無言で少し蒸し暑い廊下を歩く俺と少年。正直、気まずい。もともと俺は話上手ではないし、少年との共通の話題なんて帝国学園と総帥くらいしかないだろう。いや、いや、本当はもっと気になるところ…ドレッドとかマントとかあるのだけれど、俺に見られても平然としている事から罰ゲームとかで着せられているのではないのだろう。…自前?え?何?暑さとは別の汗をかきながら俺は唐突に声をあげた。
「ええっと、君は総帥の何なの?」
正直もっと良い質問があった気がする。この言い方だとまるで総帥が二股かけてるみたいじゃないか。俺にはそういう趣味はない。少年も少し思う所があったのかちらりと俺を見たが、また前を向いてぼつりと呟いた。
「師です」 「し?」 「…師匠、サッカーを教えてもらっています」
ああそういう。総帥は初等部の方は請け負っていないから、だとすると彼は総帥の秘蔵っ子ということだろうか。恐れ多い。でも同時に「ああだからマントなんだな」と少し納得しまった。総帥訳の分からない所があるし。そうして再び、静かになる。こつこつという靴の音が閉鎖空間に響く。
「名前は、なんていうの」 「鬼道有人です」 「きどうゆうと…」
鬼道、どこかで聞いたことがある。…邪馬台国の?いや、それよりも、もっと身に覚えがあったのは有人という名前だった。春奈ちゃんの兄の名前じゃないか。しかし、鬼道君が彼女の兄だとは思えない。別にドレッドやマントの事を言っている訳ではないが、雰囲気が違いすぎる。ゆうと、なんて名前少なくはないし、そもそもこうも簡単に会えるだなんてそんな都合の良い事がある筈もなく。「貴方はなんと言うんですか?」社交辞令程度だろうが、そう鬼道君に聞かれ、俺はああ、と意識を向けた。
「音無莢。音が無い、で音無」 「…!?」
ゴーグル君は驚いたように立ち止まった。疑問に思い俺も立ち止まり「鬼道君?」と問いかける。まあ音無という苗字は少し珍しいかもしれないけれど、立ち止まるくらいだろうか。それとも、知り合いに同じ名前の人がいるのか。まあ何にせよ、とても驚いているのだということは表情が見えなくてもはっきりと分かった。鬼道君、もう一度そう声をかけると彼ははっとしたように顔をあげた。
「す、すみません、ぼうっとしていて」 「別にいいけど、着いたよ」
ふ、と腕をあげて目の前の扉を指す。指先に視線をあわせ、彼は嬉しいような悲しいような複雑な表情を浮かべてみせた。コンコン、ノックをして反応を見るが、総帥の声は聞こえない。いつも直ぐに返事をする彼にしては珍しい事だ。不思議に思ってドアノブをまわし奥に押すと、いつも総帥がいる悪趣味な部屋は空っぽだった。数少ない照明も光を失っていて、俺は首を傾げる。
「あれ、いないや。…グラウンドかな」 「そう、ですか」
今度はグラウンドの方へと歩き始める。元来た道を帰って更に行く事になる。別に帰りは遅くても構わないけど、俺の夕食が母さんに食べられてしまわないか心配である。食い意地のはった母さんは子供にも容赦がない。壁にかけてある時計をちらりと眺めて欠伸をひとつ。今度も無音、…ということはなかった。鬼道君が話しかけてきたからだ。積極的なのは良い事だけど。
「音無先輩には、弟、妹はいますか?」 「いるけど」 「こう聞くのはなんですが、面倒だとは思いませんか?」
そう質問してくるのは、彼に弟妹がいるからだろうか。それにしても、外見年齢にそぐわない喋り方だな、と思った。変に冷めているし。
「どうして?」 「その歳になるとわずわらち」 「…」 「…煩わしく思うものでしょう?血が繋がっていなかったりしたら尚更です」 「(言いなおすのか…)それは、憶測?」 「ええ、そうですね」
それにしてはいやにピンポイントに聞いてくる、と正直不快に思った。彼にその気はないのかもしれないが、総帥の秘蔵っ子となると話は別だ。総帥は選手のデータ管理を事欠かない、補欠の一人分だって分厚い書類でまとめてあるのだ。その中には俺のデータもあって、もしかして鬼道君はそれを覗き見たりしたのだろうか…そこまで考えて、俺は馬鹿な考えだと一蹴した。彼が選手のデータを覗き見たという確証はないし、先ほどまで俺の名前を彼は知らなかったようだし、そもそもそれを知って何になるのだ。気分を改め、俺は真剣に考えてみた。
「煩わしい、か」 「…」
春奈ちゃんの事を。確かに思春期ならよくあることだろう。
「弟妹が俺と血の繋がっていないものだとして。もしそういうことがあったとしても、俺はその子の事を煩わしくは思わないよ。確かに親の愛情は二分されるだろうし、元が一人っ子だとしたら少し不満に思うかもしれないが」 「じゃあ、先輩もそう思うんじゃないんですか?」 「俺は愛には餓えていないし、今までの二分の一でも一向に構わない」 「それでも、めんどうにはなるでしょう?」 「増えはするだろうけれど、俺はそれを嫌だとは思わないよ。どんな理由があれ、弟妹は兄に取っては可愛いものだ」
鬼道君はそこで押し黙った。何か回答に不満があっただろうか。別に彼に媚びるような回答をした覚えはないから、俺も黙っていく。再び沈黙が流れた。…どんな理由があるにしろ俺は家族を無碍にはしない。それは、事実だ。家族の大切さはよく分かっているし、あんなことがあった俺にとっては彼らを手放そうだなんて考えはおきない。母さんも父さんも、春奈ちゃんも俺にとっては大切な家族だ。沈黙を破ったのは、鬼道君だった。
「では、ある理由で貴方が弟妹と離れ離れになったら、貴方はどうしますか?」 「…ある理由?」 「ええ」
先ほどと比べて随分と饒舌になったな、などと思いながら俺は答えた。
「…どうにかして、また一緒に暮らしたいな」 「どうにかして?」 「お金が足りないのならお金を、信頼が足りないのなら信頼を。死に物狂いで頑張ってみる」 「きれいごとですね」 「そうだね」 「それでも…良い考えだとおもいます」
確かに、あくまで理想論。現実は厳しいものだ。理由はどうあれ一度離れたものがまた戻ってくるのは確率的に考え低いものだと思う。それでも、…そう考えていないとやってられないだろう。大切なものを取り戻すためなら、なんだってやってみせる。
そうこうしている内に、室内からグラウンドへと出た。夕焼けがまぶしい。総帥は、探すまでもなく、グラウンドの真ん中に悠然と立っていた。俺たちに気づいて、顔をあげる。「総帥!」鬼道君は慌てて駆け寄っていった。
「鬼道…それに、音無か」 「どうも」 「お前が鬼道を送ってきたのか?」 「ええ」 「もう帰っていいぞ」
総帥に冷たくあしらわれるのは慣れている事なので、小さくお辞儀をして、鞄を持ち直した。「じゃあね鬼道君」再び欠伸をしながらそう声をかけ踵を返すと、後ろから声をかけられた。
「先輩は、いい人ですね」 「そうかな」 「ええ。…良かった」 「…どうして?」 「いえ、なんでもありません」
総帥がクククと笑う。疑問符を浮かべながら、元来た道をまた歩き出した。ああ、おなか空いた。
理想論は美しく
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