旅館


「え、さつき秋田行くの!? いいなあ!」
電話越しから、やよいの羨ましそうな声が響く。彼女とは中学時代からの友達だ。高校が別になってしまった今も、こうやって連絡を取り合ったり、休みの日に一緒に遊びに行ったりすることも多い。
「うん。IHの前にね、ムッ君のいる陽泉と、練習試合しようってことになったの」
「そっか。さつきも大変だね」
「そんなことないよ。楽しいもん。でね、今度行く旅館なんだけど、海がすっごく綺麗に見えるんだって!」
「海かあ…。で、なんていうとこなの?」
「うん。×××っていうらしいんだけど…。かなりマイナーなんだって」
「×××…?」
「あれ、知ってるの?」
さつきが旅館の名前を口にすると、やよいは声を曇らせた。待遇でも悪いの? と聞くと、いや。と返された。その声色には不安げな態度が含まれている。
「…そこさ、この前雑誌で、心霊旅館として載ってたんだよね…」
「心霊旅館?」
少しだけ、間抜けな声が出た。さつき自身、怖いものが苦手じゃないわけじゃないのだが、いきなりそう言われても実感がわかない。
「うん…。なんか、出るんだってさ。よく知らないけど…」
「よく知らないんじゃない!」
信じないよ、と頬を膨らませる。中学時代、一度だけ幽霊の噂を耳にしたが、実際それは今や思いを寄せる影の薄い少年だと分かり、それ以来あまり噂を鵜呑みにしなくなった。自分の情報収集能力が開花したからというのもあるが。
「ほんとだって! さつきも一応気を付けなよ!?」
「うん…。まあ、覚えとく」
じゃあね、と電話を切った。時刻はすでに11時を回っている。明日は早いから、と思いベッドに入った。

東北と言えど、真夏の秋田は暑い。じりじりと太陽が照り付け、これじゃあ折角塗った日焼け止めも意味がないな、と感じる。サンバイザーで日光から守られている目は、きらきらと輝く海に釘付けだ。
「桃井さん、もうすぐ練習ですよ」
「あ、はぁい!」
監督に言われ体育館へ急ぐ。部員たちはすでにアップを始めていた。

今日の練習がすべて終わり、一度荷物を置きに部屋に戻った。さつきの部屋の窓からは、夕日に照らされて赤く染まっている海が見える。波が寄せては返す音を、目を閉じてうっとりと聞き入る。ゆっくり深呼吸をして、振り返って部屋の中を見渡す。一人では広いんじゃないかという和室は、どこか殺風景だ。襖を開けたり閉めたりしながら、どこに何が入っているかを確認する。
「…?」
テレビ台の横を通った時に、隙間に女の子が見えた。白いワンピースを着た、黒いロングヘアーの女の子が体育座りをしてうつむいていたようだ。なんで、どうして、と思ってもう一度隙間を覗く。だが、そこにあったのはただの塵取りと帚だった。

夕食を食べ終わった後、さつきは部屋に戻った。べたついている髪は汗で独特の匂いを放っている。シャワーでも浴びてさっぱりしようと思い、部屋に備え付けてある風呂場に入った。蛇口をひねってシャワーから温めのお湯を出した。
さつきの長い髪はとても洗いにくい。今日は特に汗をかいているから、泡立ちが良くなかった。二度洗いはそんなに良くないって言うし…。と思ったが、また明日もあるのだし、何より臭いままでは嫌だ。もう一度シャンプーを手に取って泡立てる。
髪を洗い終わって、流すために蛇口をひねる。泡が入らないように、目を瞑って丁寧に洗い流す。
「っ!?」
ぐっ、と後ろから何かに首を締められた。目を見開いて身悶えるが、その手は一向に離される気配はなく、むしろどんどん力を増している。振り向きたくとも振り向けなくて、おまけにシャワーのお湯が直に目に入ってくるので、霞んで周りが見えない。
「ぁ、ぐっ、っは、」
苦しさに喘ぎながら、さつきは両手で自分の首を締めているものを掴む。しかし、息ができないことで手に力が入らない。
「…ニ……ウ…」
「ぁ…?」
後ろにいる何かが、ぶつぶつと呟いている。その声はどこか興奮していて楽しそうだ。
「イッショニ、イコウ…?」
男か女かわからない、大人なのかも、老人なのかも、子供なのかも分からない声が、耳元でさつきを誘う。一方彼女は、虚ろな目をシャワーのお湯と涙でぬらしながら、精一杯の力を振り絞って、
「だ、ぃちゃ…、ごめっ…」

「なあ、さつき、見なかったか?」
「桃井さんですか?」
就寝時間はとっくに過ぎているというのに、やはり合宿となると疲れが残っていようと、夜更かししたくなるのが学生の性というものだ。時計は11時を回り、布団を被りながら監督の目を盗み、スタメン組はトランプゲームに勤しんでいる。
先ほどから、さつきと連絡が取れないと言っていた青峰は、彼女の部屋まで行って来たらしい。鍵が開いていたので中に入ったが、部屋はもぬけの殻だったという。
「トイレじゃないですか?」
「ああ…。そうだといいんだけどよ…」
なんか、嫌な予感しかしないんだよな…。と呟いて、自分の布団に入り、目を瞑った。



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2周目です。耶生です。
中学の林間学校で八ヶ岳に行ったとき、
私の止まった宿舎のどこかの部屋に幽霊が出ると先生が言ってました。
それを意識していたのかは定かではありませんが、
壁とベッドの隙間に置いてあった箒と塵取りが、
一瞬体育座りしてる女の子に見えたんです。

そして今回も全然怖くない。ホラーっつかむしろミステリー臭が…。
お目汚し失礼しました。麗希様に期待しましょう。




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