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尾形と痴漢被害

 ふと視界の端に入った女。別段、好みだとかそう言う類のものではなく、何の気なしに入ってきたその女は満員電車の中で何やら居心地悪そうにもぞもぞと動いていた。きっちりと結わえられた黒髪が電車の揺れと、身動ぎに合わせて揺れる。ずいと視線を下に下げ、女の顔を見てみればその顔は真っ青で唇は噛みすぎで白くなっている。引き結ばれた唇にひどい顔色、細かい身動ぎ。最初は体調でも悪いのかと思ったが、どうも違うらしい。しばらく女を見て、それから女に不自然にくっついているおっさんを見た。ああ、そうか。なるほど合点がいった。どうしてやろうかと思案していたら、車掌のアナウンスが耳に飛び込む。快速のためこれを過ぎたらまたしばらく止まらないこの電車はきっとどこまでも女を追い詰めていくのだろう。そう思ったら、なぜだか腹の底から黒い液体がぼこぼこと噴き出してきた。駅に着くなり、ぷしゅうと音を立てて開かれた扉。人の波に流されるようにして、逃さぬように男の腕を掴んだ。

「っな、なにをする!!」
「よぉ、おっさん。一緒に降りてもらうぜ」

 引っ張り出すようにしてホームに降りれば、発車ベルと同時に遅れて降りてきた女が真っ青な顔をさらに歪めながら俺と男を交互に見つめた。震える唇と耐えるために握っていた皺の寄ったスカート。泣き出しそうな女を引き連れて駅員室に男を突き出せば、面倒そうな顔をした駅員が俺を通り越して女を見つめた。

「また、あんた? 困るんだよォ、こういうの。これで何度目よ、本当は触られたくてそんな短いスカート履いてるんじゃないの?」
「……っ、ぁ、あの、ごめ、ごめんなさい……」

 言葉が飛んで来るなり小さいその体をさらに縮こめて、すっかり萎縮してしまった様子の女が震える唇でなんども何度も、小さく謝った。かったるそうにボールペンで机を叩く駅員が二の句を紡ぐ前に、手近にあったパイプ椅子を蹴飛ばして黙らせる。壁に当たったパイプ椅子が無駄にでかい音を立てて倒れたせいで、痴漢野郎も女も駅員もすっかり目を丸めてしまった。

「駅員さん、あとは頼んだぜ」

 なんでそんな行動に出たのか、自分でもわからず僅かに生まれた戸惑いを抱えつつ女の手を引いた。握ると言うよりも、掴んだに近い女の手は小さく、なおも小刻みに震えていて無性に腹の底がむずむずした。

「大丈夫か」
「あ、あの、その、えっと」
「別に、ゆっくりでいい」
「あ、あり……ありがとう、ございます。その……助けていただいて」

 ホームのベンチに座らせて、女の話に耳を傾けた。毎朝この電車に乗っていること、これで痴漢にあうのは5回目だということ、いつもあのような対応をされて2回目以降は耐えていたこと、助けてくれたのは俺が初めてだったこと、あとは乗車駅が一緒なこと。震える唇で紡がれた言葉は途切れ途切れで、それでも必死に伝えて来る女の姿がひどくいじらしかった。

「あの、お名前、伺ってもよろしいですか……?」

 控えめに俺を見上げた女が首をかしげた。その瞬間何かがことん、と音を立てて傾いて。

「尾形。尾形百之助だ。あんたは」
「苗字、名前です」

 通過電車の通り過ぎる音の中でもはっきりと聞こえた澄み切った音。それから何を思ったのか、俺は苗字の隣に座って横目で顔を見た。

「いつもあの時間だったよな」
「あ、はい」
「これからは毎朝5号車に乗れ」
「えっ?」
「付いてやるよ」

 にやりと笑って苗字をみれば、歯切れの悪そうに「でも」だとか「迷惑じゃ」だとかを言っていた。指先を擦り合わせて、もにょもにょ口の中で呟いている様子がまどろっこしく、どこか肥後浴のようなものが掻き立てられた。

「なんだ、いいのか?」
「その、もし、本当に尾形さんの、迷惑じゃあ……ないのなら、よろしくお願いします」
「ははッ、よし、わかった」

 携帯を取り出して、連絡先を交換する。その時初めて女の名前の漢字を見た。ああ、こういう字を書くのか。忘れないよう、刻んでおかなくては。
 苗字が白い手に握られた携帯をみて「おがたさん」と呟いた。
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