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 鼻をつく香水とお酒とたばこのにおい。女性物も男性物も入り乱れて気持ちの悪いくらい甘ったるい香り。胸やけを起こしそうなむせ返るにおいに重々しく息を吐き出した。ふと目線を落としてみれば何の変哲もないワンピースを着たわたしの綺麗でも細くもない足。少しだけ背伸びをして履いてきた真っ赤なハイヒール。その足はすでに靴擦れができてじわりと痛みが増してきている。窮屈な先に押し込められたつま先も痛くて、赤木さんもほめてくれなくてなんだかいいことなんか何もない。こんなんだったら履いてこなければよかった。ふかふかの黒い革張りのソファに深く腰掛けて何度目かわからない溜息を吐く。
 赤木さん、遠いな。わたしの座っている位置から少し離れた位置に座っている功労者。普段ならこんなところになんて来ないのに、どういう風の吹き回しなのか。代打ち先でどうしてもと頼まれた勝利パーティーのようなもの。なぜだか私も出席することになってしまったそれは、都内近郊所謂高級クラブというところで行われていた。遅れてやってきた主役の赤木さんにはおそらくこの店で一番人気の女の子があてがわれて、おそらくこの店で一番のいい席に座らされた。わたしはといえば何の関係もない部外者がおこぼれに預かったようなものなのでそれはそれはパーティーの末端の席を用意されて、女性ゆえそばにはホステスさんすらいやしない。目の前の少し広めの机に用意された、おいしそうな料理とかわいいフルーツタワーが唯一の癒しだった。
 飾り切りされたオレンジを掴んで口に運ぶ。甘いような酸っぱいようなそれになぜだか泣きそうになって小さく鼻をすすった。赤木さんのばか。少しはわたしのこと気にかけてくれてもいいじゃないか。やり場のない怒りに似たなにかを押し付けるようにグレープフルーツを食べる。すっぱい。すっぱすぎて涙が出てきた。

「えー、アカギさんてすごい格好いいのねぇ」

 そんな会話がふと耳に飛び込んだ。なによ、いまさら。赤木さんがかっこいいのなんて今に始まったことじゃないんだから。わたしのほうがよっぽど赤木さんのかっこいいところ知ってるんだから。なにと競っているのか、誰に誇示したいのか。そんな言葉を心中で垂れて結局何も行動には移せない。これならば行動に移せている彼女のほうがよほども優秀ではないか。相も変わらず甘ったるい声で赤木さんと話している彼女を見やれば背中のぱっくり開いた真っ赤なドレスにキラキラ輝くピンヒール。自分のいいところを最大限に理解してそれを武器として使える優秀な側の人間。そして顔も衣装に負けず劣らず美しさを輝きに乗せて放っている。すらりと伸びた鼻筋に大きな目、それを縁取るかのように並べられた長いまつげ。落とすと息を彩る真っ赤なルージュに彩られたぽってりとした唇。手はすべすべして白くてきれいで。全部が全部負けている。遠くから見て思ったことは「お似合いな二人」だった。わたしには到底立ち入ることのできない美の領域。あの女性をわたしに置き換えてみてもそこにはお似合いなんて文字は存在しない。
 赤木さんの背中をみつめる。濃紺のシャツが真っ赤なドレスとくっついてコントラストが目を焼いた。次の瞬間思わず飲んでいたジュースを吐き出すかと思った。赤木さんのそばについていた女の人がその豊満な胸を彼の腕に押し付けたのだ。押し付けられて赤木さんの腕の形になじむ胸。表情を変えずに何の動揺も見せない赤木さんの横顔。勝ち誇ったようにわたしのほうを見て微笑んだ女の人。そのすべてに心臓が悲鳴を上げた。どうして。わたしがいるんだから、やめてくらい言ってくれてもいいのに。勝ち誇ったように笑わなくともすべてにおいてあなたのほうが勝っているのだからどうしてこっちを見るの。わたしをそんなに惨めにしたいの。悔しくて、悲しくていろんな感情がごちゃ混ぜになって結局溢れてきたのは涙だけだった。喧噪の中にわたしの嗚咽なんか目立つはずもなく、もちろん赤木さんも気づかない。羽織ってきたカーディガンの裾で乱暴に目じりをぬぐって、半ば自棄気味に置かれた飲み物をあおった。

「っ、けほ」

 一気にあおったせいでダイレクトに感じられてしまったお酒の香り。ジュースだと思って飲んだものがまさかアルコールだったとは。黒服さんがきっと置く場所を間違えてしまったのだろう。それでも喉を焼くアルコールの痛みがいまは心地よくて涙が消し飛んだ。グラスの中を一気に飲み干して立ち上がる。このまま彼のもとへ歩み寄って文句を言ってやろうかとも思ったけれど心の柔らかいところがそれを良しとしなかった。歩きなれないハイヒールで出口へ向かう。このまま帰ってしまおう。大通りに出て、タクシーを捕まえて止まっているホテルまで。そうして、お風呂に入って寝てしまおう。きっと寝てしまえば全部全部忘れられるはず。わたしはきっとそういう単純な人間のはずだから。


 クラブを出てしばらく夜風にあたりながら街を歩く。ネオンに照らされて、怪しげに浮かび上がるおそらく法の外のお店。なんだか変なところに迷い込んでしまったらしく少しだけ嫌な汗が背中を伝った。大通りに出たかったんだけどなあ。はあ、と小さく嘆息して痛みを訴えかける足を無視する。道行く人優しそうな人に大通りに出る方向を聞いてそちらのほうに歩きだす。世界からぽっかりと切り離されてしまったような気分で涙があふれてきた。泣き虫だなあ。面倒くさい女。美人でもなければ特別かわいいわけでもないくせに泣き虫で嫉妬しいで。彼のとなりに並び立つほどの器量もなければ度胸もない。わたしはそこら辺にいる平凡な町娘なのだ。彼のとなりがふさわしいのはきっとあの女の人みたいな、そんな女性だ。まざまざと見せつけられた現実がさらに涙を誘う。ぼろぼろと伝う雫をぬぐうことをあきらめた腕はだらりと下に垂れている。いまさら全部に気付いたところで遅すぎるくらいなのに。こんなに好きになってしまって、戻れなくなってしまって。気づいたら何よりもどこよりも居心地のいい場所が赤木さんのとなりで。ばかみたいだ。わたしだけがこんなに好きでわたしばっかり焦って余裕が無くて。滲んだ視界が水中から世界を見ているようでもの悲しい。このまま溺死をしてしまえればいいのに。

「あれ」

 ふと涙をぬぐって顔を上げる。

「ここ、どこだろう」

 わたしは確か、大通りに出れるはずの道を歩いていたはず。泣きながら歩いていたせいでまともな道を歩いてこなかったのだろうか。それならばここは。いや、そもそもわたしはあのクラブまで組の車で送られたせいで泊っているホテルの正確な名前も住所も知らないのだ。それなのに、帰れるだろうなんて何をばかなこと。不安がそのまま黒い靄になってわたしの足を掴んだ。動けない。怖い。見知らぬ土地に一人きりで帰れる場所も知らない。足はもう限界だった。一歩、もう一歩と足を踏み出して地面にぶつかる。情けない音がしてひざに痛みが走る。のそのそ起き上がって足元を見ればぽっきりと折れてしまったヒールが少し遠くに転がっている。まるで分不相応な人に恋してしまったわたしに対する罰のように折れたヒール。擦りむいた膝。腫れた足と擦り切れた踵。立っていられないほどの悲しみが身を包みその場に蹲る。わたしは結局いつもこうなんだ。本当に、ばかだ。

「うっ……ひ、っく」

 街灯の下で膝を抱えて泣きじゃくる。情けなくて惨めでどうしようもない。いっそこのまま殺されてしまいたい。迎えに来てくれるはずもないのに、こうして泣いている間も頭の冷静な部分がもしかしたら、と期待を重ねている。ありもしない、そんな期待に胸を膨らませて。

「――、見つけた」

 どうして。どうしてあなたはいつもそうなのだろうか。どんな時もヒーローみたいなタイミングで現れてわたしの心を奪っていく。世界一愛しい人が肩を上下させながらわたしのほうへ手を伸ばした。少し乱れている髪が慌ててくれたのかなと期待を助長させた。

「あ、あか、あかぎさん」
「なに」
「どう、して」

 ゆらりと立ち上がって赤木さんのほうへと歩き出す。あんなに痛かった足がうそのように軽くて、痛みなんて感じない。ヒールのない片っぽがバランスを崩して腕の中へとだいぶする。ふわりと包まれた世界で一番落ち着くぬくもり。泣きそうなくらい愛しくて、求めていたもの。

「あんたが帰ったって聞いたから。どうせまたどっかで迷子になってるんだろうなって」
「せいかいです」
「勝手に出ていくなよ」
「……だって」

 赤木さんの長い指がわたしの涙を掬う。

「だって、邪魔かなって。赤木さん、女の人といたし、わたしつまらないし、邪魔だし、心臓痛いし、いたくなかった」
「名前、酒飲んだだろ」
「すこし」
「帰る」
「うん」

 いまさら回ってきたのだろうか。ぽわぽわとした頭が正確な思考を鈍らせる。きゅ、と赤木さんのシャツを掴んで口を開いた。

「ちゅう、してください。わたし、おこったんですから」
「随分積極的だね」
「……だって、さびしかったんだもん」

 すねたような声を出せば面白そうにくつりと笑った赤木さんがわたしの瞼に口づける。

「やだ、くちにしてください」
「帰ってからな」
「いじわる」
「その言葉、忘れるなよ」

 耳元でささやかれた言葉が一気に酔いを醒まして、わたしの顔を染め上げる。やっぱりなし、なんて言葉がこの人に通じるはずもないのでわたしは諦めたように赤木さんに寄り掛かっていた。
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