煉獄杏寿朗と政略結婚 | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -








▼ ▲ ▼


 差し込む朝日とスズメの声で目を覚ます。とはいえ、眠れなかったので元々冷めているような目だったのだけれど。上半身を布団からお越し、閉じられている襖へのろのろと手をかけた。
「む。おはよう!」
「ぎゃあ!」
 いまだ昨日の混乱が抜けきらない頭を晴らそうと、外の空気を取り込むために開けた襖の、ちょうどすこし先にいたらしい煉獄さんはパッとした笑顔を浮かべていた。溌剌とした声が朝の静謐な空気に溶けきらずに漂っている。
「お、おは、よう、ございます」
「すまない、驚かせてしまったな」
 申し訳なさそうに眉を下げた煉獄様に姿勢を正してお辞儀した。
「い、いえ、その……驚いてしまってすみません」
「気にしなくて大丈夫だ! きみは随分と朝が早いんだな」
 感心感心と頷く彼もずいぶんと朝が早いものだ。額にわずかに滲む汗が朝日に輝いているのを見るに、鍛錬の後だったのだろう。ということはもっと前に起きていたことになる。そこまで考えついて、血の気が引くという言葉を身をもって理解した。言葉通り、指の先あたりからさあと血が引いていく感覚。突然目を丸め、まごついたわたしに彼が不思議そうな顔をして首を傾げた。
「どうかしたのか?」
「い、いえ、いえその、鍛錬のお時間が想像よりもお早くて……その……朝食のご用意が……その」
 できていない。その失態の大きさに、今度は猛烈に恥ずかしくなった。愛想をつかされたらどうしよう。役立たずな妻だと思われたら。そういう不安がぐるぐるからだの中を渦巻いていた。言葉につっかえるわたしの頭を、煉獄様のおおきな手がやさしく撫で付けた。軽く整えただけの髪が無造作に崩されていく。絡まった不安がやさしくほぐれ、じんわりとしたあたたかさが心臓あたりを包み込んだ。
「気にするな、大丈夫だ。俺の方こそ時間を伝えずにすまなかった! 食事はもうできているそうだ。ほら、行こう!」
 差し出された手に自分のそれを重ねるのはまだ恥ずかしかった。真に繋がった夫婦ではないのに、それをしてしまうのはおこがましいとも思っていた。
 半歩ほど後ろを歩くわたしを、確認するようにときおり振り返る煉獄様はもうこの家の間取りを覚えたようで、その把握能力の高さに圧倒された。わたしはまだまだ、迷ってしまうことだろう。
 ここ、炎柱邸は彼の実家でないことは昨日伺っていた。ふだんわたしの住むここは、どうやらつい最近受け取ったもので、一度もひとが住んだことはないとのことだ。炎柱邸を希望した理由は、他でもないわたしのためだった。彼は本来ご実家である煉獄家で暮らしているが、最初から家族ぐるみで囲ってしまうのは大変だろうというわたしへの配慮。就寝や食事など基本的にはこちらで生活なさる。そのうまを聞いたとき、ほっとしたような、緊張したような、ふしぎな気分になった。初っ端からご家族に会うことがなくて、それだけは心底ほっとした。すこしでも彼のとなりに並び立つにふさわしくなってから、ご家族へのご挨拶にうかがいたいという、なけなしの乙女心だった。
 雀が鳴くなか、きちんとした食事を摂る。当たり前のようで、じつは当たり前でないそのことにわたしは昨日から涙が出るのを必死にこらえていた。あたたかい食事にありつける幸せを噛み締めていると、ふいに視線を感じた。顔を上げ、その正体を探るように目で追う。凛とした瞳がふたつ、まっすぐわたしを見つめていた。
「あ、あの」
「うむ! すまない。あまりに美味そうに食べるものだから見つめてしまった!」
「あ、は、はい……。その……すみません」
 はしたなかっただろうか。大口を開けて食べないよう気をつけてはいたが、無意識にそういった食べ方をしていたのかもしれない。どうやらわたしは一般常識めいたものが欠落しているのだ。長い間だれかと食事をともにすることがなかったから、こうして食べているときにひとが向かいにいるのですら緊張してしまう。気持ち少なめのご飯を箸で口に運び、咀嚼した。困った。味がしなくなってしまった。そろりと顔を上げると。煉獄様がにっこり笑みを浮かべてわたしを見ている。猛禽を思わせる瞳はただただ優しい。わけもなく心臓があらぬ方向に跳ね上がった。
「れ、煉獄様……その」
「どうした」
「あまり見られていると緊張、してしまいますので……その……」
「おお、そうか。すまない!」
「い、いえ……」
 どうしたものか。わたしの要望を聞いて、見つめられることはなくなったものの、目の前に彼がいるという事実にはやっぱり気を張った。
 美味しいはずが味のなくなってしまった朝食を終えたとき、彼がおもむろに自分の横を数度叩いた。ぽんぽん、と軽い音がする。意図がわからずに首をかしげるだけのわたしに、煉獄様が「こっちに」笑って言った。
「え、え……!?」
「まだ出るまで時間がある! 故にきみと語らいたいとおもったのだが……まずかっただろうか」
 動かないわたしを見て、煉獄様がしゅんと眉を下げた。わたしよりもうんと大きな体躯のひとに言うべき言葉ではないだろうが、どうにも、その、かわいらしい。そんな顔をされたら、どんな無理難題だってやってのけてしまえそうなほど可愛かった。語らうのにとなりに移動する意義はあまり理解できなかったが、そうしてほしいと彼が言うのだから仕方がない。緊張で重たくなった足を動かして、彼のとなり――といっても人ひとり分ほど間をあけた――に座る。ぐん、とおひさまのにおいが強くなって、まぶたの裏があたたかくなった。とろとろ微睡みそうになるのを必死でこらえ、なにから話せば良いものか思案する。
「あの、」
「うむ、そうだな。まずはなまえのことを――いや、俺のことを話そう!」
 煉獄様の膝頭がわたしのほうを向いたのがわかって、慌ててわたしも彼のほうへと向き直る。真正面近距離で顔を付き合わせるのは、矢っ張りどきどきと心臓が逸りだした。太陽のような瞳をずっと覗き込めるだけの勇気はなく、努力あえなくわたしの視線は畳の目を数えることに躍起になった。
「俺は煉獄杏寿朗。歳は十八。きみよりもふたつばかり上だな! 好きな食べ物はさつまいも。弁当の具は鯛の塩焼きが好きだ。鬼殺隊炎柱を務めている。それから――……うむ」
「……煉獄様?」
 突然話が切れたのを不審に思い顔を見上げた。わたしと目が合うと、彼はぱ、と笑みを浮かべて続きを話し出す。
「あ……すみません、お顔を見ずにお話を聞くのは失礼でしたよね、」
「む、そうではない。ただ俺が、きみの顔を見たかっただけだ」
「……は、」
 呆けるわたしをよそに煉獄様は快活に話を再開させた。聞く余裕も、なんて言われたかもいまいち噛み砕けないまま、言葉はかたちをまるまる残してわたしの頭に居座った。顔が見たい、に深い意味はないにせよ、こんなふうに感情を生のまま受け取ったことがあまりなかったせいで、わたしの顔はすぐに赤く染まってしまう。たいそう真っ赤になっているであろう顔を、両手の平で必死に隠しながら煉獄様を見た。
「どこまで話したか! おおそうだ、それから、きみのそれ」
「それ?」
 ついと彼の指がわたしのくちびるあたりを指した。
「それ、って、煉獄様どうかなさいましたか?」
「その煉獄様≠ヘやめてくれないか?」
「え、あ、すみません。ご、ご不快でしたでしょうか……」
「むう、そうではないぞ。俺ときみは夫婦となるのだから、様、なんて呼び方はむずむずする! それになまえ、きみもじきに煉獄になるのだろう」
「でも、その、わたしたちは」
 真に愛し合った末の夫婦ではない。顔を合わせたのだって、彼にとっては昨日がはじめてのことなのに。そう言いかけて、昨日言われたばかりの言葉が胸を焼いた。
 
 ――俺は始まりがどうであれ、きみのことをまっとうに愛することを誓おう。
 
 あんなにも、まっすぐに伝わる言葉を、どうしてすなおに吐けるのだろうか。わたしたちは、たしかに夫婦になる。だけれどその実、わたしたちの間には感情がまだ、存在していない。わたしが彼に相応しいかと問われれば答えは否。ちぐはぐで、あいまいで、未完成で。だから、わたしが煉獄様の姓を名乗るなど、おこがましいことなのに。
「きみが嫌なら強制はしない。だが、ふつうに呼んでくれたら俺は嬉しい」
「れ、れんごく、さん……」
「……よもや、そうきたか……」
 顔から火が出そうだった。面と向かって彼の名を軽く呼べる日がくるなんて。煉獄さん、れんごくさんと何度も口の中で転がしていたら、日だまりのようにやさしく彼が笑った。
まだ青い火光