17 目を閉じて@
 ホテルから沖矢さんは車を走らせ、コナン君を探偵事務所で下ろし、工藤邸に戻る。時刻は既に深夜0時を回ろうとしていた。
 リビングに誘導されると、テーブルに置かれた1つのボトルが目に留まる。……底に部屋の番号を残したバーボンのボトルを思わず手に取った。

「もう、出したならしまって下さいよ……正直、これ1人では飲みたくないです、誰か止めてくれる人とじゃないと」
「僕もそれについては同感です……泣き上戸かもしれませんし」
「何か言いました?」
「いえ、お茶でも入れましょうか」

 台所に移動し、出しっぱなしになっていたバーボンのボトルを戸棚にしまう。
 沖矢さんは冷蔵庫を開け、冷えた緑茶を2人分のグラスに注ぐ途中だったみたいだから、先にリビングに戻ることにした。

「誘拐してもらってる間、ずっと考えていたんです」

 リビングに遅れて戻ってきた沖矢さんからグラスを受け取り、一度口を付けて喉を潤す。少しスペースを開けて隣に沖矢さんがソファに腰かけたところで、ようやく本題に入ることができた。

「誘拐犯にも相談しました……」
「ストックホルム症候群みたいになってますよ」
「……」

“妹ちゃんはちょっと極端に考え過ぎだよ”

「もっと色んなところに目を向けるべきだって……」

 数時間前に言われた、兄の友人からの言葉。それを思い出しながら上半身を沖矢さんに向け、沖矢さんと向き合う状態になった。

「そしたら、沖矢さんにキスされるのは嫌じゃなかったんだって、すぐに分かったんです。
 ――ほ、ほんと馬鹿ですよね!?」
「……」

 2人でいる時の距離感や、相手の行動に対する反応。沖矢さんと兄の友人を対比することでそれに気づいてしまった。
 沖矢さんを怒れなかったのは、沖矢さんに怒る必要が本能的にはなかったから。私が怒りたかったのは、沖矢さんとのあり方と行為が合致しなかったからだった。
 ようやく見えた本心をはっきりと伝えた直後、羞恥心が沸々と湧き上がる。どうにも目を合わせてはいられなくなり、思わず目線を沖矢さんから逸らしてしまった。

「……そうでしたか」
「……でも、それって」

 次の言葉をすぐに発することが出来ない。ソファに押し付けた両手は拳になり、小さく震えている。分かってる、沖矢さんは私がこの後何を言うのか。

「つま、り」
「莉乃さん」

 手の震えを抑えるように、沖矢さんの手が私のそれを覆った。思わず再び顔を上げる。沖矢さんは私の話を遮り、更に続けた。

「僕からも言うことがあります」
「……」
「今まで、それを言うことで君が動揺し、出て行ってしまうことを恐れていたんですが……隠した結果がこれです。
 君が聞きたがっていたことについて答えましょう」

 深い溜息を1つ吐き、沖矢さんは私がずっと求めていた一言を口にした。

「……キスした、理由?」
「ええ」

“どうしてあの時、キスなんてしたんですか?”
“私が怒るかもって分かっててしたってことじゃないですか”

 あの時は結局、沖矢さんは私を納得させられる理由を言ってくれなかった。……私があんな調子だったから、言ってもあのタイミングでは意味がないと思って、言わなかったのかもしれない。
 それと、分からなかったことがもう一つあった。どうして私が見ていない間に、あの男がいなくなったのか。

「実は、莉乃さんの恋人のフリもしてもあの男がなかなか引き下がってくれなくてね。あまりにもしつこいから、懐に仕込んでおいたナイフを牽制として男に向けたんです」

 ……え、なんて言ったこの男。

「ナイフを莉乃さんに見られることを想定したんですが……当時は一角岩の件もまだやり過ごせる前でしたし、多分動揺して暴れて、男に恋人ではないと本気で思われる可能性があったので、少々荒っぽい方法で目を瞑らせてもらいました」
「そ、そんな理由で!?というか……ナイフ持ってたならそれで撃退した方が」

 ナイフを持っていたことに少し引いたことはさておき、問題はそれだ。一角岩の件で犯人のナイフを弾いた男だ。大したガタイでなかったあの男に対してそれくらいは出来たはず。なのにどうしてあの時に限って沖矢さんは同じようなことをしなかったのか。

「それで男に傷を負わせて、病院沙汰になったとしましょう。今回の場合、その後どう扱われると思いますか?」
「え……故意に刺されたって言うから、病院から警察に通報する、よね。で、多分刺されたことよりストーカーの方にメディアが偏るから……――」

 その先は、想像できてしまった。うっかり撃退した方が、なんて言ったけど、だったらもっと早くに対処できたはずなんだ。
 そうだった、ギリギリまで助けを求められなかったのは、

「ニュースになれば、被害者の名前はすぐに出てしまいます。報道の悪いところですよね……
 ストーカーの詳細を伝えれば、必然的にバイト先も特定されてしまいます。質の悪いマスコミがバイト先に張り込めば、そこの客や他のスタッフはさておき、莉乃さんもバイト先に居辛くなるでしょうね」

 私がここでの生活を奪われたくなかったからだった。

「辞めてしまえば、今度は収入がなくなる。大学にも通っているのにいつまでも貯金を切り崩せないから、“この家から出て行かないと”……と思い至ってしまうことが、僕には困るんですよ」
「……どうして困るんですか、1人の方が気を遣わなくて済むのに。それに沖矢さん、お金にも困ってないみたいだし……」
「……」

 私の質問に、沖矢さんは小さく笑った。

「確かに楽ではありますが……僕は君との生活を、たかがストーカーに邪魔されたくないんですよ」
「!」

 沖矢さんは、自分が工藤邸に住み続けることより、私といることを重要視していたのか。そんなこと、初めて聞かされた。

「それから……相手を幻滅させる為、という理由でああ言ったことはしました。ですが、外は暗かったので、角度によってはそれらしく男には見えたでしょうし、実際にする必要はなかったんですよ」
「……必要なかったなら、なんでしたんですか」

 沖矢さんを少し睨むと、少し困ったような顔をする。私と正面を向けていた顔を少し逸らし、今まで私の手に触れ居ていたそれで口を覆う。
 ……すごく言い辛いことを言おうとしているらしい。しばらく沖矢さんは口をつぐんでから、ようやく開いた。

「すみません、幻滅させる為というのは建前です。下心ありきでしました」
「!?」

 言い辛そうな仕草を長々とした割に、発言は随分とストレートだった。いや、そのギャップよりも、正直言って発言の内容に驚きを隠せなかった。

「そ、それって」
「ええ、好きでない人と割り切って、ああはできませんよ」
「っ……!」

「――では、続きをどうぞ?」
「……」
「続きを、どうぞ?」
「えっ」

 話の流れに一瞬ついていけなくなり、思わず黙ってしまった。全てを話し終えた沖矢さんはといえば、さっきまでの躊躇いを含めた顔から涼しい顔に一転していた。

「話を長々と遮ってしまいましたからね。焦らしてしまってすみません」
「〜〜っ」

 彼が笑顔で何を催促しているのか理解した瞬間、赤面せずにはいられなかった。
 いやいや、言い逃げしておいて……“すみません”だけで済ませようとしてない!?
 沖矢さんは酷い意味で賢い。嫌いな人じゃなくて、好きじゃない人ってわざわざ言う時点で、あれはもう告白と同じだ。なのに、そんな涼しそうな顔で、私が何言うのか待っちゃって……言うこと分かってるって、顔して!

「……――」

 そんな涼し気な表情、一瞬でもぶっ壊したい。事に及ぶことに、躊躇いは全然なかった。
 沖矢さんのシャツを両手で掴み、自分に強く引き寄せる。沖矢さんの上半身が近づくと同時に、私も目を瞑って顔を一気に近づけた。

「いっ……」
「うー……」

 お互いの唇は一瞬、文字通りぶつかった。触れたなんて優しい表現には絶対誰も出来ないくらい、明らかにぶつかった。
 顔を離した瞬間、2人揃って自分の唇を手で押さえた。

「……随分と荒っぽいんですね」
「た、建前がないと出来ないあなたに言われたくないです!」
「これは建前ありきではないと言うんですか?」

「そうですよ、下心というか本心でしかありません!好きな人以外にこんなこと、割り切ろうとしても出来ませんっ!」

 ああもう、やっと言えた。声が張っちゃってどこか裏返った気がするけど、沖矢さん驚かせられたんだ、それで十分。

「……でしたら、もう少し痛くないようにして下さいよ」
「え、ちょ」

 沖矢さんの手が私の肩を掴み、強く引き寄せる。お互いの体があと少しで接してしまいそうなところまで近づいた。
 肩を掴んでいた手はそのままに、もう片方の手が私の顔に触れる。親指以外の指で顎を持ち上げると、沖矢さんは自分の顔を私に寄せにきた。

「お、沖矢さ」
「目は、閉じて下さい」
「!――っんん」

 瞬間、心底驚かされた。
 少し開かれた、沖矢さんの瞼から覗く瞳を初めて見た。緑色をした、鋭さをもったそれに気づいてしまった。目を奪われるって多分、こういう感覚のことを言うんだ。
 そんな考えは沖矢さんの唇が私のそれに触れたことで、記憶の隅に追いやられた。
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