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催花雨

薬指を見つけなくては

 あれから、三度目の春が来た。

 突然帰宅をすれば聞こえていた慌ただしくも嬉しそうな「おかえりなさい」や、すこし寝ぼけた声で呟く「いってらっしゃい」も、季節を3周分しただけ聞き逃している。はじめは、明日にでも帰ってくるのだろうと思っていた。しかし、くる日もくる日もまるで音沙汰はなく、次第に薄れていくその存在が怖かった。いつかひっそりと消えてしまう前に、はやく戻ってきてほしい。似つかわしくもない願いは、今現在まで聞き届けてはもらえないらしい。
 最後に交わした言葉はいったい何だっただろう。おやすみなさいだったか、それともまた明日だったか。仕事にかまけていたせいで、どうにもはっきりとは思い出せない。それがまた残念で、無性に情けない気持ちが込み上げてくる。情けない、本当に。ただ待ち焦がれることしかできない自分も、何ひとつ進展のない現実も、全てがどうしようもなく情けない。
 徐に携帯を取り出した。通話履歴の三番目、決まったその番号を押す。無機質なコール音がしばらく鳴り止まない。そうして数秒。
「……ただ今、電話に出ることができません。ピーと鳴りましたら、お名前とご用件をーー」
 感情の無いこの機械音も、もう飽きるほど聞いた。もしかしたら、彼女があの控えめな声で「はい、もしもし」と応えるかもしれない。望みはわずかではあるが、それでも、こうして日に一度は着信を入れなければ気が済まなかった。強引に切った携帯を、机に投げ置く。キーボードにぶつかって、ガチャンと嫌な音が響いた。その隣に置いていた写真立ても、振動でカタリと揺れた。倒れそうになったそれを咄嗟に掴む。それから、ゆっくりと元の場所へ置いた。飾られている写真には、灯台のふもとで海を背景に、柔らかく微笑む女性が写っている。
「本当に、どこへ行ってしまったのかな」
 写真立ての輪郭をなぞって、小さく呟いた。これは五年前、婚約が決まった時に撮ったものだと記憶している。海を見たいと申し出た彼女を連れて、二人で埠頭まで赴いたはずだ。そう、多分。
互いに忙しい中でも、少しずつ思い出を重ねていくつもりだった矢先のことだ。彼女が失踪したせいで、以前よりもひどく研究に没頭する生活だった。研究、成果、報告。それ以外何も無い。けれどそれが良かった。余計なことは考えず、ただひたすら欲求に従って知を追い求めればいい。
 再び写真へと一瞥をくれた時、男がひとり、こちらに向かってくるのが見えた。微笑む彼女が写るそれをゆっくりと伏せて、男を出迎える。ファイリングされた書類を小脇に抱え、やや疲れた面持ちの二枚目だ。
「ここ一ヶ月のデータだ。今までとそう大差は無いが、一応確認してくれ」
 無造作に散らかった机上に、書類の束が乗る。置かれたそれにペラペラと目を通しながら、彼の話を聞いた。
「最近は少し物騒だな。なんでも、立て続いて殺人事件が起きているみたいだ。女性ばかり狙うものだから"和製リッパー"なんて謳われているらしいが、実際はただの快楽殺人だろうさ」
「へぇ、そうかい」
「身元不明の遺体も数件、あるらしい。あれから念のため、身元の分からない女性のものは全て照合してもらっているが……」
 言い澱んだ貴虎をチラリと見やる。彼の視線は、うつ伏せに倒された写真立てを向いていた。
「何も君が気まずく思うことはないよ。ナマエは生きている。彼女がわけもなく私の前から消えるなんてそんな、考えられない」
「そう、だな」
 それっきり、彼はめっきりと口を噤んだ。
 自分でも苦しい、根拠もない屁理屈を言っているのは分かっているが、それでも、いつかくる花の便りを望まずにはいられないのだ。どこかできっと生きていて、いつかきっと帰ってくる。そんな、ただの願望でしかない呟きは、この冷たい空間に馴染んではくれなかった。

ワード:花の便り 待ち焦がれる 願い

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