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 ※現代



 定期試験が近づいてきている。英語が大の苦手の私は、ジュリウスを頼って彼の家にお邪魔になっていた。彼の科目は既に大半が試験を終えたらしく、何も気兼ねすることなく、彼に勉強を教えて貰っている。
 少しスパルタだけど、分からないと正直に言えば丁寧に分かるまで教えてくれる。案外、ジュリウスは先生に向いているんじゃないかと思った。ただ、格好良くて運動もできて頭もいい先生なんて、年頃の女の子は放って置けないだろう。彼が今、こうして私に教えているように、女の子に囲まれて教えているところは、少し……いやかなり、嫌だ。
 ぼんやりそんな妄想をしながら彼を見ていたら、視線に気付いたジュリウスと目が合った。

「……上の空だな。そろそろ休憩するか?」
「んー……する」

 シャーペンをペンケースにしまう。ペンケースは、黒い布地に金のラインが入ったものだ。文具店で見つけたときに一目で気に入って購入し、愛用している。チャックの引き手にはなんとなく、小さな赤いリボンを結び付けていた。
 ジュリウスは一人暮らしをしているが、部屋に滅多に人は呼ばない、と言っていた。たまに呼ぶ、というか訪ねて来るのは幼馴染のロミオくらいだとも。滅多に人を呼ばない、その滅多の中に私が含まれることはすごく嬉しい。
 冷蔵庫から箱を出して持ってきたジュリウスが、お皿と一緒にそれをテキストたちを横にどけたテーブルに並べる。

「ケーキ! 買って来たの?」
「お前が勉強だけで数時間続くとは思えなかったからな、ショートケーキでいいな?」
「うん! ふふ、覚えててくれたんだね」

 だいぶ前に外に食事に行ったとき、デザートにショートケーキを頼んだことがある。そのときにぽろっと「ケーキで一番好きなんだよね」と零したことを、彼は覚えていてくれた。
 ジュリウスは柔らかく微笑むと、自分の方にはチーズケーキを置いて、ショートケーキを私に寄越してくれる。

「覚えてるさ。……絶対に忘れない」
「ふふ、嬉しい」

 そのとき、電話が鳴った。音の元は私の携帯からで、そういえばマナーモードを切ったままだったことを思い出す。オルゴール調にアレンジされたその曲は、私のお気に入りだった。
 ちょっとごめん、と断りを入れて携帯を確認する。この着信音は家族からのメールに指定したもので、送り主を見ればやはり母からだった。文面を見て、もう一回読み返して、顔が僅かに熱くなる。

「…………」
「どうした?」
「……な、なんでもない」

 今日帰ってくるなら牛乳買って来てね。……帰ってくるなら、とは。私は最初から勉強を終わらせたら帰るつもりだったのに、これではまるで私が今日帰らないと思っているようじゃないか。
 そろりとジュリウスを伺い見ても、彼は黙々とチーズケーキを食べている。……かわいい、じゃなくて。

「……さっきの歌、今もあるんだな」
「え?」
「ユノの曲だろう。……懐かしいな」
「懐かしいって、ジュリウス。これ最近の曲だよ?」

 彼はケーキを食べ終えて、目を細めて前を向いている。
 私としては彼がユノの曲を知っていたことにも驚いたが、彼の「懐かしい」という言葉にも驚いた。まるで、昔から知っているような口振りだ。

「いい曲だ。聴くと元気が出る」

 そう言うとジュリウスは、右手をぐ、と握りしめた。美人なのに、手はやはり男性らしく、ゴツゴツしている。

「この曲ね、聴いてると何故だか分からないけど、ジュリウスのこと思い出すの」
「俺を?」
「うん。だから大好き」
「……そうか。俺も好きだな」

 二人で同じ好きなものを共有している。そのことがすごく嬉しい。幸せだなあ、と彼の柔らかい表情を見て思った。

 この曲を初めて聴いたとき、ジュリウスのことを想うと同時に、息が詰まりそうなほどに胸が苦しくなったのだけど。……そのことは、言わないでおこう。
 言ってはいけない、そんな気がして。





 遠い昔に思いを馳せ、ジュリウスは目の前でテキストの英文を一生懸命に追っているナマエの顔を見つめ、目を眇めた。
 自分だけが知っている。テキストを睨んでいる目は、昔は荒ぶる神々と呼ばれる怪物を睨んでいたことを。ペンを持つ手は、重々しい武器を握っていたことを。平和な日常を過ごしている彼女も自分も、殺伐とした日々を送っていたことを。
 どういう訳か、ジュリウスは記憶を持って再び生まれた。そして記憶を持たないナマエを――かつての家族を見つけることができた。
 ナマエが覚えてないだけで、ジュリウスは昔にも彼女の好物を聞いている。絶対に、あの頃のことを忘れるものか。

 手を伸ばせば、すぐに触れられる。柔らかい髪を撫でれば、ちらりとこちらを見た彼女が、少し恥ずかしそうに顔を歪めたあと、また視線を落とした。
 遠い昔は手が届かなかった愛おしい存在が、今は目の前にいる。

 ――ああ、これを幸せと言うのだろう。





(20140521)
title by 確かに恋だった


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