そうだ、京都に行こう! 1

「うわ、暑っ」

 冷房のおかげで快適だった駅ビルから一歩外へ出て、宏紀はそう呟いた。
 左手にはキャスターのついたスーツケースと紙袋を引き、右手で帽子のつばを少し上げる。
 じりじりと照りつける日差しは梅雨明け直後ならではの蒸し暑さとともに、午前中にも関わらずすでに世の中を天然サウナ状態に仕向けているようだ。

 大学は夏休みまであと1週間あるのだが、仕事の都合により友人に代返を頼んで一足早い夏休みに入った宏紀は、初日から早速京都駅に降り立っていた。
 大学1年生の宏紀が組んでいるカリキュラムは一般教養が8割を占めており、友人たちにノートを借りれば理解が追い付く自信がある。
 でなければ、学業も疎かにする気のない宏紀が大学をサボって仕事をするなどあり得ない。

 今年大学3年生の恋人は現在まだ授業中であって、宏紀とは夕方に別の地下鉄駅で待ち合わせの予定になっている。
 その前にインタビューと対談の仕事をこなすべく、宏紀は肩掛けしたポーチから折りたたんだ地図を開いた。

 対談相手は京都在住の大物時代小説作家で、インタビューと対談という仕事の舞台はその大物作家の担当者が所属している出版社京都支部の事務所ビルに居住しているカフェを指定されている。
 そのため、道路標識では案内の悪いビジネス街に進まなければならないのだ。
 さすがに地図無しで見知らぬ土地を歩ける宏紀ではない。

 方向を確かめて地図をしまった宏紀は、再び帽子のつばを下げて日よけを作ると人の波を避けて歩き出した。

 普段であれば、夏休みに入って早々から忠等は東京にある土方家に帰ってきて夏休みいっぱいをバイトなどしながら過ごしている。
 だが、今年は実習単位と研究室の論文執筆作業のために夏休みいっぱいを全て東京に戻っているわけにいかなくなってしまったらしい。
 そこで、同じく大学生で学業日程が変わらず1年生ゆえに暇な夏休みが確定していて仕事はどこでもできるという、自由気ままな宏紀の方が夏休みいっぱいを京都で過ごす予定に変更していた。
 そこに合わせて、京都で仕事が入っており、普段なら日帰りのところを夏休み前倒しでやって来たわけだった。

 その学業サボり要因だった仕事は予定を大幅にオーバーして夏の長い日も暮れかけた19時にようやく解放され、その出版社の段取りの悪さと時間にルーズな対談相手に文句を垂れ流しながら、宏紀はビジネス街をせかせかと歩いていた。
 引きずるキャスターの車輪が立てる音も、終業後のビジネスマンでにぎわう界隈では耳にも残らない。

 しばらく来た道を戻っていくと、前方の路地あたりでビジネス街にふさわしくない怒号が聞こえてきた。
 目をやっても姿は見えず、路地を入ったところだろうと察しはつく。
 付近を通りかかる人々はそちらを注目しながらも足早に立ち去っていく。

『……―-やろ! せやから――――、――――や!!』

『じゃかしぃ! ――――ちゅうとろぉが!!』

 言葉が関西系だ、とむしろ感動してしまう宏紀は生粋の江戸っ子育ちだ。
 どちらも喧嘩腰かつどちらも口調が乱雑なため同格同士の喧嘩なのだろうとは想像がつくが、育ちがそちら側に近かったせいか異郷の地ならではの冒険心が湧いて出たか、むしろ野次馬根性が宏紀の脳裏に幅を利かせている。

 目的地はその通り道の先であることだし通りがかりに見物するくらいは可能だろうとあたりを付けると、宏紀はむしろいそいそとそちらへ近寄って行った。

 路地を覗きこめば、聞こえてきていた怒号から予測のつく状況が目に飛び込んできた。
 ただし、少しだけ的が外れていたことも同時に察せられる。

 喧嘩の当事者は、一方はその言葉遣いから簡単に予想がつくタイプの半端者、もう一方は見るからにごくごく普通の大学生風の青年だったのだ。
 大学生風の背後には同じような年恰好の若者が3人ほど身を寄せ合っていて、先頭に立ってチンピラと対峙している仲間を宥めようとおろおろしている様子が伺える。

 背後に庇われている若者のうちの一人の頬が腫れていて、チンピラと対峙している青年の姿勢がその友人らしき彼らを守るように手を横に広げていることから、ここまでの経緯がなんとなく予想できた。
 何故舞台がこんなビジネス街にほど近い場所なのかはとりあえず置いておいて、何らかの口実でチンピラの男が彼らに言いがかりを付けているところに素人ながら果敢に抵抗している、という状態なのだろう。

 これは助けるべきだろうか、と少し首を傾げてしまうのは、地元でない分チンピラ風の男の背後が想像つかないせいなのだが。

「あれ? 宏紀?」

 なんでここに、と続く言葉を聞きながら振り返れば、待ち合わせ時間に大幅に遅れてしまっていることをメールで謝ったところ待ち合わせ場所をこの近くに変更することを提案してきた、忠等だった。

「仕事がこの先で、今ちょうど通りかかった。忠等は? 待ち合わせ場所で待ってると思ったのに」

「いや、友達がトラブってて、ちょっと」

「トラブルって、あれ?」

「……そのようだ」

 改めてその現場を確認し、忠等が肩をすくめる。
 あからさまに善良な人間が嫌悪感か恐怖心を抱きそうな現場だが、さすが昔取った杵柄ということか、見る分には肝が据わっている。
 腕っぷしは現場を離れて久しい忠等では素人同然と自覚があるので無茶もしないのだが。

 まさか忠等の友達というのがあの見るからにチンピラな外見の男とは思えないので、反対側の4人組だろうと当たりをつける。
 そうして、肩をすくめた。

「地元じゃないしどうしようかと思ったけど。忠等の友達なら俺にも他人じゃないしね。ちょっと行ってくるよ。荷物見てて」

 ここで、普通の恋人ならその危険性に慌てて止めるところだろうが、恋人の能力を熟知している忠等にはそれを止める理由がなく、むしろ「悪いな」と任せて謝るほど。
 裏手でぽんと忠等の肩を叩いて軽く請負い、宏紀は迷う様子も見せずにそちらへ近づいて行った。

「喧嘩はやめてください。警察呼びますよ」

 大学生にもなれば好戦的だった性格も多少丸くなるようで、仲裁のために拳をふるうのではなく声をかけた。
 国家権力の権威を利用するのも、こういう場面では有効だろうと判断してのことだ。

 当然、チンピラならばするだろうと簡単に予測できる反応をこの男もするわけだが。

「なんや、ジブン。関係ないんは引っ込んどれ」

 なんともわかりやすい定型句に、宏紀と少し離れたところで待っている忠等と双方とも苦笑する。
 使い古された台本通りの言葉に従うくらいなら元々声などかけない。

「何があったか知りませんが、落ち着いてください。何事ですか?」

 どうせ肩が触れたか元々機嫌が悪かったかだろうとは予想がつくが、見た目からだけで言いがかりを付けるのでは相手と同レベルになってしまう。
 話せばわかる、わけはないが、話さなければ何もわからないのはその通りだ。

「そちらも、落ち着いてください」

「口挟むなやワレ!!」

 そちらも、と忠等の友人らしい青年に目を向ければ、宏紀の視線が外れたことで疑問形の答えを求められているわけではないことに気付いた男が殴りかかってくる。
 気を向けてくれた相手にそっぽを向かれたことで拗ねる子供のような反応なのだが。

 殴り掛かってきた拳は、宏紀が片手で受け止めていた。
 それこそ、なんでもないことのように平然と。

 喧嘩慣れして潰れた拳をあっさり受け止められたことに狼狽えたか、男の様子が変わった。
 異様なものを見る目つきで宏紀を見据え、後ずさる。

「な、何モンや」

「ただの通りすがりですが?」

 そこには一片の嘘もない。ただの通りすがりだ。喧嘩の当事者は双方共に宏紀の顔見知りでもない。
 無関係かと言えばさすがにそこは断言できないが。

「お、覚えてろ!」

 敵わないと悟ったか、早々に逃走を図る。あっという間にいなくなったチンピラの後姿を見送って、相手の力量を把握するだけの力はあったんだな、と妙に感心する宏紀だ。

 同じくそれを見送っていた他人顔の忠等が、ようやくそこに近づいて行った。

「ありがとな」

「お安い御用だよ」

 スーツケースと仕事先で二つに増えた紙袋を持ってやって来た忠等が礼を言うのに、宏紀は大したこともしていないというようにあっさり返す。
 預けていた荷物も受取ろうとしたのだが、反対の手で宏紀の手を阻止して返してくれなかった。荷物運びを請け負ってくれたようだ。

 近寄ってきた忠等に気づいたのは友人たちも同じで。
 喧嘩をおさめてくれた人物と気安く話す友人に戸惑って、それぞれが二人の顔を見比べている。

「来てくれてありがとな、祝瀬」

「アンタも、助けてくれておおきになぁ」

「そちらさん、知り合いか?」

 窮地から救われてほっとしたのか、緊張した空気が緩んだようだ。新たに表れた知人にまるで縋るように口々に声をかけてくる。
 チンピラと対峙していた青年は緊張の糸が切れたようでその場に蹲って震えてしまっていた。
 その彼の対応がまず優先と判断し、忠等から声をかけてやる。

「ったく、喧嘩もできないくせに血の気が多いんだよ、相場」

「……び、ビビったぁ」

 第三者の声が引き金か、今更の恐怖心からしみじみした声が漏れる。
 やれやれ、世話の焼ける友人である。

「うちのが通りかかってて良かったな。あんなチンピラ、俺じゃ撃退できねぇって」

「……うちの?」

 4人揃ったおうむ返しに、忠等はあっさり頷いて。
 
「あぁ。恋人だ」

「はじめまして」

 ぺこり、と隣でお辞儀をする宏紀。
 数秒の沈黙ののち、驚愕の喚声がざわついた市街のビルの谷間に反響した。


[ 131/139 ]

[*prev] [next#]

[mokuji]

[しおりを挟む]


戻る



Copyright(C) 2004-2017 KYMDREAM All Rights Reserved
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -