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シンとした空気に響くのは人間の呼吸音と本を捲る音、そしてペンを走らせる音。どれも心地よい音である。私はこの空間にいるのが好きだ。


目の前にあるのは分厚い本と教科書と文字だらけの少し汚れたノート。そのノートに再びカリカリとシャーペンを走らせては分厚い本を捲り、消しゴムで消して捲って書いての繰り返しである。


世間で言う受験生の私は第一志望の大学に受かるべく少しずつではあるが勉強をしている。授業はスピードが早くその場で理解することが難しいので地元の図書館にして復習して帰るのが最近の日課だ。


勉強は嫌いではないがあまり得意な方ではない。烏野高校の進学クラスに入れたのもギリギリだった。そのため人一倍努力をしなければ皆と同じように並べないのである。



「……んー。」



そんな私は先程からある問題のところで躓いており、唸っている。


ここは難題だからな、と今日先生が説明していたような気もするがその説明さえも良くわからず聞き流してしまっていたのである。


もっとちゃんと聞いてメモしとけばよかったと後悔しても後の祭り。私は解けない難題を見つめてはため息をついた。



「あ、ここ難しかったよね。」

「?!?!」



突然の声に驚きビクッと肩を震わせると、目の前の席には菅原孝支がいた。彼は肩を震わせた私に吃驚し「驚かせてごめん」と謝った。


部活の帰りなのか鳥野と書かれた黒いジャージを着て、私の目の前にいる同じクラスの彼と実は話したことがない。元々私が人見知りで人と積極的に関わらずクラスの大半に名前を覚えられてないということもありクラスの人と話す機会を失っているのもあるが。まあ、そんな余談話はどうでもいい。


彼は鞄を降ろし体を前のめりにしてノートを覗き込んできた。そしてふむふむと手に顎を当て少し苦笑いして、言った。



「桐谷さん、ここで躓いてるの?」

「え、あ、まあ……そうです。」

「今日難題だよーて先生が説明してたところだよね?」

「そうなんですけど、ちょっとよくわからんなくて……。」

「俺も俺も。他の人に聞いてやっと分かったもん。実はここはね……」



名前覚えててくれてたんだ、と感動しつつ折角教えてもらっているのでその説明を一語一句聞き逃すまいと真剣に耳を傾けノートに書き込んでいく。



「で、さっきの公式を使ってここを計算していくと答えが出るみたいだよ。」



菅原くんが言った通り計算してみるとこれがまた不思議。さっきまで悶々と悩んでいた難題はあっという間に解けスッキリとした数字の答えがでてきた。



「あ、あの、ありが」



お礼を言おうと顔を上げた時だった。


教えてもらっている時は全然気にしていなかったのだが、距離がとても近かったらしくお互いの鼻がコツンと当たる。そして目の前は真珠のようにキラキラ光る瞳でいっぱいになった。


ひゅっと音と共に呼吸が止まる。まるで海の中にいるような気分だった。しかし体温は下がるのではなく徐々に状況を理解し始め次第に上がり出した。



「ご、ごめんっ!」

「いえ!こちらこそ!」



そしてハッと口を押さえ周りを見た。しかし特に私達に注目している人はいなかった。ここは図書館だということを忘れてはならない。


正面を見ると手で顔を覆い、俯いている菅原くんがいた。指の隙間から見える顔が赤い。耳も茹でだこみたいに真っ赤だ。それを発見してしまった私はまた更に恥ずかしくなり俯く。鏡を見なくてもわかる。私は今きっと菅原くんに負けないくらい真っ赤に違いない。



「ほ、他になんかわかんないところとかある?」

「い、いえ、他は大丈夫、です。」

「そっか!」

「はい。」



再び流れる沈黙に私はどうすればいいのかわからず、髪を触ったりスカートを握り締めたりしていた。



「桐谷さんって努力家だよな。」



突然のその言葉に驚き顔を上げる。彼はニカッと笑って言葉を続けた。



「だって毎日毎日ここで遅くまで勉強してるだろ?受験生の鏡だな。」

「い、いや、そんな……。」



今まで褒められたことのない褒め言葉で菅原くんが褒めてくれるので素直に嬉しい。そんな彼の言葉に少し疑問が残る。そしてその疑問を口にしてみた。



「あの、」

「うん、なに?」

「どうして私が毎日ここで勉強してるの知ってるんですか?」



それを言った途端、彼は笑顔のままピシリと固まった。そして徐々に顔が真っ赤になっていくが手で顔を覆い隠した。そして何かを否定するようにブンブンと手を左右に振る。



「い、いや!あのね!たまたま見かけることが多かったから!えっと!その!」

「菅原くん、もう少しトーンを落として……。」

「ああああ、ごめん。ありがとう。」



そして彼は力尽きたように机に伏せた。あまりにも顔が真っ赤になっているので頭から湯気が沸いて出てきそうだ。


少しして落ち着いたのか顔を上げ、両手で口元を覆い隠す。視線は私の方には向けられておらず右に行ったり左に行ったりと落ち着きがないように思える。



「本当は、」

「?」

「本当は、帰り道いつも見えてたんだ。」

「え?」

「そこ帰り道でよく通るんだけどガラス張りだから外からも中がよく見えるんだ……。」

「そ、そうなんですか。」

「で、見知った制服の女の子がいるから見たら桐谷さんで。たくさんの本に囲まれて毎日一生懸命勉強してるの見て、努力家だよなって思った。」

「そんな、恐縮です。」



そうだったのか。ここ菅原くんの帰り道で勉強する姿見られてたんだ。褒められて擽ったくなって、にやけるのを我慢する。嬉しいという感情を今すぐ表現したいけどなんだか少し恥ずかしい。



「ごめんね。見てたらストーカーみたいで気持ち悪いよね。」

「い、いえ!褒めていただけて嬉しいです!」

「桐谷さん、声のトーン……。」

「ああ……!すみません。」



そう言って顔を合わせた私達はクスッと小さく笑った。菅原くんは頬を赤らめまだ恥ずかしそうにしていた。



「あのさ、もしよかったらでいいんだけど。」

「なんでしょう?」

「……明日から俺もここで勉強してもいい?」



その言葉に目をまん丸くする私。照れ隠しか頬を掻く菅原くんを見て私は頬が緩んだ。



「いいですよ。そのかわり、またわからないところ教えてください。」

「!それぐらいなら喜んで。」



そう言って微笑み合うこの空間に私は一瞬息をすることを忘れてしまった。







僕は息をすると言う行為を放棄する



この甘い空間を長く多く感じていたいがため、息をすると言う行為さえ惜しむ。



title:1204様より


 
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