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紅い満月の夜の噺




「また誰かがやってきたわよ」目を閉じたまま、抑揚のつかぬ声音でそんな事を言う。空間のねじ曲がるような音が背後で鳴る。私の保護者である八雲紫は、そんな私の呟きにあら、と声を漏らしてみせた。

「博麗の巫女が結界を緩めてしまったのでしょうか」
「さてね。……ああ、死んだ」

突然森の中に迷いこみ慌てふためく“外の人”は、何が何やら掴めぬままに、たまたま通りかかった妖により哀れ命を刈り取られてしまった。
ああ、可哀相に。もうちょっと神社や人里の方に近ければ、五体満足で元の場所へと戻る事が出来たかもしれなかっただろうに。運が悪かったと諦めるには些か強引すぎる最期だった。
前に紫がこの屋敷へと持ってきた茶を啜って、ため息をつく。

「どうせ紫も気づいていたのでしょう。貴女なら彼の災難に間に合う事が出来たでしょうに」
「ええ、けれど、名前も知っているでしょう。最近は妖怪達が人を殺めることの出来ぬ環境に不満の声を上げているの。こうして少々の事には目を瞑ってやらないと」
「けれど、私の管轄でこうも気軽に殺しをされてはね。血生臭い匂いに耐え切れなくなるわ」

博麗大結界のお蔭で、幻の都と化した幻想郷。しかしヒトと妖、両者のバランスを保つ為に互いの殺生を禁止されて以来、今まで絶大な力を得ていた妖共は目に見えるほど弱体化していった。これは近々何か策を考えねば反乱が起きてしまってもおかしくないな、などと幻想郷の管理者紫を悩ませるくらいには、この問題は深刻な事態にまで来てしまっていた。
そんな状況でこの幻想郷へと迷いこむ外の人には同情せざるを得ない。が、護ってやるとバランスも崩れるし、何より妖の反感を買う。何とも困ったものだ、と思う。

「良い案は出ているのかしら?」
「今博麗の巫女と話を進めているから、代替案は大凡出来上がったのですが。時間がかかりますわね」
「その間に争いでも起こされたら、たまったもんじゃないわね」

血はあまり好きではないのだ。区分では妖の部類に入るかもしれぬ私だが、無駄な殺生は好まない方だ。平和的に行くのならその方が良し。けれど、妖が皆そのような平和主義者ではない事は重々承知なので、なんとも頭が痛い。
私と紫以外誰もいない屋敷に、ため息がひとつ。ああ、また外から人間がやってきた。今度こそ殺される事はないよう、そう願うものの、現実とは上手く行かぬもので。(ああ、見つかった)背後から不意の一撃を食らわされ、その人間も塵へと化した。
「趣味の悪い」もっときれいな殺し方は出来ぬものだろうか。私の呟きに大体の事情を察したらしい紫は、苦笑してみせる。

「趣味の良い殺しなどありませんわ」
「それはそうかもしれないけれど、仮にも私の場所で殺しを行うのであれば、もう少し礼儀良くしてほしいものね」
「言い聞かせてみましょうか?」
「私の言う事を聞く人妖などいる訳がないでしょう」

ご尤も。そう言って、紫も何処から取り出したのか分からない扇子を口元に運び、微笑する。

「何しろ貴女は雄大ですものね。大きく美しく、素晴らしい存在ですから」
「それを製作者である紫が言うのは、何とも意地の悪い響きに聴こえますがね」

まあ、しかし。この私を一番に愛しているのが、この目の前の妖なのだ。口元を緩めて、立ち上がる。彼女の創った、様々な色に塗られた着物が静かに音を立てる。

「三度目の正直だ。やってきたよ」
「……ああ、本当に」
「この私を内から滅ぼそうと画策する忌まわしい吸血鬼ね。紫、全てを味方につけて差し上げるから、早急に彼の者を討ちましょうか」
「それは、百人力ですわね。ええ、それでは」

ぐにゃりと目の前の空間が歪み、先程まで隣にいた彼女が顔を出す。「精々気をつける事ね」「言われなくても」貴女を護る為ですもの、と続けられた言葉に満足げに微笑み、私は差し伸べられた手を掴む。たった今八雲紫はこの地の総てを背負ったのだ。負ける事は許されない。まあ、負けるなんて事は絶対にないでしょうけれど。地の理は正しくこちらにあるのだ。

「精々幻想郷《わたし》を壊さぬように動きなさいよ」
「それは、極々当たり前の事ですわ。私が幻想郷《あなた》を愛している事は、何より貴女がご存じでしょう?」

ぎょろりと此方の心の中まで覗き込もうとする無数の目玉に苦笑して、私は闇に飲まれた。






(吸血鬼異変の始まりだ?)



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