ツイログ(3)
〇昴さんと部分麻酔

「……」
「ぶすっとした顔は似合いませんよ?」
「え?」
 車で迎えに来た昴さんは、私を助手席に乗せてから程よく時間が経った頃、前触れなく私にそう言ってきた。私としてはそんなつもりはなかったけど、そう言われる心当たりははっきりとしていた。
「違うよ、麻酔!」
「麻酔?」
「さっき歯医者行ってきて、麻酔打ってもらったの」
「これから僕と食事を用意する約束なのにですか」
「大丈夫だよ、食べる時には取れてるはずだから」
 目の前の信号が赤に変わり、ゆるゆると停止線の前で車が停まる。ギアから手を離した昴さんは私の頭に手を伸ばすと、後頭部まで回して私の顔を昴さんに近づけさせた。

「……」
「……ふむ、本当に感覚が鈍くなっているんですね」
「……?」
「麻酔が切れたら、何をしたか教えてあげますね」
「っえ、え!?」
「さて、今日は何を作りましょうかー…」
 ちょっと、昴さん何したの!?



〇昴さんの煩悩はおそらく消えない

「昴さん、寒いならもっと着込んだらいいんじゃあ……」
「これがちょうどいいんです」
 ぎゅう、とおなかに回っている腕の力が強まると、より強く感じる昴さんの存在。ソファに座っている昴さんにあの手この手でここまで誘導され、昴さんに抱きしめられたまま観ることになった年末のバライティ番組の内容は、ちっとも頭に入ってこなかった。
 もうすぐカウントダウンが始まる……日の出を見に、朝早く起きて海に行こうって計画を二人でしたのに、この男の様子から見るに、寝る気もなさそうだ。
「もう、早く寝ようよ……初日の出を見させないつもりなの?」
「まさか、そんなつもりはありませんよ……ああ」
「な、なに」
「今から車で前もって移動すれば、そのままことに至っても初日の出に間に合いますよねえ」
「狭いから却下!」
「それならレンタカーを用意しましょう」
「もっとだめ!」
 この男の煩悩、除夜の鐘で消え去ってくれないだろうか。



〇昴さんと年齢制限

「昴さんちょっと」
「ん?」
 彼女は俺の隣に座ると、目線を俺から逸らしつつ、スマホに表示された映画のサイトを見せてきた。観たいなら観たいと言えばいいものを、何故こうも躊躇っているのか。
「あの、観たいんだけど」
「けど?」
「夜遅く始まるから……帰りの電車が……」
「……その映画が本当に観たいんですか?」
「う、うん。好きな俳優が主演で出てるから」
 彼女が好んでいる、と言われてしまえばこちらとしても興味が湧く。湧くんだが……
「分かりました、帰りに車を出しますよ」
「ありがと…!」
「その代わり、僕もついて行きます」
 え、と彼女が声を漏らしたのを聞き逃さなかった。まさか、その映画が深夜帯でしか公開できない理由を分かっていないのだろうか。



〇沖矢さんが頼りない件

「沖矢さん」
「はい」
「このちっちゃい実は……ジャガイモの新しい銘柄?」
「いえ、メイクイーンのはずです」
「ああそうですか、だったら次の犠牲者を生む前にジャガイモから手を離して下さいっ」
 工藤邸に戻って台所に入って早々、沖矢さんのぷるぷると震える左手から包丁を離させた。ザルの中には私の拳よりも小さなサイズにまでなってしまった、皮が剥かれたじゃがいも達。沖矢さんはこれを他の食材と一緒に煮込むつもりだ……ああ、こいつらが煮崩れするかどうかは私のフォロー次第じゃないか。
「あ、芽が取り切れてない。私見ておきますから、とりあえず沖矢さんはこれで指切らないようにやって下さい」
 沖矢さんをまだ皮が剥かれていないジャガイモの前に立たせ、ピーラーを渡す。私は包丁を手に取り、小さな実と化したジャガイモを全てチェックすることにした。
「……有希子さんが来るまでに、成果を見せたかったのですが」
「大したアレンジはしてませんから、全然間に合います」
「ふふ、頼りにしていますよ」
「頼らないように努めて下さい!」
 ちょっと雑に沖矢さんからジャガイモを受け取る。頼りなさを駄々漏れにする大きな男性曰く、私にはもう少し頭を悩ませてもらう予定らしい。



〇昴さんの一時平凡思考

「この人が正真正銘、沖矢昴さんだよ!」
 ボウヤに俺を紹介した時の彼女の真っ青な顔をよく覚えている。俺の前では怒り、泣き腫らし、困惑してばかりで、笑うようになるまでに随分と時間を費やした。今では、それ以上に満たされる表情も見られるようになったが、口に出したら機嫌を損ねるに違いないから声には出さないでおくとする。
「昴さん、おはよう」
「おはようございます」
 今日も俺はいつも通り、本性を隠して平凡な日々を送る……とりあえずは、な。



〇嘘つきだらけの

『鬼灯に葉が似ていることから、本物ではない、役に立たないという意味の“否ぬ”をつけて名づけられ……』
「あ、ほんとだ似てるね」
 再会して大きくなった彼女は、こうして俺の隣に腰掛け、過去に何も無かったかのように日常を過ごしている。顔も声も人生も、偽りばかりの沖矢昴《うそつき》を。
「ええ、本当に……そっくりです」
「……昴さん?」
「さて、そろそろ食事を用意しましょうか」
 まだ幼かった当時の彼女には、俺の目指すものが怖くて仕方がなかったんだろう。だがこのまま、赤井秀一の存在を、生存も含めて思い出させないことが彼女の為なのだろうか。



〇昴さんにNoは通じなかった

「昴さん、何この枕」
「おや、イエス/ノー枕ですよ」
「いやそれは知ってる。なんでこんなのあるのって聞いてるの」
 昴さんの寝室に入ってみると、いつものシンプルなシーツの上に、全く昴さんに似合いそうもない可愛らしい色の枕がどんと置かれていた。枕にプリントされた文字を黙って見下ろす。大きな文字で『Yes』、裏は『No』。所謂、夜の営みをするか否かを示すコミュニケーション用の枕。まさか目の前に現れる時が来るとは。
「君が意思表示をしやすくなると考えて、用意してみたんですよ」
「……それは昴さんが先に体で表すからでしょ」
「今日は、君の意見を優先しますから。それとも……今日はベッドに、一緒に入る気分ではありませんか?」
「……」
 残念ながら、昼間からこんなことをする気分じゃあない。読みかけの本だってあるし、夕飯の下準備もしたい。枕の両端を摘んで、躊躇うことなく『No』を昴さんに向けて見せた。さて、茶番を終わらせたし、早くこの枕を処分させ──
「え」
 昴さんを捉えていたはず視界は、いつの間にか天井の照明へ。ぎしりとベッドを軋ませて顔を近づけてくる、にっこりとしている昴さん。
「あの、目、見えてる?ちゃんとNoって」
「気分ではないに対しての返答なら、そういう気分ということですよね?」
「枕の解釈違くない!?」
 もうこれは邪魔だと言わんばかりに、昴さんは私が必死に掴んでいる枕を奪い取ってベッドから放り投げた。



〇沖矢さんと赤井さんが分裂した話

「これ、本当に変装じゃあないんですか?」
 両方の手を伸ばし、ぺたぺたと昴さんの顔中に這わせていく。指にはファンデーションらしきものはつかないし、染まったウィッグを引っ張っても昴さんが少し痛がるだけ。更にハイネックを捲っても、編成機はない……どうやら完全に別人らしい。
 早い話が、素の顔である赤井さんと、赤井さんの変装後である昴さんが分裂してしまったのだ。哀ちゃんのセコムが増えたのはまあ、悪いことではないんだけど、私にとって彼が二人になったのは問題だ。(まず素性を知らない人がいないのに、赤井さんも昴さんを呼び分けないといけないことが面倒だ)
「そのようですね」
「いや、何呑気に笑ってるんです……困るじゃない、出費が倍になったら」
「君の心配事はそこなのか」
 せっかく自炊して食費を抑えていたところに、まさかこんなことが起こってしまうとは。原因が分からないんじゃあ、何の対応もできない。このままずるずると二人のまま時間が過ぎた時、光熱費や水道代もどうなることか。
 ああもう、私がここに住んでるわけでもないのに、なんでこんな心配をしないといけないのか……恨めしそうに赤井さんを睨むと、彼は少し目を伏せ考えているような素振りをする。やがてなにか思い立ったのか、すっきりした顔を私に見せた。
「しかし利点はあるぞ」
「え?」
「分裂した様子を安室君に見せれば、沖矢昴と別人だと証明できる。首も晒せる上に、ボウヤの助けも不要だからな」
「それ、赤井さんが捕まりに行くってことではありませんよね!?」
「そう簡単に捕まりはしないさ。だが、逃亡することになった時にはそうだな……彼に家を守ってもらうことにしようか」
「この似非大学院生に?」
「む、失礼ですねえ。煮物だって作れますし、お隣に仕込んだ盗聴器だってまだ、コナン君にもバレていませんよ」
「不安な設定だけが残ったなあ!」
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