これのNG集みたいなもの




【「服を脱げ!」と言っていた場合】


CASE:A

 今、この空間にある音と言えば、店の雰囲気にかっちりと合った古めかしいレコードの音(ね)と、グラスの中で溶けた氷がぶつかり合うカランという音だけだった。

 息が詰まるような沈黙。逢い引きの相手に向けるにしては、いささか鋭い眼光を互いに絡ませる。皮膚を刺すような冷気の中、先に口を開いたのはリコだった。

「服を……脱いでくれない?」

 刹那、赤司が止まる。大きく動いていたわけではないが、それでも、彼の周りに漂う空気や彼の思考、筋肉から表情筋までが間違いなくピシリという音を立てて固まったのだ。

 彼の薄い唇が、フッと笑いを浮かべた。そのまま目にも止まらぬスピードで席を立ち、

「そういう話でしたら僕はこれで」

「え!? いや、ちっ、違うから! そういう意味じゃないから! 誤解、誤解だってば、ちょっ……赤司くん待って!」

 必死でしがみつくリコと、針の先ほどの迷いもなく出口へ向かっていく赤司の攻防を、店主が「痴話喧嘩なら余所でやっておくれ」と、グラスを磨くついでのように言った。



CASE:B

「服を……脱いでくれない?」

 思い詰めた女の顔だった。なんとかしてこの男の情報の一端を手に入れようと必死だったからなのだが、いかんせん殺気にも似たオーラを放っていたものだから、並の人間ならただちに回れ右していたことだろう。

 だが、今彼女にその言葉を投げられたのは、お世辞にも“並”や“平凡”といった類の人間ではない。王者洛山高校を一学年ながら統べる者。すべての上に立ち、敗北を味わうことなく生きてきた勝者。自分に従わない人間は駒としての価値も見出さない、当たり前のように他人を操る支配者、赤司 征十朗なのだ。

 その王様は一度目を閉じた後、音もなく瞼を開いた。

「いいでしょう」

 あくまで冷静な赤司の返答に、リコの方がわずかに逡巡する。

 ――こんなに簡単に敵に手の内を明かそうというの? いったいどういうつもりで……

 訝しげに目を細めるリコから視線を外し、赤司はなにやら窓の向こうをキョロキョロと見渡した。

「?」

 不可思議な行動にリコが首を傾げていると、

「場所はあそこでかまいませんか?」

 涼しげな顔のまま、赤司がとある建物を指差す。導かれるようにそちらを見やると、薄い水色の建物。最上階付近はまるで御伽噺に出てくるお城のような造りをしており、鐘突き場まで設置されている。夕暮れが少し夜の色を濃くし始めた今、幾多の窓から零れる光は妙にムーディーで――

 そういえば、駅の裏側にはホテル街と呼ばれるエリアが存在していた。

「さすがにここではいろいろと問題があるでしょう」

「えええええ――っ!? いやいやいや違うし! そういうあれじゃないし! 論ずるべきポイントはそこじゃないし、ちょっと冷静になって赤司くん!」

「? ――ああ、確かに制服だとまずいですね。でも安心してください。そういうプレイだと言い張りますよ」

「なんの心配!? おかしい! 決定的にズレている!」

「それとも先に相田さんのお父上を危惧した方がいいかな。二丁拳銃にマフィアの女ボスにフローレンシアの猟犬が相手では、さすがの僕も分が悪い」

「だからなんの心配!? 今言ってるのはそういうことじゃないのよ!」

「大丈夫です。代金はもちろん僕が負担しましょう。こんな時は男に花を持たせるものです」

「もうごめんなさい許して! 私が悪かったから!」

 頭を抱えて机に突っ伏す少女の姿を、店主と客が変なものを見る目で眺めていた。



CASE:C

「服を……脱いでくれない?」

 静かな中に真剣さ、そして奇妙な色っぽさが漂う、そんな声音であった。言葉を放った張本人はそれに気付いていないのか、挑むような強い視線を彼の顔から逸らさない。

 一秒ほど、彼は考える時間を使った。

 そして、おもむろにガバリと浴衣の襟元をくつろげる。

「ギャアアアアアアア!! ここで脱ぐなぁ――っ!」

 瞬間的に顔から火が出たリコと、流れる水のごとく清涼な赤司。グラスを拭く手を止めた店主が「アンタらいい加減にしてくれないかい」と二人の座る卓まで苦情を言いに来るまで、あと28秒――。





【敗北を味あわせてあげるわ】


 とても唐突だった。

 リコは額にうっすらと汗さえ浮かせた余裕のない顔に無理な笑みを貼り付け、おもむろに握りしめた拳を差し出してみせた。

「ジャンケンを、しましょう」

 「戦争を、しましょう」と同じような声のトーンだった。平らで、あっさりと淡白で、しかし含むものがあまりにも不穏な――不穏、なのだろうか。

「私があなたに敗北というものを教えてあげるわ。赤司 征十朗くん」

「……それは、興味深い」

 真面目に相手をするところなのかさすがの赤司も混迷したが、リコの表情におふざけが混じっていないことからして本気なのだろう。少なくとも、「わけがわからないよ」と切って捨てる場面ではないらしい。

 考えてみればなるほど、わりあい合理的な方法とも言える。自分たちの土俵と言えばバスケットボールだが、なにもその上でだけ勝負する必要性はないわけだ。野球でもテニスでも、それこそアイスの当たりを先に当てた方が勝ちだとか、そういう勝負方法でもなんら問題はない。ようは、相田 リコが赤司 征十朗に勝てばいい。

 そのためにも、ジャンケンというフェアな勝負は得策だと言えた。相手が手を出す寸前に、わずかに動く指先でグーチョキパーのどれかを見極めるなどという常人には不可能な技を使ったりしないかぎり、ルール上はだれにでも勝つ可能性が与えられている。そう、常人ならば――

「言っとくけど、あなたの“目”を使って私の筋肉の動きからなにを出すか見破るとか、そういうのはナシよ」

「ぬかりのない人だ」

 早々に裏技を封じられてしまった。

 ――さて、どうするか。たとえジャンケンであろうと、負けは許されない。もちろん、これまでの人生でジャンケンをする機会は赤司にもかなりの数あった。そのすべてに彼は勝利してきた。彼は敗北を知らない。しかし、たとえそうだとしても勝つために万全をきすのが赤司 征十朗であり、彼が彼である所以だ。奥の手を封じられたくらいで、敗北へのカウントダウンに足を乗せるはずがない。いつ何時も勝利は正しく、自分は勝者だ。

 承諾の意を表すため、赤司も右拳を差し出した。リコがゴクリと唾を飲むのが、彼の特殊な“目”を使わずとも簡単に見てとれた。

「ジャーンケーン……」

 ゆっくりと、リコがそのかけ声を口にする。今この瞬間、互いのチャクラやオーラと呼べるものは、すべて右の拳に注がれていた。

「ホイ!」

 勢いよく繰り出された彼女の手はグー。赤司の手は――パーだった。

 握られたままの自身の手を見て、リコが愕然とする。顔面蒼白だ。脂汗のようなものを額にかきながら、ふるふると小刻みに体を震わせている。赤司はテーブルの下で小さくガッツポーズをした。

「なんで!?」

 なんでと言われても、それが運命だ。赤司にとっては当然の結果。彼の勝者としての冠には、何人たりとも傷を付けることがかなわない。

「“人はジャンケンをする時、かなりの確率で最初にチョキを出す”って言ってたのに!」

 どうやら赤司と同じものにジャンケンの教則を説いてもらっていたらしい。やはり同じ少年誌のタイトルは強い。赤司はその可能性を見越したうえで、リコが最初にグーを出してくると読み、パーを出したのだ。心理戦というやつである。一手先のさらに三手先を。将棋だろうがジャンケンだろうが、その精神を欠いてはこの赤司 征十朗には勝てない。

「僕の勝ちだ」

 すうっと細まる赤と橙の瞳が、彼女に「投了」の二文字を要求していた。





【つまりそういうことなのか】


 ずっと気になっていたことがある。そして自分は、それについて尋ねる機会を得るため、こうして彼と向かい合っているのかもしれなかった。

「堂々とした宣戦布告、お受けいたします。覚えておいてください、相田さん。僕は逆らう者には容赦しません。何人たりとも、見下ろすことは許さない。いずれ、身の程をわきまえる時が来ることでしょう」

 音を立てずに標的を仕留める暗殺者(アサシン)の目をして、赤司は唇を歪めた。けっして熱のない、しかしどこまでも狂信的な狂気には、純粋な恐怖心を覚える。だが、その程度でおののく相田 リコではない。彼女は毅然とした態度を維持したまま、初めてその台詞を聞いた時から気になっていた素朴な疑問を彼にぶつけた。

「ねえ、赤司くん?」

「なんでしょう」

「赤司くんって……そんなに気にしてるの? 周りのバスケ部員に比べて身長が低いこと」

 「カチン」でも「ピシッ」でもない。「ガシャアーン」や「ドカーン」といった効果音を付けるのが妥当な雰囲気が、静謐さを粉々にするがごとく、火山の噴火と荒れ狂う吹雪の幻覚を同時に視覚に与える。一気に様々な色をなくして無の境地へ至った赤司の微笑みに、これはまずいとリコは今日、初めて心の底から思った。

 真の悪夢は、今、幕を上げたばかりである――。





【人の口には戸が立てられない】


「あいにくだけど、背中で語れるほど人生経験豊富でないの。選手を導く立場だから、どうしても小賢しい思考とは切り離せないのよ。諦めて、自分との境界線を曖昧にすることに努めたら?」

 リコが淀みなく彼への台詞を吐いている最中のことだった。全身を針の筵にさらすようなオーラを放っていた赤司の眼差しが、ふ、とリコから逸れる。彼の瞳はあまりにも殺伐としているので、その重圧から逃れられるのは願ったり叶ったりだったが、真剣に話している時に他のものに目移りされるのはいただけない。

 ちょっと、と声を荒げようとした、その時だった。

 席のすぐ横にある大きなガラス窓に、二人の見知った姿が映った。一人は、男にしてはいささか低身長な少年。運動部と言い切るには体つきも少々薄い。表情らしきものの乏しい、平坦な顔。手には愛飲しているバニラシェイク。もう一人は対照的に体格のよい、赤髪の少年。恵まれた高い身長と、ガッシリとしたバランスのよいボディ。その筋肉質な腕に、隣の少年が持ったシェイクと同じ店名の入った、大量のハンバーガーが詰め込まれた紙袋を抱えている。こちらはわかりやすい男なので、これ見よがしに目を見開き、食べていたハンバーガーの一つを手から滑り落とし、呆然としたまま凍りついている。無表情な少年の方も、動揺が面に出ていないだけで、シェイクのストローを口に含んだ状態から1ミリも動いていない。

 リコはブワリと汗が噴き出すのを感じた。あと3秒、いや1秒か。予知をする必要もなく、先の展開が見えてしまった。

 聴覚を支配するのは自分の鼓動、そして店内にかかるゆるやかなクラシック。視覚に入るのはこちらを指差そうと持ち上げられる火神の手、一寸も動かない黒子。触覚で感じるのは赤司 征十朗の、印象とはそぐわない意外なほどあたたかな掌だけ。





▽こういうの入れるとこほしかったんですけど、なんの必要もない気がして諦めました。赤司くんとリコちゃんがなんやかんや言いながら同棲までこぎつけるお話とか見たいです。




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