(う゛ーん…)
日向翔陽は困っていた。
その原因は日向のチームメイトである影山飛雄にある。
日向と影山は烏野高校排球部の変人コンビと名高い一年であり、初めは全くと言っていいほどかみ合わなかった二人であるが、今はお互いがお互いを信頼する名コンビである。未だにケンカは絶えないが、それも本当に気が許せるからだと日向は認識している。
して、その日向の困惑の原因とは、コンビの片割れである影山の背に、たまに、本当の本当にたまに、羽が見えること、である。
日向が初めてその羽を見たのは、なんでもない昼下がりだった。普通に、いつものようにばくばくとお弁当を飲み込むように食べていた。そのときに、ふと聞きたいことがあったのを思い出して尋ねようとして影山の方を向いたのだ。
「あのさあ、影や、」
ま、は声にならなかった。驚きにいろんな器官が働くのを止めてしまったかのようで、おかずを運ぼうとしていた箸は止まり、口を開けたままで影山を見つめてしまった。
見えたのは、純白の羽をはやした影山。それに思考回路は諸器官と同じように動きを止めていた。え。は?なに?羽?…はね?
数分とも思えるような長い数秒の間をおいて、影山は不信感いっぱい、という顔をして日向の方を向いた。
「ジロジロみてんじゃねえよ、さっさと食え」
そのとげとげしい声にはっと我に返って見てみれば、影山の背から羽は消え去っていた。
「わかってるよ!てかじろじろとかみてないっつーの!!」
さっきの光景を忘れようと、日向はそう返事をして自分の弁当をかき込んだ。
それから、日向は様々な場面で影山の背に羽を見かけるようになった。例えば、着替えの時にちらっと見れば生えていたり、帰り道で肉まんをおごってもらってそれを頬張っているときや、影山がパックのジュースを飲んでいるときなどなど…時や場所にきまりがあるわけではないらしい。見えるものは仕方ないかと最近は割り切っているが、ただ、練習中に見えるのは心臓に悪いので止めてもらいたい。なんとなく翼の存在には慣れたような気もしなくもないが、出現に脈絡がないので驚く。
困ったことに最近やけにその頻度が増えたような気がする。いよいよ自分の目はおかしいのかもしれない。
そんなことを考えてる今も、ストレッチをしている影山に羽が見える。いや、見えたから考えたのか。なんでこんなの見えるんだろう。
(もしかしたら影山は天使なのかも…)
ぽつりと脳裏に思い浮かんだ一文に、一瞬思考が止まった。
影山は、天使、なのかも。うん、天使。…てんし?
脳裏にマンガでみた天使の服をきて羽と頭上にわっかを浮かべた影山が思い浮かんだが、あんまりの似合わなさにすぐに打ち消した。
…いやいやないない。天使はない。それはない。百歩譲って羽が見えたとしても真っ黒いの、悪魔とかのヤツだろ、悪魔。
そう一人で結論をつけてうんうん頷いていると「ぼやぼやすんな日向ボゲエ!!」ともう羽をはやしていない影山に怒鳴られた。
…やっぱこいつが天使はねえな。
それからは影山の背に羽も見えることもなく、無事に部活も終わり、今日は二人とも少しだけ残って練習して、競うようにして着替えて、ちゃんと戸締まりして、校舎から出た。
日向は自転車をおして先に行っている影山を目指す。すこしすすむと、ぴったりと立ち止まった影が一つ。
いつもならもっと先の方にいるのに、と不思議に思いながら日向が近寄っていくと、立ち止まった影山からちょうど一メートルくらい先に、猫がいるのが見えた。猫はこちらを気にする様子もなく毛づくろいをしている。
「なんだ、猫じゃん」
日向は端に自転車を止めて、ぴったりと立ち止まった影山を無視して猫にゆっくりと近づいた。それに猫は毛づくろいをやめたが、逃げ出すでもなく日向をじっと見ていた。日向はしゃがみ込んで猫に手を伸ばす。猫はその手を享受して、むしろもっと撫でろと言わんばかりに撫でる度ににゃうにゃうと鳴いた。飼い猫なのかもしれないなと思いながらその愛想のいい猫をしばらく撫で回していると、背後からちいさく声がした。
「…ずりぃ…」
その声に日向がくるりと振り向くと、先ほどの位置からから全く動いていない影山が唇をとがらせて、すねたみたいな目をしてこっちを見ていた。その顔をみて、日向はなぜかどきりとした。
いまは天使の羽がはえてるわけじゃないのに。こんなの、いっつもみてるのに。不機嫌そうなのなんていつものことなのに。
ちょっと、かわいい、とか。
浮かんでしまった考えにどきまぎしていると、ぴたりと止まった日向の手の下で、なぁん、とまだ逃げ出さない猫が暢気に鳴いた。
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