ダムダム、という、聞き慣れたうっとうしい音を聞きながら、オレはまさ子ちんに恋をしたんだ。
「まさ子ちーん、オレもう勉強やだー」
眺めていた教科書を投げ捨てると、まさ子ちんが屈んでそれを拾ってくれた。かと思いきや、その教科書でスパーンと頭をはたいてくるもんだから、オレの体は衝撃で揺れた。痛い。
「……いてーし」
「専門学校への進学といえど、受験対策は必要だ。いざという時、役に立つこともある」
「でもみんな、専門は書類だして作文と面接ヘマしなきゃ受かるって言ってるよ」
「そういう安易な考えが失敗する原因になるんだ。それに、勉強はしていて損にはならないぞ。私が骨身にしみて知っている」
「あー、まさ子ちん元ヤンなんだっけ? やっぱ勉強してなかったんだ?」
「もっと早くにバスケと出会っていれば、あんな青春時代を過ごすこともなかったろうにな。さあさあ、お喋りは終わりだ。再開しろ」
ピシャリとはねつけられて、教科書がオレの前に舞い戻ってくる。羅列された漢字や数字や記号やらを見ているだけで、頭の後ろに鈍痛が走る。
はあ、と溜め息を吐きながら机に突っ伏すと、まさ子ちんのほうからも小さな溜め息が漏れた。だってもう頭使いすぎて疲れた。
ふと、ぼんやりした思考の端に、今日の出来事が反芻される。
「まさ子ちん」
「なんだ」
呆れ口調ながらも、返事をしてくれる。
「今日クラスでさー、女子が話してたんだ。『受験終わるまで彼氏とは会わない』って。そういうのどう思う?」
「抑圧するのが得策とは言いきれないが、まあこの大事な時期に恋愛にうつつを抜かすというのは、いいことではないかもしれんな」
「そういうもんかなー。なんかさ、我慢すればするほどしんどくなんね?」
「それをコントロールする力も、これから先には必要とされる。何事も自分のためと考えろ。いわば今は、苦難を越えるための訓練だ」
「まさ子ちんの言うことは正しいからしんどーい」
「あ?」とドスの利いた声がする。女の人なのに、まさ子ちんは怖いし短気だし乱暴だし。でも、なんでだろう。オレはまさ子ちんが好きだった。いつからだったかは、もう覚えていない。ただ、まさ子ちんのことを「好きだなー」と思い始めてから、かなりの時間が過ぎたとは思う。
「まさ子ちん、オレ最近寝付きワリーの」
「それはいかんな。この時期に体を壊したら元も子もない。快眠の方法ならいくつか知ってるから教えてやろう。まず――」
「金縛りも激しいし」
「……聞けコラ。あとそれはお祓いに行け」
「ねえ、なんで? 教えてよ、まさ子ちん」
そこで、どんどんイラついた声音になっていたまさ子ちんが、ピタリと押し黙った。
「オレ、知らないことばっかでわかんねーの。なんでなの? なんでこんなしんどいの? 教えてよ、まさ子ちん」
この靄を消したい。見えないのも知らないのもわからないのも気持ち悪い。どうしたらいいか、オレはわからない、知らない。
「紫原」
打って変わって静かに、まさ子ちんはオレを呼んだ。
「続きだ」
スッと教科書を指す動作は落ち着いていて、今日の空気みたいに寒くて、でも冷たいわけじゃなかった。しんとしてて、降る雪みたいに音がない。遠くて、つかめなくて、鼻がツンとする。まさ子ちんは、きっとオレがまさ子ちんを好きなことを知ってるんだと思う。
言いたいことならたくさんあった。好きだって言わせて、触らせて、抱きしめさせて、下の名前で呼んで、オレのことを好きだと言って。
でも言えなかった。なにひとつ言えなかった。見てるだけで幸せなんてあるわけないのに、もう長いこと、オレはまさ子ちんを「見てるだけ」でいる。そうやってこのまま終わっていくんだろう。あー、悔しいなぁ。切なすぎて悔しいよ。
「春からはパティシエの卵だな」
零すように、まさ子ちんは笑った。試合で勝った後、練習の合間、この瞬間の笑顔が、オレは好きだった。涙が出た。カッコ悪いから、机に俯せて必死にこらえた。まさ子ちんは気付いてたはずだけど、やっぱりなにも言わなかった。オトナのヨユーってやつかよ。ムカつくなぁ。
“それは恋の病だ”と、せめて口に出してくれたらよかったのに。
ねえ、まさ子ちん。訊きたいことまだあるよ。年下じゃいけないの。監督と部員じゃいけないの。オレじゃいけないの。答えて、せめて答えてよ、まさ子ちん。
卒業という名の別れが近付いて、もうすぐオレはまさ子ちんの生徒じゃなくなる。唯一あった繋がりさえも、雪みたいに溶けてなくなってしまう。聞き分けよく「サヨナラ」と言うこともできない。イヤだなぁ、オレまだまさ子ちんの生徒でいたいよ。
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紫荒で相対性理論の『地獄先生』パロ。
このネタよく見ます。「合うか?」と思ってやってみたら意外と合う気がしますね。でもこんなむっくんつらすぎます。
最近私の紫荒こんなのばっかりで、かわいい紫荒降ってこーーいウアァァァーーーッッ!!!
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