それは遠い日の記憶 「―!…さ、…兄さん!!!」 はっと我にかえると目の前には顔を血だらけにして呻く同級生がいた。 燐とその男子を囲むように半径5mほどの円周上で女子たちは悲鳴をあげている。またあいつかよ、すぐ暴力に頼りやがって、などとため息混じりに呟く声も聞こえてきたがそんなことはどうでもいい。問題は、 「…雪男。」 「兄さん何やってるの?その子苦しんでるじゃないか。」 また理性を飛ばして暴力をふるっていたらしい。こんなこと続けていたらダメだってことぐらい分かっている。 優しいことのために力を使えという獅郎の言葉が頭の中で反響しては泡のように消えていく。 「兄さん。」 雪男はまっすぐ燐の目を見つめて怒るでもなくあわれむでもなく悲しむでもなくただ諭すようにそう呼んだ。 それは父が、藤本獅郎が自分を見る目と同じだった。まるで全て見透かされているような、それでいて優しくて泣きたくなるような、周りの奴らのように化け物と蔑み恐怖で満ちた目の方がどれほど楽だろう。 (その目がいつも怖かった) 逃げるように走り出す。制止など聞こえない、とにかく逃げたかった。 「兄さん!!!」 追いかけてくるなと心の中で叫んで全速力で廊下を駆け抜ける。 それが通じたのかどうかは分からないが追ってくる気配はなく、とりあえず頭を冷やそうと思い屋上へ向かう。 「兄さん…」 兄が暴れて手がつけられないから来てくれと呼ばれたのはこれが初めてではない。 他の人がいくら呼びかけても無反応の燐でも雪男が名前を呼べば応えるのは双子だから、というには些か軽すぎる気もする。もっと深い部分でお互いを本当に信頼しそれこそ絆と呼べるものが確かにあるからだろう。だから燐がただ暴力をふるうだけのそこらの不良と同じではないことを雪男は十分理解し、今回も何か事情があったのだろうと思案していた。 「あ、あの、奥村くん。」 「君は、確か兄さんと同じクラスの…」 その子の顔には見覚えがあった。けれど雪男とあまり接点はなく、このタイミングで声をかけてくるということは、 「あの、奥村くんは…燐くんは、何も悪くないの…」 やっぱり、大方この子がさっきの男子にからかわれでもしていたのを燐が止めに入ったのだろう。それが殴り合いにまで発展してしまったのは燐のすぐ手が出る気性によるものだ。 (そんなことだろうと思ってはいたけど…) 事情を教えてくれた子に礼を言い、燐が走って行った方を見つめため息をはく。どうしようもないくらい不器用な兄を迎えに行こう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーー 昔からいつもこうだった。 頭に血がのぼると周りが見えなくなり、気づくと拳は血でぬれて辺りはひどい惨状になっている。それでも年を重ねるごとに感情を抑え、力加減もできるようになったつもりだった。 『優しいことのために力を使え、じゃないとお前いつか一人ぼっちになっちまうぞ』 燐なりに『優しいこと』のために力を使おうと努力してきた。けれど誰かのためを思って力を使っても、傷つけるつもりのないものを壊してしまう。 あの頃から何も変わっていない。怒りを暴力に換算させてわめき散らし、獅郎を殴って大怪我をさせ、傷つけることでしか痛みを感じることができなかった。 「…情けねぇ」 「そう思うなら謝るべきだよ。」 急にかけられた声に驚き振り向くと、やっぱりここにいた、とため息混じりに微笑む雪男が立っていた。 「からかわれてた女の子を庇ってあげたんでしょ?そんなことだろうと思ってたよ。」 兄さんは優しいからと雪男は全く疑いのない目で燐を見つめる。 その目はやっぱり父に似ていた。 「兄さんだってやり過ぎたって分かってるよね。」 フェンスにもたれかかる燐の隣に並んで雪男がそう言うと、少し間を置いてから燐は小さくうなずいた。それを見て満足したように雪男は燐の腕をひく。 「じゃあ謝りに行こう。僕も一緒についていってあげるから。」 「お前なぁ、ガキじゃねーんだぞ!」 「十分子どもだよ兄さんも僕も…あ、でも僕の方が背高いから兄さんの方が子どもだね。」 「な!身長は関係ないだろ!!このメガネ!」 「そんなこと言ってると父さんに今日のこと話しちゃうよ?」 「お、お前…言うようになったな…くそぉ、見てろよ!あっという間にお前なんか追い抜いてやるからな!」 不器用で小さな幸せを噛みしめて空を見上げる。 いつかその目が恐れと悲しみに満ちる日がくるのかと思うと、どうしようもないくらい怖いんだ。 ◆あとがき◆ 初雪燐でした! 中学生時代の2人が書きたかっただけなのに、あれもこれもって詰めこみすぎました。途中でさらに過去に遡っちゃって戻れなくなったので割愛。また別の話で書けたらなと思ってます。 燐くん絶対身長気にしてると思うんです。 |