あなた暇なんですか?
 ネクタイ、汚れなし。ブラウス、シワ・汚れなし。スカート、シワ・汚れなし。黒スト、伝線なし。
「……よし」
 最終確認を終えて一息つく。時計を見てからロッカーの扉を閉め、更衣室に前のシフトの子が入ってくると同時に部屋を出て行く。
 ……多分今日も、来るんだろうなあ。そう思うと、せっかく仕上がりのいい制服を着ているのに背中を丸くしたくなる。それでも仕事場に立たないとと言い聞かせて、足を進ませた。

 ○月○日、夕方。シフト中に焼きあがった総菜パンの陳列をしていた時。今日の昴さんはコナン君達少年探偵団を連れて、合計6人という大御所スタイルで来店した。
 ちなみに以前来た時は他のバイトの子も同じ時間帯で、その子は来店時に『あれシングルファザー?』と冗談を零していた。嫌だわこんな遺伝子バラバラな五つ子家族、どういう設定だよ。
「「「こーんにーちはー!」」」
「こんにちは、今日も変わらずいい香りですね」
 元気有り余る声と共に来店する歩美ちゃん、光彦君、元太君。その後ろでいつも通りの落ち着きがあり過ぎるコナン君と哀ちゃん。最後に、なんで子供と一緒に来たのかよく分からない昴さんが店に入る。
「ねえ、昴のおにーさんっ何でも買ってくれるって本当?」
「ええ。構いませんが、晩御飯の前なので、1人1つまでですよ」
「げえっオレ足りねえよ〜」
「またすぐに食べるんですから、我慢して下さいよー元太君」
「オ、オレ、でっけーやつにしよ……」
 ああ、昴さんが財布役を買って出たから一緒に来たのか。
 一部が文句をいいつつも奢ってくれることには変わりなく、3人は昴さんからトレイとトングを渡されると、今日買うパンを探す為に散らばっていった。残りの2人はさぞどうでもよさそうな顔で陳列されたパンを端から見ながら歩いていく。そして残った1人の大人は、パンの陳列を終えた私に近づいてきた。
「昴さん、今日も暇なの?」
「いえいえ、これでも論文に詰まっていたところなんですよ」
「その下りもう何っ回も聞いてるんだけど?」
「何度も教授に見てもらっているんですが、なかなかOKが下りなくてね」
 やれやれといった感じで昴さんは両腕を広げる。内容は深刻そうなのに、あまり困っているように見えないのはどうしてなんだろう。怪しげに昴さんを見つめていると、袖を下から引っ張られる。振り向くと、空のトレイを持ったコナン君と哀ちゃんが見上げていた。
「え、何?」
「ねえ、さっき並べてたパンってどれ?」
「あー、確か柚子胡椒のつくねのやつだったかな……柚子平気?」
「うんっ」
「あ、コナン君と哀ちゃんも決まった!?あたしねー……」

 結局皆、焼き立てのパンを選んでいった。うん、それに敵うものってなかなかないからね!
 袋にまとめた商品を光彦君に手渡すと、袋から漏れ出る匂いを小さく吸って頬を緩ませた。
「いい香りですー……せっかく温かいんですし、買ってすぐにでも食べたいですね」
「なあねーちゃん!ここで食べられないのか?」
「ごめんねえ、テイクアウトしかウチないんだ」
「えー!?ここで食べられたら、もう1個ほしくなった時にすぐ買えるのにー!」
「オメーら夕飯前ってこと忘れてねーか?」
「気持ちは嬉しいんだけど……イートインの場所作ろうとするとね、お店に出せるパンの種類が少なくなっちゃうんだ」
「そっかー……それはあたしもやだなー」
「歩美ちゃん、ここなら歩いてすぐよ。気を落とすことでもないわ」
 ……それらしい理由を言ったけど、言ったことは事実だからいいんだ。正直、前から要望は出ていたし、店長や他のバイトの子と何度か相談はしている。でも、随時追加注文できるイートインスペースなんて作られたら、やることが増えちゃうから嫌なんだよねえ。
「そうですね、それにイートインなんて作ってしまったら、君のバイトが終わるまで席を立てなくなりそうで恐ろしいです」
「恐ろしいのは昴さんの想像だよパン何時間食べるつもりだよ」
「それに、客の目に君が長く留まるのもいただけませんね……」
「多分ずっと見てるの昴さんだけだから」

 ×月×日、夕方。制服姿の学生が店の前を歩いて帰路に向かっていく。その姿をレジに立ってぼおっと見ていると、今日は学生服姿の蘭ちゃん、園子ちゃんの2人とご来店。小学生の次は女子高生か……なんだかこうして一歩下がって見てみると、援交のようにも見えてきた。
「とうとう女子高生をはべらしたか」
「んなワケないでしょー!?」
「おや、羨ましいですか」
「んなはずないでしょ」
「もう、冗談だって……学校帰りにちょうど近くで昴さんと会って、一緒に入っただけだって」
 ということは、昴さんまたこの店に用があったんだ……私がシフト入ってるとほぼ来店して何かしら買っていくけど、おかげで工藤邸のダイニングテーブルには割と高い頻度でパンが置かれる。買ってくれるのはありがたいけど、昴さんが増量する原因になったらどうしよう。ふくよかになった昴さん……あ、ダメだ、博士みたいになったら哀ちゃんに2人まとめて体調管理されちゃう。
「いいなー、あたしも『バイト行ってくる』って言ってみたいなあ」
 そんな私の心配なんて露知らずの蘭ちゃんは、唐突にそんなことを言ってきた。
「でも蘭ちゃん、今はそんなにお金に困ってないでしょ?」
「まあ、そうなんだけど……ほら、臨時のバイトすらやったことないから」
 蘭ちゃんは軽く笑いながら、右手のトングで棚に並べたパンを取るか取らないかどっちつかずの動きを繰り返す。
 昔はさておき、毛利家はここ最近お金に困ってはいない。小五郎おじさんの知名度が上がりに上がり、探偵の依頼やイベントの出演料で賄えているらしい。そういえばコナン君が来る前は、学費とかは英理叔母さんも出していたとはいえ、蘭ちゃんも大変そうだったなあ……私も他人事ではなかったけど。
「それに蘭は部活もあるしー、おじさまに夕食作り何て任せられないからねー!」
「そうなんだよねえ。お父さん、あたしがお母さんみたいに出て行ったらどうなっちゃうか……」
「クラブのママ、とやらにまずは慰めてもらいに行くわね」
「あー、想像ついちゃう」
 園子ちゃんは……言わずとも。
「あ、蘭がするなら、アタシもバイトやりたいかなー」
「えー、結構面倒なことも多いよ?」
「あれでしょ、そこにあるカラーボールを、強盗犯に投げて命中させればいいんでしょ?」
「業務内容が極端過ぎない?」
「園子さん、それを投げるなら店の外に出てから投げてはどうでしょう。
 ここには食品がそのまま陳列していることですし」
「昴さん、そんな物騒なことは早々起こらないから……あ、でも」
「でも?」
 園子ちゃんの足先から頭まで見つめた後、今度は私が来ている制服を見下ろす。あれ、もしかして……
「……園子ちゃん、ここの制服似合うかも」
「え、マジ!?アタシ採用されちゃった!?」
「してない、する権利ない」
「そこまで言われちゃったら、店長に履歴書くらい出さなくも」
「……そういえば園子さん」
「え?」
 昴さんがトングをトレイに乗せ、空いた手を私に伸ばしてくる。何をするのかと思えば、私のシュシュに触れてきた。
「いつもそのヘアスタイルですが……
 ここでバイトをするなら、このように髪を束ねることになるのでは?」
「あ、確かに」
「え゛っ」
 きらきらと目を輝かせる蘭ちゃん、えらく楽しそうだ。反して園子ちゃんは、ヘアスタイルを変えることに露骨に抵抗があるらしい。期待している蘭ちゃんとの距離を1歩分置いた。
 そういえ園子ちゃん、最初に会った時からヘアバンドでまとめていたなあ。
「や、やっぱ止めておこうかしら」
「えーなんで?見たいのになあ」
「らーん、アンタ絶対、からかいに来るでしょ……」
「そんなことないってー」
 蘭ちゃんに珍しく、それも真さん以外でからかわれる園子ちゃんは、結局これまで通り店のお客さんとして通い続けることになった。因みに制服が似合いそうだからというのも事実だけど、元気がいいから店頭に立ってほしかったのもあったりする。

 △月△日、土曜日の正午。空腹を飴やガムでこっそり誤魔化しながらお客さんを待っている。
「……」
【食パンはまだお店に並んでいますか?】
 スマホにこんなメッセージが送られてきたのは、10分前のことだ。
 商品が並んでいる棚の1つには、1斤で買える食パンが辛うじて残っている。ウチのパン屋の常に売上上位にいる商品だ。
 昴さん、いつもは食パンなんて買わないのに、どうしてこんなことを聞いてきたんだろう。もしかして、朝飯にお米ばっかり出てくるのに飽きていて、ここにきて静かな抵抗を始めた……?
「邪魔するわ」
 あれこれ憶測していると、誰かによってドアベルが鳴った。
「哀君、ここは人の家じゃないぞ……」
「哀ちゃん、博士……なんで昴さんまでついてきてるの」
「博士がビートルをご友人に貸しているようで、僕の車に乗せることになったんです」
「いやー助かったわい」
「本当は博士の運動不足を憂いて、ここまで歩いて行くつもりだったんだけど……隣の家の前を通りかかった時に、あの人に出くわしてね」
 呑気に笑っている博士を、哀ちゃんは白い目で睨み上げる。途端に博士は焦り顔になり我関せずといった感じで口笛を吹きだした。
「ああ、邪魔が入っちゃったんだ」
「そういうこと」
「熱中症で倒れたら大変だと思って提案しただけですよ」
「今日は暑くないしじめじめしてないと思うけど……あ、そういえば今日は何買いに来たの?」
 哀ちゃんが踵を上げてトレイだけを取ると、一目散に1つの商品に向かっていく。なんでトングを取らないんだろうと不思議だったけど、理由はすぐに分かった。あの商品は袋に既に入っている上に、トングで持ち上げられない重さだからだ。
 あれって、さっき昴さんが在庫確認していたやつ……
「哀君とテレビを観ていたら1斤で何千円もする食パンを紹介していてなあ。そのまま最後まで観ていたら、食べたくなってしまったんじゃー」
「先に食べたいって言ったのは博士よ」
「でもウチの店にそこまで高い食パンは置いてないよ?」
「いいの、ここのはスーパーで買うより美味しいから」
「それは有難いけど……でも、2人で賞味期限までに食べ終わるかなあ」
「それは、あの人に半分買い取ってもらうからご安心を」
「やだ、明日から朝食パンになっちゃう。まあ、好きだけど」

 □月□日、夜。昴さんが迎えに来るまであと30分。バイト上がりに店まで迎えに来てくれるようになって、かれこれ2,3ヶ月は経った。
 早く時間にならないか、そわそわと壁に掛かった時計を見ていると、背後から誰かに両眼を塞がれた。……エンちゃん、今はお客さんいないからいいけど。
「せんぱーい、時計見過ぎですよー」
「え、そうだった?」
「……この間、厨房のスタッフが言ってましたよ、『知り合いが来てる時にアイツ顔作るの忘れ過ぎ』って」
「だって知ってる人に仕事用の顔見せたくないもん」
「まあ、あのお兄さんとの茶番は見てて飽きないですけど!」
「見世物じゃないからね!?」
 後でもう少し話を聞いてみると、昴さんの会計時の私の対応は、おおよそ『眼鏡のナンパ少年に対応する、パン屋で運送業をしている魔女』と同じらしい。
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