、背後の壁にぶつかった。芯の折れる音が微かに聞こえる。勿体無い。
「お仕事、今から?」
「そう、今から。ちょっと遠いから、送迎を頼めるかな」
 彼は、カウンターの中にいた黒いモヤの男に話しかける。黒霧はやれやれと頷いた。
「どこへ送るんですか」
 そう問うた黒霧に、義爛は「いつもの湖まで」と答えた。しかと、と黒霧は頷く。右腕のモヤを大きく広げて、例のワープゲートを開いた。そこで俺はひとつ思いついた。どうせ何もすることがないのだから、ついて行ってみてもいいじゃないか。
「それ、おじさんも一緒に行っていいかな」
 ポンと、ナマエさんの肩に手を置いて声をかける。彼女はまた嬉しそうに顔を上げて、もちろんいいよと答える。話は決まった。義爛も特段文句はないようだ。それじゃあと、仕事の中身が書かれた紙を涙に渡して義爛は帰っていく。それをくしゃりとポッケに詰め込んだ彼女は、俺を連れたってワープゲートをくぐった。

 黒いモヤの世界を抜けた先は、薄暗い森の中だった。まるで亡霊でも出そうなその雰囲気に身震いをひとつして、しかしそれは寒さのせいだとひとりごちた。水辺が近いせいだろう。薄霧がかかり見通しの悪いここで、彼女は何をするのだろう。隣にいる彼女を見下ろす。すると彼女は「離れないように着いて来てね」と言った。頷く。ついでに手を繋いだ。ちなみに、一度迷うと死ぬまで彷徨い歩くことになるらしい。自死や死体遺棄にはもってこいじゃないか、と思った。
 多分、森の中を真っ直ぐ歩いたのだと思う。しばらくすると、静かな迷霧の向こう側に湖のような何かが見えた。それから、その岸辺に二つ、寝袋のようなものが転がされていた。
「今日の仕事、あれだよ」
 それらを指差して彼女は言う。近づいてみれば、寝袋とは当たらずも遠からずで、まあ率直に言えば人間の死体が入った袋だった。足元に転がったそれらを一瞥して、涙さんはさっき受け取ったくしゃくしゃの紙を開く。数分、だらだらと目を通してから、やがてまたくしゃりと丸め込んでえいと湖に投げ捨てた。しゃがんで、寝袋を少し開く。見えたのは、男の顔だった。
「うへぇ、ひどいことするなぁ」
 べっと舌を出して嫌そうな顔をしながらも、テキパキと手を動かしている様子はどうにも異質であった。上着を脱いでからポイとそばに投げ、それから、足でヨイショと死体袋を岸辺のギリギリまで転がした。ふたつともだ。なにやら重たそうだったので、少しだけ手を貸した。
「じゃ、ミスターはここにいてね」
 肩を回して、準備運動らしき動作をしている。ぐうっと両腕を目一杯伸ばしてから、足を振り上げた彼女は徐に死体袋を蹴り飛ばした。ふたつともだ。バシャンと大きな飛沫を立てて、ふたつのそれはゆっくりと水面に沈んでいく。次いで彼女は、それらを追うようにして飛び込んだ。ごく小さな飛沫だけをあげて、あとは波紋がみっつ、薄暗い湖に浮かんでいる。まるで、印象派の描く絵画のようだった。
 波紋と泡が消えて、数分。
 静まり返った森の中で、ひとり水面を前に立ち尽くしている。彼女や死体はどうなったのだろうか。冷たい風がヒュウと吹き抜けていくのと同時に、また水面がくらりと揺れた。
「ばぁ!」
 彼女は、大きく水しぶきを撒き散らして顔を出した。入水時とは大違いだ。尾鰭をパシャリと水面に叩きつけ、楽しそうな様子でくるくると泳ぎ回っている。普段、滅多にみることがない彼女の個性。そも、水中や水のあるところでないと発動しないらしかった。
「仕事は?もう終わったのかい」
「うん。袋ごと沈めてから、底の方にある岩とかに括り付けて浮かないようにするの。袋はだんだん溶けてって、あとは湖にいる生き物が残さず食べてくれるし」
 要約すると終わったらしい。彼女が請け負う仕事は主に水中への死体遺棄だ。世の中には吐いて捨てるほどの行方不明者がいて、その極一部はこんなふうに、湖や海に沈められている。最も、真っ当な人生を送ればそうはならずに済むのだが。
「お片付けするだけでお金くれるんだもん。人殺しよりよっぽど楽だよ」
「はぁ、そういうものかなぁ」
「そういうものだよ」
 この場にいる二人以外、誰にも届かないお喋りの時間は黒霧のワープゲートが迎えに来るまで続いた。冷たい水に浸りすぎたナマエさんは翌日クシャミを3連発していたけれど、やはりいつも通りの様子であって、平然と死体を沈めるような人間には見えなかった。

ワード:彷徨い歩く 誰にも届かない 亡霊

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