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一条聖也

 こんな世界大嫌いだ。思い通りにならなことばかりで、苦労して就職した先は真っ黒中の真っ黒で。消費者金融を主体とした日本最大のコンツェルンなんて言われれば聞こえはいいが、その実闇金も甚だしいくらいの悪徳金利。それにすがる人も縋る人だ。わたしには到底縁遠い世界だと思っていたのに、全くどうしてこんなことになってしまったのだろうか。人生そう簡単にはいかないことばかりだと、つい最近友人がわたしに零したけれど同意しかできないわたしの人生にため息をこぼしたくなった。サービス残業当たり前、拘束時間は平均12時間、資料室にはクーラーなし。そのくせ店長室にはクーラー有り。
「納得いかない」
 今日も今日とて暑すぎるくらいの資料室で任された仕事を淡々とこなしていたわたしの口から漏れた言葉。2枚ほど扉をくぐればクーラーの効いた表舞台。そこには借金返済を考える債務者がいて、今日も「沼」なんて変な名前がついたパチンコに夢中になっていた。真面目に働いて返せばいいのに。そう思ってしまうのは、そういう苦労をしたことがない人間の綺麗事なのだろうか。あいにくと、わたしには闇金背負ってまでやりたいことも何もないのでその気持ちは一生わかりそうにない。
「苗字、いつまでかかってんだ」
 蝉の声しか聞こえなかった蒸し暑い資料室に気だるげな低い声がひびいた。入口の方を見やると、何やらカッコつけたような姿で壁に寄りかかる一条店長の姿。コツコツと革靴を鳴らしながらわたしに近寄って、きゅ、と眉間にしわを寄せた渋い顔でわたしを睨む。アルマーニのオーダーメイドスーツが嫌味のように目の前に広がった。
「アルマーニ」
「は?」
「スーツ、アルマーニお好きなんですか」
「別に」
「……高そう」
「高くねえよ」
「うそだ。ランクは」
 失礼極まりない質問を投げかけているのは重々承知だ。こうでもしないとわたしはこのブルガリの香水の香りとあまりの近さに酔ってあられもないことを口走ってしまいそうだった。ほんの少し考え込んだ店長はしれっと昨日の夕飯を答えるように「ジョルジオ・アルマーニ」といった。
「は」
「なんだよ」
「ジョッ、ジョルジオアルマーニって、えっぐ、えぐいですよ、それは」
「何がだよ」
「いやいやいやわたしのスーツなんて青山ですよ!? 夏のフレッシャーズセールでおやすくなって、」
「お前いつまで青山やってんだよ。プラダくらい行けんだろ」
「行けません」
 ブルガリの香水、ジョルジオアルマーニのオーダーメイドスーツに革靴、この人はいったい今いくら身にまとっているのだろうか。スーツだけで意識を飛ばしそうな一般人には到底理解ができない値段なことは確かだ。危うく椅子から落ちかけたわたしに呆れたような店長は、長く深いため息を吐いた後投げ捨てるように「こんなとこ長居したら具合悪くするぞ」と心配なのか、なんなのかわからないスピードで言った。高そうな、否、破茶滅茶に高いスーツを翻した店長の足がぴたりと止まる。後を追いかけていたわたしも、両手に持った資料を落とさないようにして足を止めた。
「店長……?」
 扉を塞ぐようにして立ちふさがる背中に声をかけると彼は何やら不機嫌そうな顔で振り返り、そのままわたしの腕を掴んだ。思いの外強い力で引っ張られたせいで資料を全て床にぶちまけてしまい、盛大な失態の音がフロア中に響く。痛いくらいに捻り上げられた腕はとうに悲鳴をあげていて、あまりの激痛に声を出すこともできずわたしはただ顔をしかめただけだった。
「て、てん――ひっ、ぁ!」
 なんとか絞り出すような声をあげると、彼は今一度眉根を寄せごく自然な流れでわたしの首筋に顔を埋めた。乙女心としては汗臭いこの状況で悲しいやら、接近できて嬉しいやらでせめぎ合い、心臓が暴れ出す。腕の痛みなんか忘れるくらい、首に這った舌の感触が強烈だった。生暖かくて、湿っていて、それで。爆発しそうな思考で理解できたのは、唯一顔を上げた店長が満足げな顔をしていることだけだった。
「……開けすぎなんだよ、だらしねえ」
 からかうようにそう言った店長は今度こそ部屋から出て行ってしまった。床に散乱した資料を拾いながら、ただの部下にこんなことをする一条聖也という人間の性格を疑ってしまう。導き出された結論は最低最悪という四文字だったけれど、その最低最悪な彼のことを好きなのもまた事実なのだ。
 何が言いたいかというと、つまりわたしは恋をしている。恋人でもなんでもないただの部下である女にキスマークをつけるような男に、どうしようもなく惚れてしまったのだ。
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