綾部に抱かれてから、本当に伊作のことを考えなくなった。「忘れさせてあげる」なんて言葉を信じたわけではなかったが、なるほどこれは案外効果があったらしい。ただ卯子は、こんなことで彼女が長年抱え続けた恋心が消えてしまったのだと思うと、胃がキリリと痛んでならない。しかも相手があの綾部 喜八郎だというのだから、得心がいかないのも仕方のないことであった。だが、叶わない恋の終息を望んだのは他でもない卯子自身で、胸のモヤが消えて晴れ晴れとしていたのも事実だった。
「おや、卯子ちゃんじゃないか。昨日ぶり」
相も変わらずとぼけた顔で――卯子に言わせればひょっとこにも似たような間抜け面で――姿を現した綾部は、「やーやー」などと軽い調子で右手を上げた。体を交わらせた次の日に、その張本人相手に平然としていられるほど卯子は器用な娘ではなかったので、ほんのり朱に染まった頬をどうすることもできないまま、「あんまり大きい声で言わないでください」と唸った。
「それで、どう? 伊作先輩のことは忘れられそうかい?」
「デカい声で言うなっつーの。……まあ、少し楽になったような気もします」
「おー、それはよかったねぇ」
「あくまで“気がする”だけですから」
「それはそうと、体の方は大丈夫? 痛みとかない?」
話題の転換激しいな。あと、だから大きな声で言うなって、とうんざりした様をありありと見せつけてから、「それほどでも」と卯子は答えた。
「そうかー」
綾部はほっとしたように胸に手を添え、
「穴を掘るのは得意だけど、女の子の穴を掘るのは初めてだったもんでね」
朝っぱらからなんと下世話な。羞恥と侮蔑に顔を歪める卯子は、だが、綾部が女を抱いたのは初めてだと言ったことに、痺れ上がるような心地になった。それは、たまらなく気持ちのいいことのような気がした。綾部のモノが卯子の中に入ったこと、また卯子が綾部のモノを受け入れたことは、二人だけの秘密であり、夢のような現実だった。そう思うと、下半身が昨夜のように熱く疼いた。
頬を火照らせ、卯子は顔を背けた。すると、ふいに綾部の顔が近付いてきて、卯子の髪をすんすんと嗅いだ。
「僕と同じ匂いがする」
よこされた台詞に、体中の血が熱く脈動する。パクパクと口を開閉させ、目を見開く卯子は、やはり伊作のことは忘れたままでいられた。
← →
[戻る]