やばい。
見てしまった。
部活が終わって、カバンを取りに教室に戻る途中で、とんでもないものを見てしまった。
あそこは確か理科準備室。
不意に扉が開いたかと思うと、生物の宮内先生と女子が出てきた。たしかあの子は隣のクラスの中川さん。
中川さんは先生に思いきり抱きついて、先生もまた強く抱きしめていた。あまりにも突然の出来事で、驚いて隠れてしまった。まだ、階段付近にいてよかった。
中川さんって会話したことないけど、おとなしそうな真面目な感じがしてたんだけどな。
宮内先生は今年から赴任した新しい先生。25歳で若くて、顔も結構整っているので、女子がキャーキャー言っている人気の先生。
そんな宮内先生と、中川さんが、抱きしめ合ってる。この学校で。これって、もしかしなくてももしかするよね。
「なにやってんの?」
「ぎゃっ?!」
「ぎゃっ・・・って。」
息を殺して身を隠していると、後ろから川西君が覗き込んできた。あまりにも突然でつい変な声が出た。
「び、びっくりした。まだいたんだね、川西君。」
「俺は教室にカバン取りに来たんだけど、桃谷がいたから。」
「そ、そう。私もカバン取りに来たの。」
2年の教室は階段の左側、理科室や家庭科室は右側で分かれている。
確かに部活終わりではあるけれど、その後に無性にロッカーの掃除をしたくなって全部出して拭いたりしていた。気になったらもう頭から抜けなくなってしまうタイプなので、下校時間ギリギリまで没頭してしまっていた。
ギリギリというかちょっと過ぎてるから、先生に見つかった怒られてしまう。だから慌てて教室に向かってる最中だったのに。
「結構時間やばいから、先生に見つかったら怒られちゃうね、俺ら。」
「う、うん、そうなんだけどね。」
わかる。すごくわかる。生活指導の広渕先生ものすごく怖いから、できるだけ早く学校から出たい!出たい気持ちはあるんだけど、あの2人に見られるわけにはいかない。
「・・・何でそんな声潜めてるの?」
「えー・・・と、あ!」
彼と目を合わせずに、廊下の方に目をやる私を不思議に思った川西君は、そっと私の視線の先を覗き込んだ。そして、お、と短い声を上げて、すぐ頭を引っ込めた。
「これはやばいね。」
川西君は私の耳元で声を潜めて言うので、私も言葉には出さずに頷くことで肯定する。
すると川西君は辺りを見渡してから私の腕を引き、無言で階段を登った。
「え、川西君?!」
「いーからいーから。」
足の長さも違うからか、階段を上がるスピードが速く、駆け上がる形でついていく。
1つ上の階に着いたとこで、川西君が階段に腰をかける。腕を掴まれたままの私はその流れで隣に腰を下ろした。
「かわ、」
彼の名前を呼ぼうとした時、彼は人差し指を口に当てた。慌てて口を押さえて耳を澄ますと下の階から声が聞こえた。
「気をつけて帰れよー由美。」
「はーい。」
宮内先生の声と、多分中川さん。パタパタと駆ける音が聞こえるので、多分階段を降りてるんだと思う。
というか、ゆみって下の名前だよね?
宮内先生、中川さんのこと名前で呼んでるんだ・・・。
「へぇ。宮内先生、中川さんのこと名前で呼んでんだ。」
どうやら川西君も同じことを考えていたみたいだ。中川さんとは会話したことがないから、初めて声を聞いたけど、声からして上機嫌だった。多分中川さんは階段を降りていったから、宮内先生も準備室に戻ったか、もうこの場所にはいないはず。
カバンを取るなら今だろう。ちらりと川西君に目配せをした。
「ん?」
「ん・・・って、今がチャンスだよ。」
「あぁ、そうだった。」
川西君はどっこいしょ、とジジくさい言葉を吐きながら立ち上がって伸びをした。行こっか、と短く言ってから階段を降りていく。後ろからついていき、2年5組でカバンを取り急いで校門へ向かった。運良く先生と出会すこともなかった。
校門を出てから、川西君は寮の門限、私はバスの時間に追われ、ほぼ会話もなく走って解散となった。何とかバスに間に合い家に着いたあと、私はさっきの出来事を思い出していた。
抱きしめ合う中川さんと宮内先生。中川さんを下の名前で呼ぶ先生。やっぱりあの2人は付き合っているんだろう。
でも、それってやばくない?
先生と生徒ってダメだよね。宮内先生は確かに女子から人気があるからモテると思うけど、まさか本当に付き合っちゃうものなのかな。
私は、先生をそういうふうに見たことないし、一体どのタイミングで好きになったのだろうか。好きになってしまったんだから仕方ない、というやつだろうか。
「・・・ふぁ、」
全然眠れなかった。結局気になって気になって気づいたら朝になっていた。確かに下校時間は過ぎていたけども、そんな見えるとこでやらなくてもよかったのに。準備室から出てきたんだから、準備室で抱きしめればよかったのに。
「眠そうだね桃谷。」
「川西君。」
今日のお昼休みは寝る、絶対。耐えろ私。
「昨日のことが気になったんでしょ。」
「そりゃあね。」
そりゃあ気になるよね。むしろ川西君は気にならないのかな。
「俺は特に気にならなかったな。」
「そ、そうなんだ。」
私、今口に出してたかな?
「俺に直接関係のあることじゃないし。」
「そ・・・そっか。」
川西君の言ってることはわかるけど・・・大人だ。
川西君は、元気なタイプというよりは、割と口数は少なめで、結構落ち着いている。他の男子みたいに突然キャッチボールが始まっり、誰々のスタイルが良い、とかのセクハラ発言もしない。4組の一般入試で入った優等生の人と話してるのは見たことあるけど、バカ騒ぎしてるって感じでもない。スポーツマンってもっと熱血系かと思っていたけど、同じスポーツマンとして私は違うので、彼も違う部類だろう。
「まぁ、さすがにキスはどうかと思うけどね。」
「きっ・・・!」
とんでもない爆弾発言に、思わず大きな声を出してしまった。慌てて口を押さえるも、既に手遅れ。クラスの視線は私に向いていた。
「声でか。」
ふはは、と川西君は可笑しそうに笑っている。なんだかそれが更に恥ずかしくて、下を向いて隠す。
「おい太一、桃谷になにか言ったのかよ。」
「歯の浮くセリフをちょっと。」
「何言ってんだおめー。」
クラスの男子がそういうと、川西君はとぼけた顔で答えた。彼の言葉で教室が笑いでいっぱいになる。ありがたいような、恥ずかしいような複雑な気持ちだ。
結局川西君の爆弾発言を見事に引きずり、昼休みはおろか、夜も眠れなかった。
「俺わかるよ、桃谷昨日も眠れなかったんでしょ。」
昼休みになるといつもいなくなる川西君が、今日はそのままいる。なんならわざわざパンを持って私の隣の席に座ってきた。私は基本1人で食べる派だけど、彼はいいのだろうか。むしろ、昨日ちょっと恥ずかしかったから、こっち来られるとまた思い出しちゃうんだけど。
「抱きしめ合ってるのは見たけど・・・まさか・・・。」
「あぁ、キス?」
「う・・・うん。」
キスって言葉恥ずかしくないのかな。私はなんか生々しくて恥ずかしいからあまり言ってほしくないんだけど、男子はそんな気にしないのかな。
「思ったんだけどさ。」
「な、なに?」
川西君の方を見ると、頬杖をついてこちらを見ていた。
「ちょっと恥ずかしがりすぎじゃない?女子ってそんなもんなの?」
なんかまた似たようなこと考えてるな。普通はそうなのかな。
「そりゃあ・・・だって・・・その、き、キス・・・だよ?」
恥ずかしいよ!だって私達まだ高校生でそういうのは早いし。川西君に目で訴えてみるも、首ごとそらされてしまった。伝わらなかった。
「・・・桃谷彼氏とかいないの?」
「い、いないよ!まだ早いよ。」
「そっか。」
それに今は勉強に部活でいっぱいいっぱいだし、好きな人なんて当然いない。
私的には卒業までは彼氏とかいらないし、多分出来ないだろうし。
「じゃあ俺と付き合ってみる?」
突然の言葉に咄嗟に川西君を見たらしっかり目が合った。
今、なんて言った?じっと彼を見つめて見ると、同じく返されるだけだった。
「・・・な、なんて?」
「俺と付き合おうよ。」
どうやら聞き間違えではないようだ。しかもさっきは疑問系ではなかったか。
「な、なんで?」
「ハグで動揺して、キスって単語だけで赤くなっちゃうから、俺で免疫つけてもらおうかなって。」
「な、なんで?」
そういうのはその場の流れ的なものがあるんじゃないの?恋人になったら、手探りで、的な。
そうじゃなくても、同性の友達に相談するとかでは?
そんな簡単に付き合うとか言っちゃう?俺で免疫つける?はい??
「経験がないからそんな取り乱しちゃうじゃない?だったら経験しちゃえばいいんだよ。」
「いや待って、確かに恥ずかしいなとは思うけど、川西君と付き合うのは違くない?付き合った人と、その、学んでいくし。」
「だって俺桃谷のこと好きだし。」
え、ちょっと待ってよ。
なに、それ。まさか、もしかして、告白?
「え、こ、ここ、教室だよ?」
「うん。あ、もっと雰囲気あるとこが良かった?」
「いや、そういう問題じゃなくて。」
そもそもまだ生徒がいるし、昼休みだってもう終わるし、この状況で告白とか返事に困る。
それになんでそんな平然とした顔してるの?
「俺、心配なんだよねぇ、こんなウブだと男に騙されそうだし。」
「そ、そんなこと。も、もしかしてからかってる?」
「からかってるように見える?」
「どんな感情してるかがわからない。」
告白って、もっと人気がないとこでやるもんじゃないの?放課後裏庭で、とか2人きりの教室で、とか。
少女漫画の読みすぎかな?それにしても軽すぎじゃない?ジュース買いに行こ、のノリじゃない?それに急に好きって言われても、って聞いたのは私だけども。
「どう?桃谷。」
「どうって言われても。」
「そっか。」
そっかってなに?川西君は徐にスマホを操作する。
「部活遅れるって連絡したから、後で仕切り直そう。」
「は?」
「いーじゃん、俺と秘密の関係。」
・・・秘密ではないのでは。
というか仕切り直しても変わらないよ。
私の葛藤をよそに川西君は上機嫌で席に戻ってしまった。
その後、押し負けてしまったのはまた別の話。