昴さん「は」いない特別な日A
「あ、秀君ちょっと待って」

 赤レンガ倉庫の最寄り駅、そこの地下駐車場に入り、エンジンが止められた。
 下ろしたて手袋をはめて助手席のドアを閉めると、莉乃がこちらまで回り込む。手を繋ごうと手を伸ばした……と思いきや、目の前でしゃがみこみ、俺の首に手を回した。
 ひんやりとした感覚を覚えて身震いする。その感覚は一瞬で終わり、代わりに別の何かが首全体を包むように触れた。

「秀君、マフラーちゃんと結ばないと……」
「あ……」
「そうそう、似たようなの昴さんも持ってたよ……」

 前にここに来た時と同じマフラーを持ってきてしまったのか。そんなことを考えもしなかった。……知っている限り、女性の方が服装に目が行きがちなんだろうな。

「よし、出来た。多分ほどけにくくなってるよ」
「ありがと」

 胸元でロングマフラーを結び、生地を引っ張って形を整えると莉乃は立ち上がる。莉乃も手袋をはめると、俺の手を緩く掴んで階段へと向かった。
 外の空気に触れた瞬間、吐いた息が見えるようになった。

「莉乃お姉さん」
「な、に」
「……生まれたての小鹿」
「に見えるって!?手摺りに掴まってないから去年よりましだよ!?」

 スケート靴を借りて、いざスケートリンクに入ったものの、前にいたはずの莉乃を見失ってしまった。周囲を見渡し、ようやく莉乃らしき酷い姿勢の女性を見つけてそこまで滑っていく。
 そうだな、去年の君は笑いたくなるくらい酷いものだったな。俺の助言を聞く余裕もないほど一杯一杯だったことを今でも覚えている。
 手摺りから離れたから去年よりは大丈夫かと少し思ってしまったが、やっぱり撤回する。何故両足揃ってがくがくしているんだ、リンクに対してその踏ん張りは絶対に意味がないからやめろ。

「……しょうがないですね。手摺りに近づくから、お姉さんじっとしててね」
「え……!?」

 莉乃の前まで回り込むと、彷徨う右手を両手で掴む。
 床がスケートリンクで良かった、子供の力でもなんとか引っ張れるだろう。そのまま片腕を引き、周りの客の様子を見ながらゆっくりと手摺りの方へ滑り出した。

「しゅ、秀君スケートしたことあるの?」
「去年やったよ」
「あ、私も」
「……多分お姉さんより滑れるよ」
「もー……秀君より場数踏んでるはずなのに」

 莉乃に顔が見えていないのをいいことに、少し苦笑いをした。
 すまないが、莉乃とは踏んだ場数の数も質も比べ物にならない。ああこれは、沖矢昴の姿でも決して言えるものではないな。

「場数って問題じゃないよ……ほら、お姉さん右手で手摺り掴んで。左手は僕の手持ってていいから」
「あ、ありがと……」

 他の客が各々のペースでスケートリンクを反時計回りに滑っていく中、莉乃とゆったりとした速度でリンクの端を滑っていく。
 莉乃は時折、視線を俺の手を握っている左手へ注ぐ。子供にリードされているのが複雑なんだろう。こっちとしては去年と同じことをしていることには違いないが、君だけそんな反応をしてくるのにある種の新鮮さを感じる。

「お姉さん、今日はよく手を繋いでくれたね。さっきは僕が掴んだけど」
「そうかな?」
「歩いてる時ほとんどそうだったよ」

 また俺の右手に顔を向け、その後正面に戻す。しかしその目はどこか遠いところを見ているようだ。

「昴さんのが移ったのかな。ここ来た時も昴さん、滑りながら手繋いでくれてね……」
「……」
「昴さん……いつ戻ってくるか、まだ教えてくれてないの」

 ずっと待ってるのに。
 莉乃の左手の力が強まった。表情は、見なくても分かるし、見たくはない。見てしまえば、俺の方がいたたまれなくなるに違いない。
 “ここにいますよ”って言えれば、一体どれほど楽なのか。



「はい、ココア」

 リンクから出て、店舗が並ぶ倉庫の中に莉乃と入った。
 輸入雑貨店で陳列された棚の間をうろついていると、片方の頬がふと暖かくなった。暖かくなった頬の方を振り向けば、小さな紙コップを2つ持った莉乃が立っていた。

「ありがと、って……コーヒーじゃないの?」
「秀君にはコーヒーはまだ早いと思って、ちょっとお願いして貰った」
「……飲めますよコーヒーくらい」

 店員も余計なサービスをしやがって。渋々紙コップに口を付け、ココアで喉を潤わせた。
 莉乃の方を見上げてれば、輸入された食材を手に取っては眺め、手に取っては眺めを繰り返している。その度に、やるせない顔で溜息を吐いていく。昴さんと作った、まだ作ってないのどちらかか……もう何を見ても沖矢昴に連想させていそうだ。

「……莉乃お姉、さん」
「ん?」
「僕が大人になって、お仕事するようになったら」

 冗談だと受け取ってもいい。とにかく、今はこっちを見てくれ。

「結婚して下さい」

 沖矢昴“以外”を見てくれ。
 しばらく莉乃は呆然とし、目を見開いている。はっと我に返ると顔を赤く染め、久しぶりに見る困惑の表情を露にした。
 まさか会ったばかりの子供に求婚されると思ってもいなかったんだろう。それも、自分が交際している男の血縁者と聞いている子供にだ。

「そ、それ、あと何年くらい先?」
「……10年は先」
「じゃあ、10年経った頃……私が昴さんに愛想つかしてたらね」
「……可能性があるんだ」
「だって昴さん、論文書いてるって割に暇そうなんだもん。
 車、そろそろ戻ろうか。私が寝ないように、運転中話しかけてあげてね」

 ココアを飲み干すと、紙コップをゴミ箱に入れ、輸入品のパスタを1袋手に莉乃はレジへ進んだ。
 理由は分からないが、こうなってしまっては仕方がない。元に戻れないなら、工藤邸に戻ったらすぐに上司に事情を説明するしかない。沖矢昴の情報を各データベースに、さもあるようにしたんだ。それが子供でも手間は変わりないと、彼を信頼するしかない。
 ……沖矢昴が暇人に見える件については、まあ、聞かなかったことにしよう。本来行っている監視がバレていないということだ、別に本当に暇なわけではない。

「そういえば、秀君って何歳?」
「え……じゅ、10?」
「そっか、私と結構離れてるかなって思ってたけど……昴さんと私が7歳差なんだって考えると、そんな気にするほどでもないんだね」



「すっかり遅くなっちゃったねー。すぐお湯沸くから、早くあったまろー」

 工藤邸の玄関に入り、莉乃は玄関扉の鍵を閉めると、浴室へ向かう。俺は急いで自分の部屋へ向かった。
 ドアを閉め、いつも隠している連絡用のスマホの電源を入れる。使えるまでにかかる時間は、あと1分といったとこ――

「秀君ー」
「!」

 浴室に向かったはずの莉乃がドアをノックする。慌てて枕の下に起動中のスマホを押し込むと同時に、ドアが開けられた。
 莉乃は俺の事情なんてつゆ知らずと言った顔を覗かせると、俺がいるベッドに近づいてくる。やがて俺の隣で腰を下ろし、ベッドが小さく揺れた。

「今、大丈夫だった?」
「うん……お姉さん、どうしたの?」
「お風呂、一緒に入ろうかと思って」
「もう僕10歳だよ!?」

 爆弾発言にも程がある。いくら君を抱いた沖矢昴でも許されない行為だ。
 それは小さくなってしまった今も同じ。どっちにせよ、赤井秀一をベースに変装している状態だ。変装が浴室で崩れないなんて保証はない。万が一ウィッグを水浸しにされたら、違和感に気づかないはずがないんだ。
 必死に首を横に振るが、莉乃は引き下がらない。それどころか俺に迫ってくる。肩を掴んで押すと、俺をベッドに仰向けにさせた。

「でも秀君、さっき結婚して下さいって……大人になったら結婚したいのに、一緒に入りたくないの?
 ――それとも、結婚して下さいって、嘘だったのかな」

 そんな不満そうな顔をしないでくれよ。それは沖矢昴でもできないことなんだ。

「秀君……どうしたいのかな?結婚、したくないの?
 それとも――一緒に、入りたくないの?」
「……――!」

 こっちが聞きたいくらいだ。子供相手に、そんな質問をしないでくれ――!



「!」

 目が覚めた瞬間、ベッドから飛び起きた。
 カーテンを見ると、まだ日が昇っていないことが分かる。念の為とスマホに手を伸ばし、画面を点けた。

【5:00 2月14日】

 起きたばかりだというのに、既に疲労感を覚える。昨晩、あまりよく寝れていなかったんだろう。

「……変装、するか」

「昴さん、おはよ」
「ああ、莉乃さ……ほう」
「?」

 6時半、着替えた莉乃が台所に姿を見せる。ちょうど朝食の準備が終わり、テーブルに食事をよそった食器を運んでいた時のことだ。
 莉乃の服装を見て、思わず表情を緩ませてしまったところを莉乃に見られてしまった。彼女は俺の反応に不思議そうに首を傾げながらイスを引いた。

「ワンピース、着てくれたんですね」
「前から着てるよ?」
「いえ、そういう意味ではなく、わざわざ今日、着てくれたんですね」
「……今日、着たかったんです。ダメですか」

 工藤邸に住み始め、最初に莉乃と近くまで買い物に行った時、莉乃に贈ったワンピース。よく似合うだろうと、黙って買って、最初に贈った物。その裾を小さく揺らし、莉乃はイスに腰を下ろした。

「……いえ、内心とても喜んでいます」
「〜〜ほらっ!ご飯食べて、早く家事終わらせないと!他にも向こうで買物とかしたいし!」
「はいはい……いただきます」

 自分の席に食事が一通り揃い、席に着くと莉乃と共に両掌を合わせた。

「昴さん、戸締りしてきたよ」

 出かける予定の時間の数分前。車にエンジンを掛け、玄関前まで移動させ、莉乃が外に出てくるのを待つ。やがてコートを片手に持った莉乃が外に現れ、玄関の鍵を閉めると、助手席目がけて駆け出した。

「ありがとうございます……では、まずは君の買い物に付き合いましょうか」
「付き合わなくてもいいよ?」
「いえ、特に買うものもないのでついていきます」

 コートとバッグ、それと心当たりのない小さな紙袋を膝に乗せた莉乃を横目で見ると、車を工藤邸から発進させた。

「昴さん、こっち向いて、目瞑って口開けて」

 進行方向の信号が赤に変わり、車を停止させる。シフトレバーを握る俺の手を莉乃が指先で小突き、俺の意識を外から莉乃へと向かわせた。

「?なんでしょ」
「いいから、目瞑って、口開けて!」
「ええ……あー」

 理由も聞くことが出来ないまま、大人しく莉乃に従い口を少し開けて待つことにした。
 その内、莉乃の指が唇に触れ、口の中に何かが運ばれる。舌の上にそれが乗ると、指は引き抜かれた。
 目をうっすらと開け、莉乃の膝に乗せられた紙袋を見る。その隣に乗っているのは、工藤邸でよく使っていた小さめのタッパー。蓋が開いている……その中に入っていた物を口に運んだらしい。
 舌から伝わる濃厚さ……食べ物、のはずだと信じて歯を立て、その触感を味わった。何を口に入れたのか、すぐに分かった。

「チョコレート……ですか」
「うん、ブラウニーなんだけど……帰ったら冷蔵庫にまだあるよ?」
「去年は貰うつもりがなかったので、貰うなんて考え自体すっかり忘れてました……」
「去年は、ほら……形だけあげても、意味なかったから……今年は、あげても意味ある、から」

 目の前の信号が青に変わる。莉乃の手が俺の左手から離れていくと、車を進行させた。

「……すみませんが、次のコンビニに寄ってもいいでしょうか」
「え、お茶なら買ってあるけど」

「大丈夫です、少し抱き締めたらすぐ戻ります」
「それ少しじゃ済まないよね!?」

 ……ああ、全く、あんな恥ずかしそうな顔で言わないでくれ。きつく、君の好み通りに抱きしめたくなるじゃないか。
++++++++++
If:もしも昴さんが理由もなく縮んだら
あるお方から浮かんだショタ昴→秀君ネタです。
莉乃さんは別にオネショタではないし、秀君の将来を期待した結果があんな構い方なだけです。
そしておきすばでもショタ昴でも発生する問題→風呂です。
どこまでも付きまとう問題です。

目が覚めたパートの没↓↓
「去年は貰うつもりがなかったので、貰うなんて考え自体すっかり忘れてました……」
『去年は、ほら……形だけあげても、意味なかったから……今年は、あげても意味ある、から』
「……ちなみに、これはあの家で作って」
『いや、近くで買ってきた。大丈夫、ウィスキーボンボンじゃないから酔うことは絶対ないよ!』
「……既製品ですか」

(´・ω・`)シュン
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