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そこは寝台の上ではなかった。そもそも横たわってすらいない。俺は、立ったまま長い眠りから目覚めた。むしろ、自分は寝ていたのかどうかすら思い出せない。
俺を起こしたのは、どうやら隣に立っていた男のようだ。
「覚えている事を言ってみろ」
男に促されて、俺は曖昧な記憶から自分に関する事柄を、簡単なところから順に探っていった。
名前はフレイロッド。男。年齢は……わからない。大きな屋敷で、俺の肉親は両親だけだが、他に多くの人間も同居していた。何故か父も母も側にいる事は少なく、俺は暗い部屋で一人寝ている事が多かった。いや、一人じゃない。付いていてくれる人が居た。確か俺を診ている医師だ。そういえば俺は身体が弱くて、部屋から出られなかった。一日のほとんどを寝台の上で過ごしていたんだ。
そのはずなのに、俺はこうして立っているじゃないか。自分の部屋ではない、どこかわからないこの場所に。
「なるほどな」
口にしなくても俺の考えは男に伝わったようだ。対して、男の考えは俺にはまったく読めない。
思えばこの男の容姿は不思議なものだった。腰まで伸びる銀髪、蒼白の肌。生きている人間の色ではないと思った。
「思い出させてやる。付いてこい」
男が踵を返し、俺は言われるままに付いていく。
前進して初めてわかった。足が地を踏みしめる感覚が無い。まるで浮いているかのように。
自然に出来たものとは思えない程の白色が視界に広がる。空と大地の境界も無く、どれだけ奥を見据えてもその色の世界に限界は見えない。見渡せば、いくつもの光の玉がそこらを飛び回っている。白色に染まった空間で動きを見せるのは、たった一種類、それくらいだ。
男が不意に立ち止まる。男の目の前、何も無かったはずのその場所に、まるで空間に穴が空いたかのように、徐々に黒い楕円状の扉のようなものが現れる。
男はその中へ入っていった。俺も続いた。
穴の中は周りがまったく見えない程に暗かった。加えて、四方八方から身体中を引っ張られるような感覚があった。引き裂かれてしまいそうな位の強い力だ。だが、痛みはまったく感じない。普通に前へと歩けるのだ。とても変な気分だった。
そこを抜けると、また視界は白一色になった。先導していた男と、知らない女も居た。
そこは、一つの部屋として壁で区切られている空間だった。中央には、天井から床へと、人一人入れる位の太い管のようなものが通る。その中心には大きな球状の何かが繋がっていて、硝子のような透明な板張りの球体の中では、いくつかの光の玉が泳ぐように見えた。
女は俺を見て嬉しそうに言った。
「いらっしゃい、あなたが新しい候補者なのね」
「待てアシュア、まだ何も説明していない。お前、フレイロッドと言ったな。あれを見てみろ」
男が俺を導いたのは、中央の装置だった。
近付くと、遠目から見ていた時よりも多くの光の玉がその中を浮遊しているのが見えた。まるで生きているかのような動きを見せる。
「まるで、じゃない。まだそいつらは生きている」
俺の心を読み取ったらしい男がそう言った。
「いや、これからと言うべきか。まあいい。生を受けたものは、いずれ皆等しくここを辿る事になる。だが、稀に何らかの理由で弾かれてしまうものがこの空間に留まる。それが……俺達と、お前だ」
男の説明はあまりにも端的で、突然で、配慮に欠けていた。不足している部分も少なくはなかった。それでも俺からはそれ以上の説明を求める必要は無かった。
「俺は死んだって事だな」
予想が確信に変わっただけだ。不思議な感覚に妙に納得がいっていた。
生前の(と、自分で語るのも可笑しい話だが)俺は、寝台の上で何度も同じおとぎ話を誰かに聞かされながら眠っていた。
その内容は、俺達人間は死んでからどうなるのか、といったものだった。
死後、人間は皆等しく、身体と心が少しずつ変わっていって、別の人間として生きる事になる。その繰り返しで、命そのものが完全に消えてしまうことはないと。
死を目前とした俺に、死への不安や恐怖を与えないよう、その人はその話を選んだのかもしれない。可笑しな話だが、今の俺が冷静でいられるのはその成果なのだろうか。
「それは、まさに今のお前を表している」
男が言うには、俺が聞いたおとぎ話だと思っていたのは、彼等に関わる真実であるらしい。そもそもおとぎ話という物の原点は、多くの人間と時間を経て多少歪んでしまった、誰かの真実なのかもしれないが。
死後の魂は通常、光の粒子となりこの場所に貯蔵される。そして次の実体を待ち続け、新たな生を受ける事になる。しかし俺達は違う。一度この転生の輪から抜け出してしまったものは、二度とその輪に入る事は出来ない。生とも死ともつかない永遠とも言える時間を、この界の狭間で彷徨う事となる。
――と、男はそれだけ説明して、先程目覚めたあの部屋へ俺を帰した。
小さな空間に、たった一人。課せられた真実を受け入れるだけの時間を俺にくれたようだ。
女はアシュアと名乗り、男のほうは名前は教えてはくれなかった。必要がないから、と。
彼とアシュアの他にも多くの者が此処に居るという。中には転生の途中で生前の記憶や身体を失った者も存在した。彼もそうなのだろうか。あまり自らを語ろうとしない男の本質は解らないままだ。
俺は、生前から受け継いだフレイロッドという名前をそのまま使った。
このまま地上へ降りれば、俺を看取った人達は生き返った俺を喜んで迎えてくれるだろうか。人間とは言えないような存在になってしまった俺でも。
馬鹿らしい問いだった。
もしかしたら俺は死を二度も迎えたのだろうか。
この場所での時間という概念が生前と同じものであるかはわからないが、俺は一眠りして、おそらく“翌日”を迎えた。
覚醒しきらない頭の中に、声が響いてくる。あの男の声だ。
「新たなものが、狭間にまた迷い込んだらしい。全員中央に集合しろ。フレイロッド、お前には俺が直接そちらへ向かう。そこで待機だ」
どうやら同じ内容を全員に送り込めるらしい。既に恐怖や疑問は感じなくなっていた。
俺が言われたとおりに待っていると、まもなくして男が現れた。
「次からは俺の迎えは必要無さそうだな」
俺の顔を見て彼はそう言った。
初めて此処で目覚めた時と同じだ。歪んだ空間の道を通り、不思議な装置のあるあの部屋へと連れてこられた。中央の椅子に座るアシュアが、俺に気付いて微笑み手を振っている。
近付けば、既に十数人がそこに集まっていて、彼女の話を聞いているようだ。
「みんな、この辺りを見てほしいの。明らかに他とは違うでしょう、この子が迷い子なの」
彼女が示したのは、中央装置の管の中の、一つの光だ。
つまり転生を待つ魂なのだが、他の魂は活発に管の中を動いているのに、その一つだけは隅の方でじっとして動かないのだ。まるで転生を諦めたかのように。
「このままこの子を放っておくのは可哀想でしょう? 導いてあげましょう」
アシュアが指示すると、そこに居た全員がその光に向けて右の掌を翳し、祈るように瞼を閉じる。俺も何となく同じ動作をする。そして、聞いた事の無い言語で、アシュアが何かを短く呟いた。
すると、辺りに一瞬の眩しさが広がる。目蓋を開いていられない程の強い閃光。
他の誰もそれには驚いておらず、その落ち着きは何も起こらなかったかのように錯覚させる程だったが、管を見てみれば、先程さ迷っていたように見えたあの光は、そこから消えていた。
「あとは目覚めるのを待ちましょう。きっと私たちの新たな希望になるでしょうね」
アシュアの言葉に、俺を除いた全員が頷いた。
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