稲妻11 | ナノ






「ふゆかちゃん、」


あの人が私の名前を呼ぶのが嫌いだった。その後に続く言葉を聞くまいと必死に耳を塞いだ。あの人を視界に入れないように私は生きてきた。あの人が触れたもの全てが憎らしくなって、そうして私は非常に窮屈な部屋に閉じ籠った。
我ながら愚者を装っている事にはとうに気づいていて、その上で尚私は奇怪な行動を止めようとしなかった。少しでも認めようものなら今まで私が築いてきた壁が一気に崩れてしまう事は明白な事実としてそこにぽつねんと存在していたからである。


はじめては、お父さんの視線の行く先だった。いつもサッカーばかり考えている父が目で追いかけている女性があの人だった。
つぎは、お父さんの笑みだった。いつも仏頂面の父が口角をわずかながら上げたのがあの人の為だった。
そして、お父さんの隣だった。いつも一人で座る父の隣にあの人が座っていた。
血の繋がっていない小娘が何をと言われても仕方ないかもしれないけれど、私はあの人をどうしようもなく嫌っていた。お父さんと私の居場所に土足で上がりこんでくるあの人が嫌いだった。幼心に彼女に反感を抱いてすらいた。子供が余裕なぞ持ち合わせている訳もなく、今の私では考えられないような事を平然と考えたし、あの人の笑みが揺らぐのを目を細めてみるのが好きだった。あの人が私を見ているのに気づいていたけれど、私は無我夢中でお父さんとあの人が幸せそうに笑う写真を真っ二つに引き裂いたりした。視線は決して交えなかった。


「ふゆかちゃん、」


ライオコット島から帰ってくると、必然的にあの人と生活をともにする事になる。私はそれが嫌だった。頭がどうにかなってしまいそうだった。料理が下手な癖にあの人はよく私の昼食を作りたがった。食材の無駄ですと言うと流石にショックを受けたみたいだったけれどそんなものは既に何の罪悪感をも呼び起こせない。みすみす食材を廃棄物にするくらいなら私が一人で作った方がはるかにましだった。
私より少し年上なだけでお父さんの隣で笑っていられる彼女が憎らしかった。どうして私は彼女の年下に生まれてしまったのだろうとわが身を嘆いた。全く愚かな独占欲を心の奥底に焼き付けていった私はもう何度自分に後悔したのだろうか数えきれないほどだった。
お父さんが私よりあの人を愛しているなんてことは絶対にありえないと知っていながらも私はあの人を阻害し続けた。私はあの人をどん底に叩き落としたい一心で私は猛勉強した。成績の上がった私を偉いと褒めるお父さんの笑みを見ると、あの人でなくとも私は簡単にお父さんを笑顔にすることが出来ると嬉しくなった。


私はお父さんが好き。だから、あの人は嫌い。


「ふゆかちゃん、」
「だから、私は、」


振り向くと、そこには困惑した表情を浮かべるあの人が立っていた。何度も何度も私の名前を呼んで、気持ち悪い。(だから私は貴女の事が嫌いなんです、大体いつもいつも余計な事ばっかりして。この間貴女が落として割った皿がどれだけ高かったのか知ってます?お父さんは軽く流していたけれど私は心底腹が立って仕方がなかったんです。大体一丁前に主婦の皮を被っている割には掃除下手だし、洗濯もノロノロノロノロ……もうちょっとてきぱき動けないんですか、貴女は?蝸牛でももう少しましな動きをする事が出来ると思いますよ。この前野菜の特売ばかりに気を取られて財布を家に忘れていきましたよね、あれじゃあ本末転倒です、慌てて財布を届けにいく私の身にもなってください。大人の癖に子供に気ばっかりつかわれて恥ずかしいと思わないんですか?思うほどの心もないですか?全くもう、だから私は、貴女のこと)


「貴女の、こと、 好きなんですよ」


(貴女が皿を落として割った時、とってもハラハラしていました。鋭利な刃物が貴女の肌を傷つけやしないかとお父さんの後ろで必死に床を掃除していたの、貴女は気づいていてくれましたか?主婦という歳ではないのに一人で家事をやらせるのが可哀相で仕方ありません、学校が終わって真っ直ぐ家に帰るのって、貴女の為なんです。掃除の仕方をちゃんと教えてあげたいし、洗濯物も一緒に干してあげたいです。マイペースな貴女がとても可愛いんです。財布を家に忘れて困っている貴女を想像するといてもたってもいられなかったし、私の姿を見止めて頬を緩める貴女を見た途端全ての汚れが浄化されるような感覚を覚えました。おっちょこちょいであわてんぼうな貴女を支えられるのは私しかいないんです。だから私は、貴女の事)
いざ口に出そうとすると出てくるのは身の毛もよだつ愛の言葉で、想像していたのとは180度違ってみえる世界だった。視界に止めたあの人は、なまえさんは、私が好きな人間だった。なまえさんの向いた林檎を食べるのが好きだった。なまえさんにできた傷をこれ以上増やしたくないと料理を止めさせたし、なまえさんの悲しい表情を見たくなくて目を細めた。なまえさんとお父さんがお似合いだという事実を突き付けてくる写真が憎くて私は二人を引き裂いた。二人の仲を引き裂こうとした。なまえさんと目があうと真っ赤になってしまうので必死に目をそらした。なまえさんと一緒に生きてゆけないのは歳のせいだと嘆いた。私が同性愛者であるとなまえさんに知られたくなかったから彼女をずっと避け続けていた。


「私、なまえさんのこと好きなんです」


けれど、もう、無理だった。「なまえさんが、お父さんの視線の先にいたあの時から、ずっと。ずーっと」涙が零れてくるのが分かった、必死に手で拭うけれど、止められない。


「なまえさん、なまえさん、なまえ、さん」
「……ふゆかちゃん」
「私、好きです、ねえ、……わたし、」


壁は崩れた上に私の弱点まで晒し出してしまった。けれどなまえさんはそんな私を抱きしめる。「ごめんね、ふゆかちゃん。ありがとう」何に対しての謝罪で、何に対しての感謝なの?私がもっともっと素敵だったら、お父さんより私を選んだ?答えの分かっている疑問を、うわ言のように呟いた。嘆いた。「私は、期待していいの?お父さんより、誰より、何より、私の事を愛してくれる気になった?」今度こそなまえさんは首を振った。









「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -