ep.8
名前変換あのメール以来ガウェインさんに連絡はしていない。服も取りに行かなきゃいけないのに、会いたくなくてバーからも遠ざかっていた。
仕事は順調で、ガウェインさんにお熱で仕事に身が入っていないあの子の分までやっているおかげで上司からの評価も上々だ。かなり大きなプロジェクトを任せてもらってそれを成功させたのもあって昇給の話も出ているそう。それは嬉しいんだけど…。
「(あれから二ヶ月か…まだ付き合ってないみたいだけど、もうだいぶ仲良くなったよね、二人)」
気にしちゃいけないとわかっていても気にしてしまう。早く新しい好きな人見つけて諦めなきゃ。
「あやかさん! お疲れ様っす!」
後輩くんが笑顔でコーヒーをデスクに置いてくれた。天然男子らしく、何度コーヒーを飲めないと言ってもみんなと同じコーヒーを買ってくる。
「ありがとね。あと、紅茶の方が好きだからね私」
「あ…そうでしたよねすみません! 俺ほんと馬鹿だから…」
「大丈夫。買ってきてくれてありがと」
「っ…! あやかさん!」
「はい?」
顔を真っ赤にして何かを伝えたいのか視線をふわふわとさ迷わせている。告白かな。悪いけど年下に興味はないから断らせてもらおう。
「やっぱなんでもないっす!」
すみません、と謝って自分のデスクに戻る彼。年下は可愛い、としか思えないなあと考えつつコーヒーを飲んでみる。胃が痛くなりませんようにと願いながら。
「(ガウェインさん…)」
ガウェインさんはどうして私がコーヒーを飲めないことを知っていたのだろう。どうしてアールグレイティーが好きだって知っていたのだろう。
…どうして私じゃだめだったんだろう。
考えても仕方ない。仕事は終えてあるので早上がりして気になっている本を買って家でゆっくり読もう。
「お疲れ様です。お先失礼します」
仲間に一礼して職場を出た。冬の気配を感じられる空気が私を包む。カップルの距離が縮まる季節がきた。ガウェインさんとお揃いのマフラーをして出かける妄想をしてしまい慌てて首を振ってその妄想をかき消す。
「あやかちゃん」
大好きな声に名前を呼ばれて振り返る。
「ガウェイン…さん?」
どうしてここにいるのか理解ができない。
「こんなに待たされると思ってなかったぜ。服、取りにおいで」
「勝手に待ってたんですよね? それに早上がりしたからいいものの、深夜まで仕事の日だって」
「ちげーよ。服取りにおいでって言ったの二ヶ月前だぞ?」
「…忘れてました」
見え透いた嘘をついて目を逸らす。本当のことを言えない私は嘘をつくことしかできない。
「お前さんって、嘘とか思ってないこと言う時目逸らすよな」
「っ!」
慌ててガウェインさんを見つめると、距離が縮まっていて思わず身を硬くする。
「あの子、黒髪の。お前さんの悪口ばっかでヘドが出るんだが、あれが全部本当のことなのか知りたいから来い」
ほぼ無理やり手首を掴まれて連れていかれた先にはこの間乗った車。乗ってからハッとして降りようと体をドアの方に捻る。
「どこいくんだ」
どん、とドアに手をついて、私の二の腕を掴むガウェインさん。怖くなって涙目になる。
「あー…悪い。嫌だったか……帰ってもいいぞ。服は取りに来いよ」
「ちが……」
また泣いてしまう。ガウェインさんといるとどうしてこうも泣き虫になってしまうのか。
「……泣くな。どうしたらいいかわかんねえだろ」
「ご、ごめ、なさっひっ……う、うぅ」
「どうしてお前さんのことこうやって泣かせてばっかなんだろうな。ほんとかっこ悪りぃ」
ガウェインさんの言葉の意図が読めない。がしがしと自分の頭をかいたあと、ため息をついて一度車を出て私の座っている助手席のドアを開ける。
「一回降りる」
「? …は、はい」
「んで、後ろ乗る」
後部座席に乗せられて、ガウェインさんもそこに乗り込む。そして近づいてくる顔、腰に回される手。
「ガウェイン、さ」
キスをされると思ったのだが、おでこがこつんと当たっただけで終わる。
「あの……」
「泣き止んだな」
「びっくりしたので…」
つけているのが額から鼻に変わる。今度こそキスだ。雰囲気にのまれて唇を捧げていいのか?という考えが頭の中を駆け巡る。
「嫌ならやめるけどどうする」
「いやじゃ、ないんですけど…」
始まりなんてなんでもいい。ガウェインさんが私とキスをしたいなら、それは私もそうだから。される前に、自分から唇を押し付けた。びっくりしたのかガウェインさんの体がぴく、と揺れる。私から何度も角度を変えて啄ばむようにキスをして誘うように小さく声を漏らして彼の髪に指を通す。
「ん、ふ……んぅ」
「っん…なぁ、一つ聞いていいか?」
キスを止めて私の顔をじっと見つめてくるガウェインさん。
「はい」
「お前さんさ、俺のこと嫌いってほんとか?」
「……そう見えますかね」
「いや?」
一度短いキス。
「なら私も聞いていいですか?」
「ん」
「私は都合のいい女ですか?」
質問しておいて怖くなって、やっぱり答えないでいいですと言いそうになる。でも答えは気になる。両極端な気持ちがわたしの心臓を両方からぎぎぎ、と引っ張ってくる。
「本当に都合のいい女なら酔って寝て起きたあの日にヤってる」
「…へ…ほんとに?」
間抜けな声が出て恥ずかしさで顔に血が昇るのを感じる。
「なんの心配だよ。あんなに拒否られたの初めてで結構ショックだったんだぜ?」
そう言って笑うガウェインさんはシートに私を押し倒した。
「俺も心配なんだよ」
「? 何がですか」
「お前さんの気持ちが本当なのか」
何を言ってるのかよくわからない。ガウェインさんが私の気持ちが本当かどうかを気にしてる?
「本当ですよ……気づいてるくせに」
「わかんねえよ。毎回泣かれるし会わなくなったと思ったら友達の方がやたらアピールしてくるし」
「あ、そうだ。アドレス」
「アドレス?」
思い出したようにガウェインさんに聞いてみた。今なら聞ける気がする。どきどきとうるさく鳴り響く鼓動を落ち着かせながら口を開いた。
「なんで私は仕事用で、あの子はプライベート用だったんですか?」
「お前さんからの連絡はすぐ気付きてえだろ。プライベート用なんて一日で寝る前の数時間ちょっと、もしくは触んねえ日もあるからな」
そういうことだったのか、という理解の後に喜びが身体中を埋め尽くす。なるほど、と感情を抑えて相槌を打ったが、嬉しそうな顔してんぞ、と言われ羞恥でガウェインさんの体をぐい、と押す。
「その顔は反則だろ」
押したはずの体が戻ってくるどころからさらに近づいてガウェインさんの唇が私の耳に触れた。
「家、来るか?」
囁かれた、鼓膜を揺らすドルチェの声。
こんなの頷く以外の選択肢を用意されていないようなものだ。
「いきます」
「ん。すぐつくからここ乗っとけ」
離れる体が寂しくて抱きついてしまう。
「我慢できねえって?」
「ち! ちがいます!!」
慌てて離れて「早く出してください!」と言うと「どこに?」とからかわれる。夢みたいな空間に自然とにやにやしてしまう。ガウェインさんも同じなのか楽しそう。
男性の家に行くのがこんなに楽しみなのは生まれて初めてだ。
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