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言葉は創造である、という概念をつらつらと喋り始めるポンコツな先生が好きだった。私たちはモノに名前という勝手なラベルを貼り付けて、認識し、現実にしていく。何度考えてもこれは行き着く先がないあの人の哲学なのだ。私達は言葉に支配されてると言いたいのですね、と一括すると先生はホワイトボードに散らかった文字の羅列を静かに消し始めた。だってこれは本当のことを言っているつもり。自分の中にある気持ちを言葉にすれば、それはどんどん現実を帯びて萎んだり膨らんだりして、意味や訳が付け加えられていく。生んでいるのは思考ではないのだ。そして一つだけでなく、二つ、三つ、言葉は幻を孕むのだ。人は分からない事が恐い。分からない感情、分からない現象、分からない物体、全て知った気でいないと安心出来ずに、そのモノにあった価値も分からぬまま朽ち果てていく。だから人は名前を付けたがる。恋だとか愛だとか何だとか。現実を、思考を自分自身で支配してやろうと毎日毎夜必死なのだ。私は先生が呪文のように繰り返す色彩語彙論に目を閉じ口を縛った。結局、いつまで立っても私はこの人が好きだった。不甲斐ないがこの感情だって、仕方なく付けた言語に過ぎないと思っている。支配への抵抗などこれっぽっちの私には出来ない。先生の言うとおり、私達人間は屈折し続けて生きているらしい。知った気になることが、一番恐ろしいという事実に気づかないまま私も、先生も。ノートの切れ端を千切って目の前に突き出した。大きな背中を丸めて、何も書かれていない紙を見て首を傾げる丸眼鏡に言った。
「ことばにしたらだめなことがいっぱいの世の中ですから。ね、せんせ」
ふたりぼっちの人類学論