少しだけ、幸福だった話をしようと思う。
 むかしむかし、この城には美しい魔女とその手下、黒魔導師、すべてを統べる大王様のほかに、その右腕たる剣士と、小憎たらしい弓使いがいましたとさ。
 そのにっくたらしい弓使いは、大王様が拾ってきた捨て子で、悪魔の子でした。いや、本当は悪魔の子なんかではなかったのだけど、勝手にそうされて、捨てられていたのです。……確かに、この大王様を倒せるほどの能力を生まれついて持っていた、俺にとっては悪魔の子だった訳だけど。
 大王様が気まぐれで拾ってきたそのこどもは、すくすくと成長しました。勉強はすこぶる出来なかったけど、弓の腕だけはそんじょそこらの村人よりは断然に優れているほどでした。まあ俺から言わせてもらえば全然まだまだだったけどね!なんてったって、俺がトビオに弓を教えたみたいなもんだし。
 …初めて、トビオの目の前で弓を引いた時のことはよく覚えてる。トビオはまるでその瞬間俺に恋したみたいに、ぽかんと口をばかみたいに開けて、俺をじっと見つめていた。俺が弓をおろすと、目を満点の星空みたいにきらきら輝かせて、オイカワさんすげーです!!って叫んだ。邪気も世辞もなく、ただまっすぐな賞賛を向けられたものだから、柄にもなく照れてしまった。そうやって俺の姿を見てあんまりにも目を輝かせるものだから、俺の昔使っていたのをあげた。そうしたら、トビオは頬を真っ赤に染めて、もごもごと、ありがとうございます、といった。その真っ赤な顔で古いそれを、まるでなによりも大切なものだというように小さな腕で抱えたトビオは、生まれてから今まででみたものの中で一番……かったように思う。
 それからというもの、毎日毎日、飽きもせず、顔を合わせれば、オイカワさん弓!!と体当たりしてくる子どもは、まさしく子どもだったなあと思う。
 トビオは、あまりわがままをいわないこどもだった。それは遠慮しているから、とかではなく、望むものがないからだった。一日中、窓の外を眺めているなんてことがよくあった。それに、帰りたいの、ってきいたら首をただ横に振ってよくわからないといった。それは嘘じゃなかった。だって、俺がそのとき心を読む魔法を使ってみたら、なにもなかったから。なあんにもなくて、空っぽ。自分を捨てた両親への憎しみだとか、そのことに対する悲しみだとか、一緒にいる人間がいないことの寂しさだとか、そんなのはなんにも入ってなかった。それにあんまりにも驚いて、もう二度とトビオの心を読もうとは思えなくなった。
 あのころトビオは、本当に痛々しくて仕方がなかった。それは城にいたイワちゃんや魔女ちゃん、黒ちゃんも同じだったようで、時々トビオのことを見に来ては話しかけたり、お菓子をあげたり、からかったりして、たまにどうすればいいのかわからないといったようにじっと見つめていた。
 だから、俺はトビオがあんなに俺に、弓!!と体当たりしてくるのはとても喜ばしいことだと思ったのだ。イワちゃんなんか、たまにはいいことすんじゃねえか、って珍しく俺のこと褒めてたし。
 以前のトビオは幻だったんじゃないかと思えるくらい騒がしくて、こどもらしい。城は一気ににぎやかになった。俺の部下で、人間に換算すればトビオと同い年くらいのクニミちゃんやキンダイチともよく遊ぶようになったし。いや、基本は弓ばっかひいてたけどね。
 だから、うれしかった俺は、オイカワさんは弓じゃありません、とあしらいながら、トビオに弓を教えてあげた。最初のころは。
 でも、俺はだんだんとトビオに弓を教えなくなった。トビオはずっと弓弓言ってたけど、いそがしいから無理とか、そーゆー気分じゃない、って突っぱね続けた。そしたら、トビオはいつのまにか自分に教えを乞うことはなくなって、俺が弓を引いているのを勝手に眺めるようになった。
 最初は、教えてあげようという気だった。実際、教えてあげてたわけし。だけど、それは日が経つにつれてなくなっていった。
 だって、トビオは本当に、俺が教えたことを、全部吸収するから。
 最初は出来なくても、次の日には出来るようになっていて、そのまた次の日にはそれを上達させている。恐ろしいほどの速度だった。いや、あれは、恐怖だった。トビオが、どんなに矢を放っても外れているところから、まぐれ当たりをふくめて、何十本に一回、十本に一回、五本に一回なんてペースで上達して、確実に的を射るようになっていく。ぎりぎりと弓を引いて深い青色が見つめているその的が、いつか俺になって、俺の心臓を射抜くのではないかという、そんな被害妄想じみた恐怖が襲った。
 俺はそこでやっと思い出したのだ。トビオが捨てられたのは、人間のくせにあんまりにも魔力が大きすぎたから。子どものくせに、村のどの人間よりも強くて、その力が暴走するのをおそれたから。それがあんまりにも身勝手だと思ったから、俺が育てて人間への刺客にしてやろうと思った。それで、こいつが人間に畏れられるようになったら、それはとても愉快だと思った。
 でも、やっぱりこいつは人間だ。
 ころされる!!こいつに!ころされる!!!
 そんなことがありえないことはわかっているのに、深く深く染み着いた生存本能のようなものが、そう叫んでいた。
 トビオは俺を殺せない。知っている。わかっている。だって何年も一緒にいたんだから。俺にとってはほんの一瞬のような時間でも、人間で、それも子供のトビオにとってどれだけ長いものかはよく理解しているつもりだ。たぶん俺が協力してほしいと頼めば、どんなことでも一も二もなくうなずいてくれるだろう。きっと人間だってためらいなく殺せる。俺のためなら。
 でも、トビオをみていると明確に脳裏に映し出される、自分の死の瞬間。
 頭の奥で何かが殺せ殺せと叫ぶ。あの大きくなりつつある体をぐちゃぐちゃにして、もう二度と起きあがることなんてできないように。あの青い目がこちらを向けないように。抵抗する力もない今のうちに、早く!!
 トビオを見る度に、その声は沸き上がった。でもそうはどうしてもできなかった。何度もそうしようと思った。俺が呼び出せばトビオはどこにだってきたし、俺の目の前で無防備に眠る。機会はいくらでもあったし、作れた。でも、いざ実行しようとしたその瞬間にに浮かぶのは初めてみたあの俺を見つめるきらきらした表情。なによりも……だと思った、あの顔。それが俺の判断を惑わせた。
 そうしてじりじりと迫られるような感覚に焦っていたある日、俺は何の気なくトビオが弓を引いているところを覗いた。トビオは周りのことなんて気づかないといったように的に集中していた。本当にこいつを殺すのはたやすそうだな、と思ったのを覚えている。トビオがつがった弓は、真ん中とはいわなくてもそれに近い場所に刺さった。それをみて、ぞわりと背筋が凍るような感覚がした。
 それを押さえ込んで、精がでるねぇ、と声をかけた。するとすぐにトビオはこちらを振り向いた。最初の頃よりは大きくなった身長と変わらない目を実感して、また背筋が凍った。トビオは昔みたいに目をきらきらさせて、じっとこちらを見ていった。
「オイカワさんみたいに、なりたいですから」
 そういわれた瞬間、頭の中で何かがはじけた。じっと俺のことをみて、ただひたすらにそうなりたいとだけ願っている。

 ああこいつは、こいつが、

 その真っ直ぐな目をつぶしてやりたいと思った。その首を締めてしまいたいと思った。手足をつぶして、床が血溜まりになるのがみたいと思った。
 沸き上がる衝動のままに腕を伸ばした。トビオは不思議そうに俺を見上げていた。俺がトビオを殺そうだとか思っていることも、なんにもしらない。その気持ちが知られないうちに殺してしまいたい。
 伸ばした手を、トビオの肩においた。
「ねぇトビオ。帰ろっか。」
「…ハイ?」
 トビオは意味が分からないと言ったように首を傾げた。
「お前が、元住んでた世界に。」
「な、」
「拒否権はないよ。」
 ずっとココに入れると思った?残念、そんな都合のいいはなしある訳ないでしょ。
 目を丸くし驚いているトビオから手を離し舌を出してそういえば、トビオは顔をゆがめて俯いた。そして、しばらくすると、わかりました、と小さな声が聞こえた。俺はその物わかりのいい返事に無性に腹が立った。なんでとかどうしてとかわめかないの?オイカワさんと一緒にいたいって思わないの?こっちがどんな気持ちかも知らないで。ムカつく。ムカつく。
「出ていけ」
 一言、低くそういうと、トビオはなにもいわず、俯いたままで駆けだした。その後ろ姿をみながらトビオが通るだろう場所と、ここではないどこかを魔力でつないだ。足音が遠のいて、聞こえなくなる。おそってきたのは、安堵ととてつもない虚無感だった。
 そうして、城内はまた静かになった。イワちゃんはトビオはどうしたのかと聞いた後、そうか、とだけいったっきりなにもいわなかった。魔女ちゃんは少し残念そうで、黒ちゃんはそうなの、とケロッとした様子だった。クニミちゃんとキンダイチは目に見えて動揺していたけど、数日で元の調子を取り戻していた。
 そうして城は元通り、厳かでおどろおどろしい場所に戻りましたとさ。めでたしめでたし。
 今ではトビオは俺の命をねらう勇者一行の一人だ。まさか本当に命を狙われるときがくるなんて。やっぱりオイカワさんの直感ってすごいよね。でもそうなら今度こそ容赦はしない。

「早く来ないかな!今度こそ殺してやるのに!!」



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