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日々を願う




部屋に足を踏み入れた途端、血生臭い匂いが鼻孔を掠める。
毎度の事だけど私は今度も同じように、顔を顰めその匂いの根源である妲己姉様を睨みつけた。

「妲己姉様、くさい」
「あらん……これでも匂いは洗い流したつもりなのだけれどねん」

「そういえば名前は鼻の良い子だったわねん」と頬に手をあてて妲己姉様はなんという事のないように言ってのける。
今ようやく思い出した、みたいな雰囲気を醸し出しているが、果たしてその通りだろうか。いや、妲己姉様は姉妹の中でも特に私を虐めてくる節があるので、なんとも信用できない。
私は『そういう』妖怪仙人だから、こういったきつい匂いは頭が痛くなる(……まあ、この住居では絶え間なく血は流れ続けているが、そういう所には寄らなければいいだけだ)。
妲己姉様の趣味である洋服を地面に引き摺りながら(妲己姉様は私の背丈以上の服を用意してくる。正直鬱陶しくてならないが、今の所二人の姉からは苦情はきていない)、妲己姉様の膝にすとんと腰を落ち着ける。昔から彼女の膝上は私の特等席である。こればかりはあの男にも譲れない。

「近くに来たら余計にくさいよ」
「うふふ、だったらこうしてわらわに寄らなければ良いだけではなくて?」
「イジワルを言うね、姉様も」

柔らかな身体を抱きしめるように、埋まる。血の匂いは相変わらず煩わしく苛立たしいが、そんなものは私と姉様を隔てる壁にはなりえない。
ああ、これだ。これ。こうして彼女と同化するように密着するのが、何よりも素敵な時間の過ごし方であった。二人の姉の膝枕も心地よいけれど、私の一番はいつだって妲己姉様以外にはあり得ない。実の姉妹ではないけれど、私が一番愛するのは妲己姉様なのだから。

「頼んでおいたお仕事はどうかしらん」
「ご希望通りさくっとコろして来たけど。匂うでしょう?」
「わらわは名前ほどに鼻が良くなくてねん」

だらりと手の平を妲己姉様に押し付けるようにすると、一応は受け止めてくれたものの、首を傾げて匂いを確かめるような事はしなかった。まあ、流石に私以外には分からないか。あれだけ盛大に浴びてきたのになあ(お陰で鼻が曲がるかと思った)。

「お蔭で姉様のくれたお洋服がまっかっかだよ」
「それはいただけないわねん……また作ってあげるわね」
「……あれって姉様のお手製だったの?」

それは、悪い事をしたなあ。と、血のりでべとべとになった服を脳裏に浮かべ、しゅんとする。そんな私に姉様はいいのよと微笑んで、私の頭に手を乗っけた。
柔らかな髪をくしゃりとさせて、慈しむように、愛おしそうに撫でてくるのが、私はとても好きだった。二人の姉のそれも居心地は良いが、私は妲己姉様のこれが一番好き。ああ、もう、妲己姉様は、私の中では何もかもが一番なのだ。
(眠くなるなあ)丁度運動してきた事もあって、私は瞼が重くなるのを感じた。

「寝てもいいのよん?」
「どうしてわかったの」
「わらわは名前の事ならなんでも御見通しよん」
「ああ、それは、便利だねえ」

それなら、私が彼女の事を心底愛しているという心中も察してくれているのだろうか。それはいやはやなんとも便利じゃないか。生憎私はこの気持ちを素直に口に出す事が出来るほど器用ではないのだから。
見上げると、姉様は淡く微笑んでいた。一瞬、どきりとした。もしや本当に私の心の中を探っているのではないか、というそんな気がしてしまうくらいその笑みはぞっとする物だった。ぞっとするくらい、美しかった。

「ねえ、名前」
「なあに」
「わらわはねえ、神様になるのよん」
「かみさまぁ?」

変な声が出た。驚きというより、呆れ、という色を含んだ声に、妲己姉様も流石に苦笑する。

「信じていないわねん?」
「信じていいの、それって」

妲己姉様が、そして、二人の姉様が、何かを企んでいるということは知っていた。あの男を使ってこの国をどうにかしようとしている事は分かっていた。けれど私はその輪の中に入れていなかった。三人の姉様は、私に何も教えてくれないのだ。(寂しいとは思うけど)けれどそれは仕方ない、なんたって私は末っ子なのだから。
そういう事なのだろうか、と思う。神様、という抽象的な言葉が何を指すのか分からないが、つまり妲己姉様はその野望の為に今こうして皆を敵にまわすような事をしているのだろうか。
子どもながらにそれは間違っていないと感じた。だって妲己姉様は私には嘘をつかないもの。

「へえ」
「今はまだ言えないけれど、何れ名前にも協力してもらうつもりよん」
「うん、いいよお、なんでもやったげる。なんたって妲己姉様の為だもんね」

正直、嬉しかった。私は姉様の役に立つ事が出来るんだ、そう思えたから。何れ、というのがいつになるのかは分からないが、姉様がそう言いだすのなら、そんなに後の話ではないんだろう。
ああっ、楽しみだなあ。
「だから」まるで歌うような優しげな声音で、妲己姉様は言う。「今はゆっくりお休みなさい」はあい、と頷いて、姉様の腕に自分のを絡める。じんわりと伝わってくる熱に心地よさを感じながら、そっと目を閉じた。


日々を願う


(私は死んでもいい、妲己姉様の役に立てるのなら)
(ああ、そう思っていたのに。現実とはいつも残酷なのね)




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