君が居なくなる夢



ふと隣を見ると、何時も居た君は居なかった。一番後ろの窓際の席、印象的な赤いマフラーも視界の隅に入らなくて。
如何でも良い奴なのに、寧ろ面倒な奴なのに。それでも、こうして空しく感じてしまうのは何故だか。
体調でも崩したんだろう、と考えてはあんな奴でも体調を崩すんだな、とも考えた。でもそれは何かを受け入れるのを拒んでいる様な、何も聞き入れていない様な何処か言い訳じみた考えで。
結局俺はその日一日をぼーっとして過ごした。朝のHRの担任の話も耳に入らず、授業は何時も以上に聞き流した。
それほどまでに、俺は文乃の事が引っ掛かっていた。



次の日になっても文乃は居ないままだった。文乃の席の、俺の隣はまた今日も空いたまま。一体何が有ったのかと、もしかしたら虐めにでも遭っていたんじゃないかと、そんな考えすら頭を過ぎる様になった。
でも文乃はそんな奴じゃないと解っていた。何時だって笑顔だったし、普通に女子とも男子とも接していた。そんな奴が虐めなんかに遭う訳がない。
じゃあ一体何なのだと、俺はそんな事を考えるばかりだった。相変わらず、担任の話も授業も聞かずに。



その次の日からだった。文乃の席だった、俺の隣の机の上に一輪の花が活けられた花瓶が置かれる様になったのは。
まるで死んでしまったみたいじゃないか、と眉を顰めた。
一体誰がそんなものを、と隣を見て俺の眼に映り込んだ花を見て眼を見開いた。
菊。
確かにその花は菊だった。
外国では違うらしいが、日本で墓参り等に添える花は基本的に菊だそうだ。つまり目の前の「これ」は――きっとそういう意味なんだろう。
受け入れられなかった。否、信じたくなかった。
まるで呼吸が止まってしまったかの様な閉塞感、目の前の状況を脳が受け入れたくないとでも云う様な頭痛。それに伴い耳鳴りや吐き気に襲われる。
嘘だ、嘘だ。そんな事、有る訳がない。文乃は俺が知っている中で誰より優しい奴だった。そんな文乃が、死んでしまったなんて一体誰が信じられるというのか。
未だに文乃が死んでしまったという事実を脳が受け入れないまま、俺はただ一日が終わるのを待った。



文乃の机に菊が置かれた日から、一週間程が経った。無残にも菊は枯れてしまっている。
思えば文乃は死んでしまう前、今の様な誰も居ない放課後の教室に一人で座っていた。
扉に手を掛けようとしたところでそんな文乃の姿が目に入って、手を止めた。あの時文乃は何をしていたのだろうか。
扉と一番窓際の席では距離がありすぎる為文乃の表情は見えなかった。だけれど、何時もの様に赤いマフラーをして、そして何故だか俯いていた気がする。
もしかしたら文乃は、何かを抱えていたのかも知れない。親にも、誰にも云えない様な何か。
誰にも話せなかったから、如何しようもなかったから、…もしかしたら文乃は、それが原因で自殺してしまったのかもしれない。
俺は何も気付いてやれなかったのか。如何して俺はあの時見て見ぬ振りをしてしまったのか。俺があの時声を掛けでもしていたら、もしかしたら文乃はまだ此処に居てくれていたかもしれないのに。
少しだけでも、文乃の悩みを解っていてやれたなら。面倒だけれど何処か楽しい様な日々は続いてくれていたんじゃないだろうか。
文乃は俺に沢山の事をしてくれていたというのに、俺はそれすらも気付いていなかった。
俺は全く無力じゃないか。
俺は何も、出来やしない。



景色が切り替わった。
其処は確かに学校の屋上で、目の前には赤い何かがちらついていた。
顔を上げると、ちらついていた「何か」は死んでしまった筈の文乃が何時も着けていたマフラーだった。
しかもよく見ると、未だ文乃は目の前にいる。柵を超えているけれど、今なら、引き止めれば今なら間に合う。
そう信じて止まなかった。
俺は必死に手を伸ばした。フェンスに近付けるだけ身体を近付け、文乃に向かって。
だけど文乃は――文乃は、
「御免ね…有難う、伸太郎」
と涙を流したまま小さく笑って目の前から居なくなってしまった。



「文乃ッ!!」
自分の叫び声で目が覚めた。俺の手は空に向かって伸ばしていた。
ぱたりと手を降ろし、未だ目覚めない脳で整理する。
と同時に今迄のは夢だったのだと悟る。俺は途轍もない安堵の溜息を漏らした。
夢にしては酷く現実感のある夢だった。そして、とても嫌な夢だった。
気が重いながらも夢だった事に安心を覚え、何時もの様に重い足取りで学校へ向かった。



だけど其処で俺が目にしたものは。





文乃の席には、夢と同じ色の菊の活けられた花瓶が置いてあった。
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