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俺とキャプテンはときどきキスをする。キャプテンはこれはキスなんかじゃないって言い訳のように繰り返すけれど、口と口をくっつける行為をキスとかちゅー以外になんて表現すればいいか俺は知らなかった。そういうことを男同士でやるのはなんだか変な気がして、だからか俺もキャプテンも、こそこそと人目を避けるようにそれをした。試合前。部活のあと。時にはキャプテンがわざわざ一年の教室にやってくることもあって。そういうときのキャプテンはいつも俯いている。周りくどい言い訳は全然似合っていない。もっと俺達に指示を出すときのように、毅然としていてほしかった。幻滅まではしなかったけれど。
「どうしてこんなことするんですか」
それは文句の代わりの質問だった。非難の気持ちがちょこっとでも入っていなかったと言えば嘘になるかもしれないけど、そんなに嫌だとは思わなかったし、初めの一回はいじめかとすら思ったこれ、あれ、の意味を知りたいのは当然。興味というより脅迫観念?とも違って、それは答え的には△二点くらいあげてもいいんだけど、模範回答としてはその必要があるってこと。つまり、wishでもhopeでもなくneedとして。
「おまじないだ」
「え?」
「俺のためと、それと少しだけは天馬のための。俺が考えだしたおまじない」
「ふうん……」
それから俺はキャプテンとのキスのことをおまじないと呼ぶようになった。

(キャプテンは悲しくなるとおまじないをしようとする。一回、少し憂鬱な気分だったからそれを実行するのを阻むと、見る間に涙の膜が出来上がりぶわーお察し下さい状態だったからもう意地悪は止めておこうと思った。まあどのみちなにも変わらないけれど、先輩の言うことは聞くべきだなと思いなおして。キャプテンは人目に触れると効果が薄まるんだって真剣な顔して言う。魔法使いが人前で魔法をつかえないようなものだって。まるで魔法使いそのもののような、言うまでもない常識を何げなく呟くような調子だった。それからキャプテンはごめんなって言う。俺のための少しの御利益は未だ発現しないから。肩に乗せられる手はいつだって震えていた。)

キャプテンはおまじないの度に俺の唇をハンカチで拭う。さらさらした手触り(手で触ったことはないけれど)のそれはきっとありえないくらい上等なんだろうと思う。くすぐったくても身を捩ることすらできない真剣な表情にきっとこれもおまじないの一環だろうと思った。それよりもキャプテンは自分の口と涙を拭くべきだと思う。けど言わないで黙って離乳食零しまくった赤ちゃんのようにじっとしているのだ。って赤ちゃんはじっとしていられないんだっけ。弟も妹も居ないからわかんない。おきにいりなのかいつも同じ柄、女子が好むような音符マークが躍っている。もしかして同じハンカチ何枚も持ってるのかなあとか考えてみてやっぱお金持ちは違うなあと勝手に納得。新品のように綺麗に折り目がついたそれで唇を拭かれる間にすんすん匂いを嗅いでみたけどキャプテンの存在を彷彿とさせるような要素は何一つなかった。
「これってどんな効果があるんですか」
俺はまた質問をする。これはneedって程ではないけどwontよりむしろeagerってくらいの興味。封じられていた口が開放された瞬間にどばっと溢れ出た疑問。キャプテンは一回ゆっくり瞬きをしてから言う。すぐに、というには長い間は、だけどやっぱり短くて、動揺したみたいに揺れた視線は気のせいですませていいように思えた。
「幸せになるんだ」
「…………」
「なにも悲しくなくなる。世界の全部が俺を、俺達を祝福してくれるような気分になる」
その言葉には俺の方が悲しくなってしまった。だって全然幸せになんてなってない。気休めですらない。だってキャプテン気付いてるでしょう。御利益なんてわかんないでしょう。さ迷った瞳はつまりそういうことだって。つけたした俺達の複数形部分はきっと聞くまでもなく俺のことなんだろうけど、祝福なんてなんにもわかんなかったし。だいたい、
「それならなんで泣くんですか」
「な、泣いてない」
見れば明らかなのにどうしてそんな嘘吐くのかも理解できなかった。ぼたぼた音が聞こえてもおかしくない勢いで泣いてるくせに。泣きじゃくっているくせに。洋服の胸元なんてもう色が変わってしまってる。だからさっきまで俺の口拭いていたハンカチを右手から奪ってその目に押し当ててやる。汚いかもしんないけどどうでもいい。そのくらい我慢してほしい。はじめて手で触れたそれは唇で感じた通りさらさらだった。
「て、てんま」
「嘘はだめです」
おまじないじゃなくて本当には幸せになろうとしないのはどうして。わかんないから尋ねたかったけどきっとこれはだめだ。mustは≒have toで。そしてnotが前に。また泣かせてしまう。同情とは違う憐れみで、ハンカチに水が浸みこむ気配はまだ、でも、手がふるえて仕様がない。て、てん、ま。返事はしない。
「俺が、俺に、もし出来たら、本当の」
本当の幸せを。見せてあげたいと思った。とか言えるわけない!だからハンカチはほんのちょっとの照れ隠し。ビフォーアフターをより鮮明にするための。今更恥ずかしくもなんともないけど、これは特別で初めてだから、俺達の初めてのキスだから。目隠しを退けると一気に唇を近付けて、ほら、キャプテンが拭いてくれたから綺麗ですし。
「…………」
「……あの」
肩から手を離して目をかたく閉じてぷるぷるしているキャプテンを見る。なにか言わなきゃいけないかな、でも気のきいたことなんて何も思い付かないし勢いに任せるのに失敗したからなんか壮絶に恥ずかしくなってきて俺って思ってた程度胸無いのかなもう。背伸びした足もちょっときついわけで。
「や、やだったらいいんです」
「嫌じゃない……」
「え」
「嫌じゃないから、キス、」
してくれって。うっすら目が開く。ふわふわの髪の毛が揺れる。泣いてるかもしれないけど、近すぎて焦点が合わないから。でも笑ってて欲しいな、せっかく幸せになるんだから。一回かかとを下ろして呼吸を整えて、抱きつくようにおまじないを……、キスをした。

愛し方さえ不器用だね
 くちづけから堕落様に提出