初-湯浴み
嵐が去り、穏やかに茶をすする音が食卓を包む。
「しかし、あのチョコレートというのも、なかなか美味でしたね」
幸村殿がまろやかに笑う。
「うむ、あれでなかなか舌触りがよかったな」
一番「なんだこの消し炭は!」と怒っていた兼続殿が朗らかに笑う。
三成殿はしずかにお茶を啜っている。彼の前には剥がされた銀紙がいく枚も散らばっていた。
一波乱、二波乱のあとに訪れたまったりとした時間にどっと騒動の疲れが溢れ出た。
「明日もありますし、もうそろそろ休みましょうか」
「おお、そうだな!」
私の提案に兼続どのがハキハキと答える。
「私はお風呂入りますけど、皆さんはどうしますか」
私の問いかけに三成殿は驚いた表情を浮かべていった。
「風呂に入れるのか?」
「はい、小さいですけれど湯船がありますよ。今沸かしてきますね」
早く休みたかったので三成殿の問いかけへの返答もそこそこに風呂場へと向かった。
お風呂を沸かすために風呂場にある湯沸しボタンを押しながらまたふと、色々のことが頭によぎった。
そういえばシャンプーは必要なのか、下着は、パジャマは、ドライヤーをかけたら驚くだろうか。湯が風呂の脇のフィルターから湧き出てくるのをぼーっと見つめながら少しずつ頭を整理する。
まずシャンプー、一晩だけだし慣れない化学薬品を頭に塗りたくっては返って体に悪いだろうから、説明は省こう。石鹸の説明もしない湯船だけ入ればよい。
下着にパジャマはどうだ。下着はフンドシなんてないし、父や弟のお下がりなどというわけにはいかない。数枚新品のストックがあったはずだからおろしてあげよう。
パジャマは?先ほど貸した服は明日外で着るためのジーンズやらTシャツやらだ。部屋着には多少きついだろう。特に彼らは洋装には慣れていないのだから。パジャマは父や弟のお下がりでも構わないだろう。
シャンプーを使わないのであればドライヤーも使う必要はないだろう。
よし!そうと決まればリビングに戻る前にパンツとパジャマを見繕おう。
そうして、三人の着替えとタオルを手にリビングに戻ると武将たちが目を剥いた。
「もう終わったのか?」
三成殿が怪しむように言う。
「あ、今お湯を張っているところです」
「なっ、湯が張れるのか!?」
また三成殿に衝撃が走ったようだった。
「ええ、小さいですけど湯船があるんですよ」
「湯浴みができる…。なんと贅沢な」
幸村殿も感嘆の声を漏らす。
「え、お湯につかるのって普通じゃないんですか…」
私が驚いていると、兼続殿が解説をはじめてくれた。
「湯船につかれるのはほんの一握りの人間だ。まあ、我々の場合だったら蒸し風呂が多いな」
「へえー、そっちのほうが何だかすごい気がする…」
「何を言う!大量のお湯を沸かすためには大量の薪が要るではないか!とても贅沢なことなのだぞ」
「でも、蒸し風呂をするのにもお湯を沸かして湯気を集めるんですよね?」
「沸かすお湯の量が違うぞ」
「そうなんですか」
本当に当たり前であるが500年前と今とでは生活の様式も意識も全く違うようだ。
「まあ、それでしたら小さい湯船ですけど、お湯をたのしんでってください」
一晩だけの仲だ。少しでもよい思い出をつくってもらおうと思った。
私は三人にタオルと着替えを渡しながら入浴の作法を教えることにした。
「お風呂についてですが、多少お伝えしておきたいことがあります」
皆、椅子に座ったまま少し背骨を伸ばす。
「まずですね…、湯船に入る前に軽く湯船のお湯を体に掛けてから入ってください。次に風呂桶と湯船以外に触れないでください。あ、でも、上がるときは蓋をしてくださいね。蓋って、入るときに湯船にしてあるおりたためる板なんですけど…、入るときは丸めてからそこら辺にたてかけといてください」
「それだけか、わかった」
三成殿が言うと、他の二人も気持ちよく頷いた。
「浴室には色々珍しいものが有りますが、使い方を知らない以上、危険なので無闇に触らないでくださいね」
「大丈夫だ!愛と義の元に誓おう!」
兼続殿がまたよくわからない誓い方をした。
「それと…、今渡したのはタオルという水やよく吸い取る布と…、下着と寝間着です」
「たおる…、面白い触り心地だな」
兼続殿がタオルの表面を撫でて居る。
「これは何ですか?」
幸村殿がおろしたてのトランクスを広げてみせる。
「パンツです。下着です」
「下着…?」
すかさず答えると幸村殿が首を傾げる。
「今の褌みたいなものです」
そう答えると三成殿が続けざまにいう。
「これが褌なのか?これは先ほどの衣の様にはくようだが…」
歴史に名を残した人物はさすがに飲み込みが早く、パンツの履き方をすぐに理解してくれた。
「そうです。さっきのズボンみたいに素肌に直接履くんです」
「なるほど…」
幸村殿がしげしげとトランクスを見つめる。
「締めるのではなく、履くのですね…」
まさか成人男性に男性用下着の説明をするとは思わなかった。また、この人たちはこれから生まれて始めてトランクスを履くのか、と思うと妙に感慨深い気持ちになった。
「で、寝間着ですけど、それも先ほど説明した服のように来てください。ゆったりした作りなので、窮屈ではないと思いますよ」
「そうか…、それならよいが…」
三成殿が少し心配そうに呟く。
「それじゃあ、誰から入りましょう。私はみなさんの後に入りますので順番てきとうに決めてください」
そう伝えるとまた幸村殿が申し訳なさそうに「いえ、一晩の宿を借りて居る身です。萩殿の後に入るなど…」と恐縮した。
「いえ!せっかくなんですから、遠慮せずに!私はいつでも一番風呂に入れるんですよ」
そう言うと納得してくれたのか少し笑ってそれ以上は言わなかった。
順番は自己主張の強さで決まった。
「よし!私から入って様子をみよう!」
兼続殿が意気揚々と言うと三成殿が冷めた様子で小さく「俺は最後でいい」といった。
「それでは、私が兼続殿の次に入りましょう」
幸村殿がそう纏め、ひとまず落ち着いた。
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